融通無碍 プライベートは関係ありません 3

 桜木に一曲任せて、残りの曲は学校の曲を借りることにした。

 OGやOBがときどきライブで披露しているし、スーパー銭湯はひびがくの常連会場だ。あそこのライブが好きな人たちだったら一緒に歌ってくれるかもしれないという寸法だ。

 振り付けは学校のダンスの先生に頼み、どうにか形だけはライブの準備が整った。あとは、どう中身を充実させるかだ。

 皆のダンスのレッスンを先生に付けてもらっているのを横目に、私は手帳にライブ内容を書き込んでいると。

 いきなりぶわりと汗の匂いがした。汗、すごっ!?

 私が手帳を抱き締めて仰け反ると、タオルを首にかけた柿沼が「あはは」と笑っている。

「柿沼! 臭い! 汗が手帳に落ちちゃう! ちょっと、練習は!?」

「休憩中~! 先生も今は出てるよ」

「あっそ、お疲れ様! ちょっと一歩でいいから離れなさいよ、臭いってば!」

 うちの弟も、あと何年もしたらこんな風になるのかと、この年代の男子特有のにおいに、私が顔をしかめている中でも、柿沼の笑顔は崩れない。こいつ本当に嫌がらせに来たのか。

「あはは、さっちゃんすごい顔! さっきは眉間に皺すっごい寄ってたし!」

「ひ、人が真剣にスケジュール管理してたら悪い!?」

「ううん。さっちゃんはもーっと過密にスケジュールをオレたちに入れて、さっさと成果を出して事務所にたたき売りするんじゃないかーって思ってたのに、そんなことなくって安心した!」

 ……これは、馬鹿にされてるのか? 毒吐かれてるのか? どっちもか?

 相変わらず全然腹の読めない柿沼に、私は背中を仰け反らせたまま、どうにか答える。

「あんたたちを安売りするような真似はしない。高く買ってもらえるようになるために、価値を付けないと、意味ないでしょ。その第一歩が今度のライブなんだから」

「あはは、わかった了解。でも意外だったなあ」

「なにがよ」

 こいつイチイチ絡んでくるな!? 私はひょいとドリンクボトルを渡したら、それをすごい勢いつけて飲み干してしまった。

 ダンス室は結構空調が効いているのに、ダンスの練習していたらモロに汗が出るんだ。私は自分の体育のときを振り返るけれど、さすがにドリンクボトルをひとつ、全部空にするほど消耗しないから、芸能コースの面子は思いのほか消耗が激しいんだと分析する。でもあんまりドリンク与え過ぎてもカロリーが気になるし、だからと言って水だけ飲ませるのもミネラル不足で論外だから、この辺りは今度栄養学の先生にでも聞きに行くか。

 私がひとりで段取りを考えている中、気にすることもなく柿沼は言葉を続ける。

「君はてっきり、さっさとオレたちを事務所に登録させて、自由になろうとしてるって思ってたのに。意外と面倒見がいいなあと思って」

 こいつ、私の頭でも読んでるのか。

 そりゃこいつらがさっさと事務所に入ってくれたら、私はようやくお役目御免なんだけど。

 私はできるだけ顔色を変えないように努めながら、汗でぺたんと額に前髪を貼り付けている柿沼を見た。

「……あんたたちを利用したいだけだよ。私は私の目標のために、就職しないと駄目なの。できるだけいい就職先を見つけるには、あんたたちを利用するのが手っ取り早いから」

「うん。知ってる。でもそこが不思議なんだよねえ~。君、なんでそこまでお金に困ってるの? 地頭いいんだから、大学だって行けるだろうに、高校を出たら就職するばっかり言って」

 それに思わず私は柿沼のタオルを結んだ。柿沼は「ぐえっ」と声を上げる。

「マネージャーはあくまであんたたちの黒子。黒子が表に出てどうすんの。ほら、あっちで林場と桜木がダンスの打ち合わせはじめたから、あんたもちょっかいかけてないでさっさと行く」

「ぐえ~……わかったぁ~……あぁー、なんで本当に口固いんだろうなあ……」

 そうブチブチ文句を言って去って行く柿沼を、私は手帳を抱き締めたまま見送った。

 あいつ、私の弱味を握ってどうする気なんだろう。それとも。私はまだあいつに試されているんだろうか。

 それに私は小さく首を振った。

 集中。今はスーパー温泉のライブを無事に完遂させることに集中する。

 私は手帳に書いたスケジュールを元に、事務所のほうに確認する事項を書き出していった。


****


 マネージメント契約をしなかったら、なかなか成果の出る仕事を得られることはできない。

 職員棟にある事務所に芸能活動する届けを出したら、各所に一斉に芸能活動することが報告される。それを元に仕事依頼が届くようになるが。

 マネージャーがいる場合は各所に宣伝をしてくれるし、事務所に行って依頼の中から受けられない仕事の選別もしてくれる。

 マネージャーがいない間は、俺たちだけで、仕事の選別を行っていた。十代ではアウトな仕事や、芸能界で生き抜くには不得手な仕事、涼のように親とタイアップの仕事もわんさかと届いたが、それらは軒並み却下をしたら、それだけでくたびれてしまった。まだなんの仕事もしてなくって、これだ。

 マネージメント契約は必要だと、マネージメントコースに働きかけたものの、涼の親の顔を見て目の色を変えてアピールしてくる女子ばかりが目立ってしまった。ただのミーハーなのは論外として、二世タレントと愉快な仲間たちという触れ込みで売ろうとしたところ、結果としてあいつを怒らせての揺すぶり、その末転校なんだから、どちらも得なんてしていない。

 そんな中で、やっと契約できたまともなマネージャーの北川は、ようやくまともな仕事を取ってきてくれたんだけれど。未だに涼はなにかとちょっかいをかけては北川を揺すぶっている。

 休憩中には、なにかと北川に声をかけては、すげなく返事をされている……今は、ちょっと首を絞められているが。それで優斗は隣であわあわしていたが、ようやく涼が戻ってきた。

「おい、いい加減にしろ、涼。本当に北川が嫌気差してマネージャー降りられたら、困るのは俺たちのほうだぞ」

 戻ってきた涼に声をかけると、涼はふてくされた顔をして、唇を尖らせてきた。

「うーん、だってさあ。さっちゃんは未だに腹の中が見えないんだもん」

「そ・れ・は・お・ま・え・も・だ・ろ」

「痛い痛い痛いっ、オレの額はクイズ大会のボタンじゃありませんっ! 連打しないで!」

 指でさんざんつつき回したら、オーバーリアクションで額を抑えてひっくり返った。それを俺と優斗はマジマジと見下ろした。

「あの……大丈夫? 柿沼くん」

「ゆうちゃーん!! オレに優しいのゆうちゃんしかいないっ!」

「え? 暑い! 苦しい!」

 そのまま涼はガバリと起き上がると優斗が抵抗しているのをまるっと無視して、抱き着いていた。見ているこっちが暑苦しい。こちらを見て呆れてるんじゃないかと、俺はちらりとパイプ椅子に座っている北川を見たが、北川はこっちを見ていなかった。

 眉間にカードでも挟めそうなくらいに皺を刻み込んで、スマホであちこちに打ち合わせをしている。

「すみません、ライブの確認なんですが……はい、はい。じゃあそれをお願いします」

 レッスンのときにはきっちりとダンスの先生に話を通してくれているし、俺たちの不備を全部後始末している。マネージャーがいないときからの癖で、リーダーとして仕事内容を探しに行こうとした際、しょっちゅう先に北川が来て、仕事の選別をあのしかめっ面でしているのを見ている。

 ……マネージャーが来てくれて、本当に助かってるじゃないか。

 なにが不満なんだこいつはと思っていたら、涼はふてくされた顔で桜木に抱き着いたまま言う。

「だってさ。さっちゃん。口ではオレたちを商品扱いするし、箔付けするとか言ってるけど、今までのアレな子たちとは全然違うじゃない。でもあの子、どう考えたって訳ありじゃない」

「……まあ、たしかに」

 いくら他が芸能コースとのマネージメントを優先させているからと言っても、北川がマネージメントコースの生徒と一緒にいるところを一度も見たことがない。

 よそのコースに彼女の友達がいるらしいし、一緒に食事を摂っているところは何度も見たことがあるが、それでも訳ありだ。

 ……思えば、涼恒例のマネージャーに対する嫌がらせを受けてないのも彼女だけだが、涼が痺れを切らして金で買収するような馬鹿な真似をしたのも彼女だった。

 涼はようやく優斗を離したあと、唇を尖らせて続ける。

「……別に言ってくれればいいのに。オレたちのことは管理するとか言う名目で、あれこれ聞き出すのにさあ。なんかズルい」

「子供か。北川だって、学業優先したいのに、無理してマネージャーやってくれてるんだから感謝しろ。あと彼女は成績を落とせないんだから、少しは手加減しろ。今までの彼女たちみたいに手荒な扱いするんじゃないぞ」

「わかってまーす……誰だっけ? さっちゃん以外の女子って」

 こいつは。俺は深く深く溜息をついた。

 ときどきこいつの言っていることが、冗談なのか本気なのかわからなくなる。

 優斗はそれをにこにこしながら眺めているが。

「……どうした、優斗?」

「ううん……前は、もっとピリピリしてたから、こういうの、ちょっといいなと思っただけ」

 そうにこにこしながら言うもんだから、俺は脱力した。

 優斗は優斗で、もともと歌は抜群に上手いのに、闘争心というものが欠片もないせいで、ピリピリとした空気は苦手だった。だから、マネージャーと涼の諍いのときは、本気で背中を丸めて脅えていた。

 そう考えたら。今はなにもかもが順調に回っているんだから、いい傾向なのかもしれない。

 俺はそう思いながらドリンクボトルを空にしたとき。

「お待たせ。それじゃ、レッスン再会しましょう」

 先生が入ってきたので、俺たちはそれぞれダンス室の隅に置いている鞄にドリンクボトルとタオルを押し込むと、立ち位置に着いた。

 前はやらないといけないことが多過ぎて、いっぱいいっぱいだったのが、今はレッスンだけに集中できるし、目の前のことひとつひとつにだけ全力投球できる。

 きっと、事務所に入るのも、マネージメント契約するのも、これが普通なんだろう……ただ、俺たちが普通から大幅に遅れていただけで。

「お願いします!」

「それじゃ、音楽流します」

 曲が流れ出したのと同時に、俺たちはダンスをはじめた。

 相変わらず北川は、こちらのほうをときどき見るだけで、ずっとあちこちに連絡をし、ときどきダンス室を出ては戻ってきてを繰り返している。

 それに何故か、ほっとした。

 ……目の前のことだけに集中できるのは、本当に気持ちのいいことだ。

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