第39話 持ちつ持たれつ
「……はい?」
聞きようによっちゃ際どい台詞を口にする海龍に俺はぎょっとして身を反らしたけど、俺に抱きつく彼女は赤眼を妖艶に底光りさせて開いた僅かな距離さえ詰めてくる。
ハァ~~~~。悪女ノエルとはまた違った厄介なタイプなんじゃねえのこの人ってか龍。
何だか真面目に相手すんの面倒になってきたよ。白々とした眼差しを向ければ、海龍は眉根を寄せてつまらなそうに鼻を鳴らした。
「何だそっかそっか~、まだお子ちゃまだからボクの色香が通じないんだね。仕方がないかあ~」
色香云々以前に危険信号が点灯していて気を抜けないんだよ。いつコロッと気分を変えて襲ってこられるとも限らないんだし。
それにしても龍族ってのは人型にもなれるらしい。皮膚が鱗だから完全な人間って感じはしないけど。少なくとも浜に出る魚人よりは人間っぽい。俺も最初は仮装した人かなって思ったくらいだ。
「あ、この目もいけないのかも」
海龍は両のまなじりを指で押し上げて吊り目を作った。
「その目がどうかしたんですか?」
「だって赤って魔物仕様でしょう? 人間からすると恐怖倍増魅力半減じゃないの~? これでも元は綺麗な青銀色だったんだよねえ~。魔物同然の邪悪な龍の領域に片足を突っ込んじゃったからこんな風になっちゃったけど~」
「邪悪な領域……」
それじゃあ何か、龍にも人間が陥るのと同じように魔落ちみたいな現象がその身に起こり得るのか。
てっきり龍は禍々しくない神聖な個体でも、広義で見れば最初から魔物の括りなのかと思っていたけど、明確な線引きがあるんだな。そしてたぶん今の言い方からすると正確には魔物とも違うんだろう。龍は龍って感じかな。
「これだと一人で人間の中にのんびり混ざるのは無理でしょ~。騒ぎになっちゃうもんねえ。かと言って人目を気にしてひっそり暮らすのは性に合わないし、だからキミの傍に居ようと思うんだけど、いいよね~?」
「よくないですよ、何で俺と一緒なんですか」
「正気に戻ったのはいいけど、実はボク海龍の掟に反したから故郷追放で戻れないんだよね。だからどうにか第二の家を見つけないといけないの~」
「そこで俺に目を付けた、と?」
「そういうこと~」
「何で俺なんですか」
「剣を持ってるから」
意味がわからん!
そりゃまあいくら人に化けるのが上手くても普通は赤い目の人間なんていないから、見られたらきゃーいやーん魔物だーって恐れられて討伐隊を差し向けられかねない。そんな風に恐れない俺といれば衣食住を世話してもらえると思ってるのか?
確かに俺には誰かを養う経済的余裕はあるけど、他人の面倒を見る時間的余裕はない。そんな時間があったら鍛錬に費やすよ。強くならないといけないんだから。
それにあの巨体を維持するのに一日にどれだけ食糧が必要なんだよ? 押し潰されそうな膨大な肉の山が頭に浮かんで戦慄した。
「人型になれるんですし、人前に出る時だけ魔法でその目の色を変えたらいいじゃないですか」
「めんどくさーい」
「……。ところで海龍の掟に反したって、もしかして死に掛け龍になったからですか?」
「暴れ回って後天的にそうなるケースは多いけど、死に掛けただけじゃ普通はならないよ。ボクの場合はそれより前にちょっとおイタをしちゃってね~」
「一体何をやらかしたんですか……。過去に島一つ沈めたってのは聞きましたけど」
どうにもシリアスっ気のない彼女が魔落ちするような邪悪な恐ろしい何かをしたのか?
想像できない。
「ああ、島ね~。地形を変えるくらいじゃ反しないよ。でもその際にボクが沢山の人命を喪失させたからさ。だから魔落ちした」
「悪さをして天罰が下ったんですね」
「そういうこと~。生まれながらに能力の高い龍種にはさあ、強者としてこの世界に存在する上でのタブーって言うか制約が幾つかあるんだよ。まあやっちゃったものは仕方がないんだけどね~」
「え、でも人的被害はなかったって師匠が……」
「師匠~?」
まだぐーすか寝ている師匠をそれだと示す意図もあって困惑気味の目を向けると、赤目の海龍さんはくわっと目を見開いた。
「えっまさかキミあそこの白髪ジジイの弟子なの!?」
「まあ」
「へえ~物好きい~」
……この龍から見ても師匠ってジジイ扱いなの?
不味い物でも食べたように舌を出して嫌そうにしている海龍は、けどその表情を少しだけ改めた。
「あ、人命を喪失させたってのは、させたも同然だったって意味ね。当時、あのジジイが島の住民全員を助けてくれたから、ボクは邪悪龍の刻印こそ捺されたけど、ギリギリ一族からは誅殺されずに済んだんだよね。あとは人間サイドから賞金首にされるなんて事態も避けられた。ああ冗談じゃなく誰かにマジ怒りされたのは初めてだったなあ~……怖かったあ~」
余程後悔しているのか、がらりと雰囲気を変えて消沈する海龍へと、俺は純粋に驚いていた。
まさか師匠が陰の功労者だったとは。あの人はそこには一言も触れなかった。鼻高々に自慢しても良さそうなのに、彼にとっては造作もない人命救助だったんだろうか。
どうでもいい相手のことなんて生きようが死のうが放置するのに、こうやって時々ぼやけるんだよなあ師匠像って。
「だからボクが尾を切られちゃったのは自業自得だって、我に返った今はもう納得してるよ。きちんと反省もしてま~す」
「さいですか」
「さいですさいで~す。ま、そんなわけだし宜しくねエイド~!」
いやいやちょっと待て。このまま丸め込まれそうだけど、冗談じゃねえよ。
「一緒に居ると目立つから無理です」
赤眼だからどう見ても魔物って言うよりは、その色気駄々漏れの容姿が目を引くんだよ。変な誤解を招きかねない。平穏に暮らしたいんだ俺は。
それにさ、さっきから横で言葉一つ発さなくなった高貴なお方の様子が頗る心配なんですっ。
「ああ、人型がNGかあ。んーじゃあ目立たなきゃいいんでしょ?」
「どう言う意味ですか?」
俺の疑問への答えのように海龍はにやりとすると一瞬にして光の球に変じ、思わず固まる俺の目の前で素早く動いてマイ剣の中に消える。
「は……?」
呆然とする俺の前では、球体が消えた剣が淡く輝き出した。
「ああやっぱり元が自分だからか相性抜群、居心地が良いね~」
剣から満足そうな海龍の声がした。
え、何これ?
元が同じだとこんな芸当も出来ちゃうの?
この魔法剣が俺に憑依するように、龍が魔法剣に憑依した?
「これでどう? こうして姿を見せなければ問題なく一緒に行動できるよねえ~? 正直ボク自身ずっと休みなく外に出てるのは疲れるし、今日からここをボクの宿にさせてもらうから~」
「は? 問題なくないですよ。大体何勝手に決めて…」
「宿賃代わりに戦闘の際はボクの力を使わせてあげるよ?」
「え」
海龍本体の力を?
俺は先の海龍以上にくわっと両目を見開いて手に持つマイ剣海龍憑依バージョンを穴が開きそうな程に凝視する。
マジかっ、それは何とも俺にメリットのある話だな。
まだまだ実力を上げないといけないし、強い味方が出来るならそれに越したことはない。
ど、どうする俺?
「……んまあ~? ボクを従属の鎖で雁字搦めにして無理やり使役してもいいけど~?」
「しませんよ」
世の中には魔物を使役し活用する方法があって、何度も何度も教え込んで習得させた技を披露させる一般的テイムの他、魔法的に縛りつけて強制的に魔力を供給させるクソみたいな方法もある。
「本当に戦闘時に協力してくれるんですか?」
「するする~」
「勝手に出てきて目立つような真似をしないって約束できます?」
「あ~なるほど人型だとボクにドキッとしちゃうって~?」
「しません」
少なくとも俺はしない。
だってしたら何か……横の御方が何をしでかすかわからない……。
「そうは言ってもボクだって出たい時に出るよ~。目立たない確約はできないなあ~」
「じゃあ非常に残念ですけど、この話は白紙にしましょう」
「あ~ハイハイわかったよ。じゃあ人前に出る時は無難な方にするよ」
「無難?」
訝しんでいると、剣から光球が飛び出して、それは見る間に形を作った。
人型じゃない、龍本来の姿を。
トカゲに似たその姿を。
干からびて縮んで変形してしまった体はもう戻らないのか、蛇みたいに胴の長いタイプの姿とは明らかに異なっている。
尾だってない。
因みにその部分はまるっとしていてカバのお尻を彷彿とさせた。
「――ちっさ!」
俺が思わず叫んだのは、海龍がマスコットとかぬいぐるみとか、子供が抱いていそうなサイズだったからだ。
「ふっふっふ~こっちの姿なら目立たないよねえ~」
海龍は俺の頭の上に乗っかって得意気な声を出す。
確かに、テイムした魔物をペットよろしく連れている冒険者もいなくはないからそこまで目立ちはしないだろう。ただ何の生物か疑問に持たれはするかもしれない。
……真面目な話、受け入れるべきか?
俺の大切な相棒に変なのが間借りしている状態をよしとしていいのか?
それとも、この海龍がいなかったらこの魔法剣も生まれなかったからと大目に見るべきか?
本気でどうしたらいい?
「反対意見はないようだね。それじゃ取引成立~。よろしく大家さ~ん」
「くっ……!」
勝手に進む話に苦々しさを滲ませる俺は悩んだ挙げ句、結局はなるようにしかならないと諦めの境地に着地した。
「……必要な時は、よろしく頼みます」
「ふっふっ、善きかな善きかな~苦しゅうない苦しゅうない。んじゃあちょっと中で養生してくるね~」
尊大な態度で大きなあくびをしたマスコット海龍が再び剣に戻ると一度剣は淡く光ったけど、すぐにそれも消えて元通りの相棒剣たる落ち着きを取り戻した。
振っても叩いてもうんともすんとも言わない。
魔力を流し込む……のはやめた。
今は剣も龍もゆっくり休むといいと、そう思った。
ふと、夜天を仰ぐ。
「ふう、ようやく終わった……」
感慨深くも小さく独りごちた。
「あの、エイド君、もう平気なのですか?」
まだ不安なのか俺の腕を抱き締めているアイラ姫へと視線をやって微笑んでやる。
「はい。敵はいなくなりましたから」
「敵……。そうですね。エイド君はさすがです。見事に味方にしてしまいました」
確かに味方になってくれて良かったけど、俺の功績じゃなくて単に巡り合わせの運が良かっただけな気がするよ。
「……ただ、別の意味では強敵かもしれませんけれど」
「え?」
何故かアイラ姫がじーっと魔法剣を睨むようにするから、俺はさっさと不機嫌の原因を収納指輪に収めた。もちろん一緒に鞘も。
武器を手放せば、やっと戦いは終了したんだって実感も湧いたよ。本当にやっとこさ一段落って感じで疲労と安堵の溜息が出る。
師匠は、気付けば崖の上から居なくなっていた。
またぞろどこに行ったんだよあの人は。一言もなかったのは本音じゃちょい寂しく思ったけど、彼の居た場所には弟子の俺宛に風に飛ばされないよう重しをされた一筆が残されていて、それで少しは沈んだ気分も相殺された。
きっと俺たちの顛末を見届けたから安心したんだろうけど、狸寝入りだったよな絶対。
正直もっと話がしたかったのになあ。
アイラ姫たちとその場に足を運んでいた俺は、重しをどけてその紙を手に取る。
師匠からの伝言には「美食が私を呼んでいる」とそう書かれていた。
俺、てっきり無事で良かったとか、良くやったとか、そんな文言が書かれているのかと……。
「師匠……」
夜が端から薄くなってきている。
もう少しすれば暁を迎える空の下、無感動な目になる俺の手から夜風が手紙を攫っていった。さっさと海の藻屑にでもなれ。
大きく破壊された崖、海に沈んだ灯台、そして、地面に残るのは巨龍との戦闘痕。
崖の状態は日が昇らないとシーハイの人たちだって見えないだろうけど、龍の咆哮やら戦闘音は夜中ずっと聞こえていたはずだ。街の灯りがここに転移してきた当初よりもだいぶ増えているのがその証だろう。でも見に来ようとする人がなかったのは幸いだ。
王国軍には魔物出現の緊急連絡がとっくに行っているだろう。
軍が来るのも時間の問題だ。
俺は改めて傍に佇む恩人たちに向き直る。
「アイラ様、今日はもう城に帰って休んで下さい。ニールさんたちも凄く心配していますし、夜風にずっと当たっていたので風邪なんて引いたら大変です。戻ったらとことん温かくして眠って下さい」
「ふふっ、とことん、ですか」
「はい、とことんです」
「ですが、本当に大丈夫なのですか?」
俺は大きく頷いた。もう魔物的な脅威は無い。後は軍にどう言った説明をしてやるかが頭の痛くなる問題ってだけだ。何しろ大規模な公共物の喪失と地形の破壊を伴っているもんなあ。
はあ、魔物を無効化したのは良いとして、この一件に関わっている人物として目立つのは嫌なんだけどなあ……。
倒したも同然なのは師匠だけど、その彼の弟子でそれなりの猛者だって知られたら、俺に干渉しあわよくば利用しようとする連中がきっと出てくる。そういうのちょーお面倒なんだよな。
既に今からげんなりとした気分で周囲を見やった俺は、その視線をとある所で止めた。
俺と目が合った女ニールは不愉快そうに頬を歪める。
彼女から少し視線をズラした俺と次に目が合った男ニールは、無表情に近い中で微かに片方の眉をピクリと動かした。ハハハこっち見んなってか~。
にこりと、俺は二人へ満面の愛想笑いを浮かべた。
いやいや~たった今気付いちゃったよ俺。俺に有利になる解決策があるじゃんなあ~。海龍の図々しさがうつったかな~ハハハ。
「えーと、もう大丈夫ではあるんですけど、アイラ様に一つ頼み事をしても?」
「何でしょう?」
「実はですね……」
あの後すぐに軍関係の人間が駆け付けてきて、諸々の説明の間もアイラ姫と護衛の二人は留まってくれていた。
全てが済むと彼女はすぐさま護衛と一緒に王都に帰ったけど、俺の目論見は功を奏したようだった。
「へえ、王女様の護衛たちが悪い龍を討伐してくれたのか」
「死に掛けていて灯台も破壊した相当強い龍だったみたいよ」
「さすがは王女様の護衛たちだなあ~」
「この国も彼らのような戦闘のエキスパートがいれば安泰だね」
「そうよね~」
「そうだそうだ」
一夜明け、シーハイの街はそんな話で持ち切りだった。
邪悪な龍が倒されたことになっていて、そいつを倒したのは危険を察知してわざわざ王都から来てくれた王女の護衛たちって話になっている。
今やこの街の誰もがそう信じて疑わない。
崖はそのままだけど、灯台は後日王国軍が責任を持って建て直すとも早々に決まった。
それもこれも、王国軍がアイラ姫に配慮した結果だろう。
俺の名前が一切聞こえて来ないって?
そりゃそうだ。そんなものは誰も口にしない。関係しているなんて思われていないからな。
俺はアイラ姫に俺の名を一切出さないでくれって頼み込んだんだ。あと師匠の存在も。
ニールたちはアイラ姫の名声が上がるなら
崖の上に軍人たちが到着した時にはもう俺は姿消しの魔法を使っていたから目撃だってされていない。
まあ俺が魔法使いなのは別件で知られちゃっていたけど、更にもしも俺が関わっていると知れれば今まで築いてきた穏やかな生活が崩れるのはわかり切っている。
故に、倒して然るべきだって皆が納得する身代わりを立てたってわけだ。
王女の護衛ならそれにピッタリだもんな。
まあ、その件でニールたちには大きな借りができたけど、それもいつか追々返せばいい。
唯一、メイヤーさんだけは俺の関与を察していたようだった。
ロクナ村の方はと言うと、龍が忽然と消えたって喜んでいたみたいだ。
密かに魔法で飛んでシオンたちには口止めしたし、オーラル兄弟にももしも漏れたらアニキをやめるって脅したら「それは嫌だあああっアニキ~~~~ッ」って兄の方が男泣きして、弟の方は「兄者に誓って絶対秘密にする」と天よりも信ずる実兄を出して大真面目に誓いを立ててくれたっけ。
村の方の被害らしい被害と言えば、瘴気による周囲の森の汚染と木々の倒壊で、それも王国軍が浄化と除去をしてくれたって後日届いたシオンの手紙にそう書いてあった。近いうち植樹もしてもらえるんだとか。
因みに、当然あっちでも俺の名は出ない。
俺は手紙から目を上げて、これで気がかり全部が片付いたって胸を撫で下ろしたもんだった。
まあそんなこんなで俺の日常は戻ったわけだけど、平穏ってやつは長くは続かないらしい。
ある日、
「――エイド君! わたし、わたし……っ、王女辞めてきました!」
来店したアイラ姫からそう言われた。
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