第6話 その日

 時間は残酷だ。誰もが言う。全くもってその通りだ。時間は万物を朽ちさせる。時間は待ってはくれない。情はない。呆気なく時は流る。


 その日が来た。一年とか、半年とか、長い歴史から見たら一瞬の光でしかない時間が、あっと言う余裕もない間に過ぎた。


 愛花は今も、霧雨の降る街にいた。


 彼女はいつものようにキリサメの前を歩いて、今日は何をして遊ぼうか、と考えた。それはもうルーチンワークになっていて、飽きることさえなかった。


 そして、キリサメは立ち止まる。


 愛花はそれに気づく。


 キリサメの口が、開かれた。




「今日で最後だ」




 一瞬、意味が分からなかった。


 愛花の頭は、キリサメの口から放たれた言葉を、瞬時に理解することができなかった。当たり前だ。「君は今日死ぬ」と言われたのと同義なのだから。


 沈黙に耐え切れず、キリサメは再び口を開いた。




「今日で、お終いなんだ。君のその――」




「命が?」




 愛花は深みのある声色で言った。それは、今までにキリサメが聞いたことのない声だった。




「……そう、だ」




 目の奥に熱を感じ、それを愛花は必死に抑えようとした。が、無意味なほどに、大粒の涙が目じりから零れ落ちた。


 体に力が入らなくなり、愛花は膝から崩れ落ちた。


 そんな愛花を見ていられなくなったキリサメは、そっと愛花に近寄り、抱擁した。


 キリサメは何も言えなかった。ただただ、愛花のその小さな体を包み込むことでしか、愛花の為にできることが無かったのかもしれない。




「キリサメ。私ね」




 愛花がゆっくりと語り出す。キリサメはその言葉にしっかりと耳を傾けた。




「私ね、最初は死んだっていいと思ってた。だって向こうじゃ、現実の世界じゃ私は独りぼっちだし、生きてたって意味は無いんだって」




 キリサメは黙って愛花の言葉を聞き続ける。




「現実世界の私は死んで、この夢の世界で永遠に、キリサメと二人で遊ぶのも悪くないなって思ってた。でも、違った」




「うん」




 優しく頷くキリサメに、愛花は答えるように話す。




「キリサメが色々なことを教えてくれた。私が忘れかけていた、楽しいこと。キリサメが話してくれたこと。教えてくれたこと。全てが素晴らしいと思えた。でも、全部この世界には無い。あったとしても、それは幻」




 霧が出てきた。




「それで、今日が最後って知ったとき、不思議と芽生えたの。死にたくないって気持ちが。生きて、キリサメが教えてくれた全てを、幻じゃなく、現実で見て、体験してみたいって」




 濃くなっていく霧。お互いの顔が見えづらくなる。




「前にキリサメは言ったよね。私は、孤独のままだって。ちょっとだけ分かった。私は私の中でしか生きていない。キリサメも私の一部なんだったら、私は確かに独りだ」




 濃霧の中、キリサメと愛花の周りだけ霧の切れ間となり、互いの顔が再び見えるようになった。




「生きたい。キリサメが私にそう思わせてくれた。……でも、もう遅かったかな」




 気付けば、愛花は涙でぐしゃぐしゃの顔をしていた。




「いいや」




キリサメは小さく首を横に振った。




「その気持ちが、生きているうちに芽生えたならまだ遅くない」




「え?」




「ほら、酷い顔をしているよ」




 白いハンカチが愛花に手渡される。そのハンカチで、愛花は涙を拭いた。




「僕よりきっと、君の方が現実世界を美しく生きていける気がする。前を向いて、生きていけると約束できるなら、僕の命を君に託そう」




「でもそんなことをしたらキリサメはどうなっちゃうの?」




 キリサメはその問いに温かい表情のまま、大丈夫。と答えた。




「分かった。約束する」




 愛花は事の全てを理解はしていなかった。しかし、キリサメのその強い意志に、彼を信じようと思った。


 キリサメが愛花の手を取る。


 直後、眩い光が二人を包み込んだ。

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