月額980円の夢
乙島紅
第一話
眩しい照明、弾ける汗、骨まで響く音、そして空間を揺らす観客たちの歓声。何もかもリアルだ。だから現実味を帯びさせてくれる。このきらびやかなステージの上に立つ、虚像の私を。
「みんなー! 今日は来てくれてありがとー!」
歌い終えて熱の残るマイクに精一杯の感謝を吹き込んで。何度も練習を重ねた振り付けで痺れる腕を、会場の奥にいる人にも見えるように大きく振った。
「ノアちゃーん!!」
「最高ー!!」
「かわいいー!!」
みんながくれる言葉が私を自然に笑顔にさせる。緊張なんてしない。努力が足りないこと、メンタルが弱いこと、加工なしじゃそんなに可愛くないこと、つまらない現実なんて全部取り払ってみんなが望む私を描く。
だってこれは、夢だから。
「みんなとお別れは寂しいけど、次で最後の――」
ジリリリリリリ。お決まりの残念ブーイングの代わりに目覚ましの音が鳴った。あーあ、最後の曲までやりたかったのに。一時間半ちょっとのライブしかしてないはずが、もう七時間も経ってたんだ。夢と現実の時間感覚って噛み合わないから不思議。観客のみんなも時間が来たことを察してざわめき始める。
「みんな、ごめんねぇ。今夜の夢実況はここまで! また明日続きを配信するつもりだから見に来てねー!」
ぶんぶん手を振って、五秒。
瞼を開けば色とりどりのサイリウムが踊っていた景色が消えて、明かりのついていない蛍光灯と白い天井が目に入る。遮光カーテンの下からわずかに差し込む光。朝だ。
寝起きでずんと重い身体を布団の中でもぞもぞと動かして枕元のスマートフォンを手に取る。動画配信アプリの配信画面は真っ暗になっていて、配信を見に来てくれた人たちのコメントだけが流れていた。
「おつかれ〜」
「おつおつ」
「また明日も楽しみにしてる」
指でなぞって配信中のコメントまで遡っていく。思わず溢れる笑み。こうやって知らない人たちが自分のことを褒めてくれるのを見る時間が一日の中で一番幸せな時間といっても間違いじゃない。
ただ、あるコメントを見て私の指は思わず動きを止めた。
「本物のアイドルになればいいのに」
乾いた笑いが漏れる。
なれるわけないじゃん、バーカ。
いるんだよね、こういう善意のふりしてマウント取ってくる人。画面の向こうにいる配信者を世間知らずの小娘とでも思ってるのか、こっちが何も知らない・してない前提でコメントしてきてさ。こちとら中学の時に片っ端からオーディション受けて全落ちしてるんですけど何か? っていうね。
本物のアイドルなんかクソ食らえ。
夢だから楽しいんじゃん。
夢は醒めたら終わりなの。わかる?
散々心の中で悪態をついた後、私は配信画面を閉じて耳につけていたリング型のイヤーカフを外した。
月額定額制でどんな夢でも見放題のサブスクリプションサービス「DreaMix(ドリーミクス)」。
寝る前に専用のイヤーカフをつけて、スマホにインストールしたDreaMixアプリから見たい夢を選ぶだけ。イヤーカフから出る電波が脳波に干渉して選んだとおりの夢を見られる画期的なサービス。最近は動画配信アプリとも連携して、寝ている間に自分の夢を配信したり、人の夢を一緒に見たりできるようになった。
十年前まで夢はコントロールできないものだったけれど、 DreaMixのおかげで今や立派なエンターテイメントのジャンルの一つ。
映画やゲームと違って面白いのは、自分が必ず主人公になることと、同じ夢を選んでも人によって内容が少しずつ違うこと。
例えばゾンビが大量発生するパニックホラーな夢を選んだとして(なんでわざわざ悪夢をとも思うけど配信映えするから意外と人気ジャンルだ)、ある人の夢では恋人と手を取り合いながらゾンビを撃退していく感動的な展開だけど、ある人の夢ではゾンビに囲まれて大ピンチなところにフライパンを持ったお母さんが登場してゾンビをボコボコにしていくみたいなコメディ展開だったりして。
DreaMixのおかげで私たちは夢を見ている間は何にでもなれるのだ。片思いしてる相手の恋人にも、総理大臣にも、ファンタジー世界の勇者にも、それにアイドルにだって。
「本当に良い時代になったわねぇ」
つい最近DreaMixを始めたばかりのお母さんがお弁当を作りながらしみじみ言った。
「今日は何の夢にしたの?」
「うふふ……KARASHIの大井くんの握手会に行く夢よ」
「えー、握手会? せっかく夢なんだから遠慮せずにデートの夢とかにすればいいじゃん。お父さんもしばらく出張で帰ってこないし」
「いきなりデートはお母さんには刺激が強すぎるわよ。それにいくら夢でも浮気するのはねぇ」
「むしろ夢だからできることでしょ。あ、そうだ、今度お母さんも夢実況やってみなよ。みんながコメントくれるし楽しいよ」
「それは乃亜がかわいくて喋り上手だから。お母さんには無理無理」
お母さんはそう言って笑うと、お弁当箱をピンクの巾着袋に入れて渡してきた。
「そういえば進路調査票はどうしたの? 先週配られたって言ってなかったっけ」
「あーうん、適当に書いて出しておいたよ」
「あらそう。心配する必要なかったわね」
時計を見ればもう出発の時間。いっつもギリギリまで夢実況してるから朝は余裕がない。私は慌てて身支度を整えて、飛び出すように家を出た。
「おい黒澤。なんだよこれは」
ホームルームの後、私は担任のハラセンこと原田先生に職員室に呼び出された。目の前に突きつけられる進路調査票。第一希望〜第三希望を書く欄には上から順に「おばあちゃん、卑弥呼ちゃん、プワちゃん」と書いてある。
「何だと言われましてもー。どう見ても私が提出した進路調査票ですねぇ」
わざとらしく首をかしげておどけて見せると、ハラセンは頭を抱えて深いため息を吐いた。まだ二十代の若い先生なのに苦労人なのか眉間に深い皺が刻まれている。
「一応聞くが、これはどういう意味なんだ?」
「意味も何も、私が尊敬する歴史上の偉人三人でーす。ハラセン日本史の先生だから喜ぶかと思って」
「喜ばねぇよ! だいたい歴史上の偉人なんて一人しかいねぇじゃねぇか」
「えー、プワちゃんもちゃんとWikiあるっしょ」
「あのなぁ……」
「あとうちのおばあちゃんマジですごいから。七十五歳なんだけど町内会の花って言われてて、この一年で五人から告白されてるし、今は一人で世界一周旅行してんの。写真見る? 今カナダにいるらしくてー」
「いい、いい。見せなくていいから」
スマホを差し出す私の手を虫を払うみたいに鬱陶しそうに避けると、ハラセンはデスクの上に積まれている白紙の進路調査票を一枚取って渡してきた。
「月末まで期限延ばしてやるから書き直してこい。次は就職希望先か進学希望先を書くんだ、いいな?」
「うえー。でもさ、まじめに書いてないの私だけじゃないでしょ?」
試しにふっかけてみるとハラセンは裏向きに重ねてある進路調査票を一瞥してまたため息を吐いた。
「その通り。ほとんど奴らが白紙か適当に書いてきやがった。そういう奴はこうやって一人ずつ面談しなきゃならんから俺の貴重な休憩時間は丸つぶれだ。俺だって暇さえあれば昼寝してDreaMix見てたいのよ、わかる?」
ハラセンはそう言って職員室の他の先生たちをチラッと見る。みんなデスクで突っ伏して寝ているみたいだ。
「ぷぷ、ハラセンかわいそー」
「ったく、他人事じゃねぇぞ。……まぁ、書きたくない気持ちも分かるけどな。なりたいものには夢の中でなれちまう時代だ。現実で夢見るなんて馬鹿馬鹿しいわな」
うんうん、まったくその通り。
「ねー、ハラセンが高校生だった時は何て書いたの? その頃はまだDreaMixもなかったでしょ」
するとハラセンは苦い顔を浮かべて声を落とす。
「当時は俺も若かったからな。考古学者になりたいって思って歴史学科のある大学を受けたんだ。結局俺の学力じゃ博士課程に進んで教授になるのは難しいってことがわかって教職に切り替えたが」
「へーそうなんだー」
「なんだその棒読みは。興味ないなら聞くなよ。とにかく、別になりたいものがなくても構わないから金を稼ぐ手段だけは考えておけよ。DreaMixで夢見るのにも金は必要だからな。迷ったら公務員とでも書いとけ」
「公務員の発言とは思えないんですけど」
「うるせぇ」
次の子の面談の時間が差し迫っているのか、「もう戻れ」と適当にあしらわれてしまった。
学校ってちっとも面白くない。これだけインターネットで何でもできるようになった時代なのに、学校のシステムは昔から何も変わっていないらしい。毎日登校して、授業受けて、帰る。それをただ三年間繰り返す。そこに意味なんかない。
勉強が必要? 何のために?
部活が必要? 何のために?
友達が必要? 何のために?
青春が必要? 何のために?
少なくとも、うちの学校にはその問いにまともに答えられる先生はいない。だってみんな知っているから。……DreaMixで全部叶えられるよねって。
教室に戻ると、もうすぐ授業が始まる時間にも関わらずみんなイヤーカフをつけて机に突っ伏していた。中には私が扉を開ける音でちらっと顔を上げてこっちを見てきた人も何人かいたけど、すぐに気まずそうに顔をそらした。
たぶん、私の配信のファンかな。いつもコメントくれる人たちの中にクラスメートの本名に似たアカウント名の人がちらほらいるのは知ってる。でも生身の私を見たって別に面白くないでしょう。だから向こうも話しかけてこない。私も気にしない。現実にそういうの求めてないし。
私もみんなに倣ってイヤーカフをつけ、スマホのDreaMixのアプリから見たい夢を選ぶ。
あ、ちょうどプワちゃんが夢実況中じゃん。しかもゾンビ村の夢だ。「あんたら顔色悪くなーい?」ってゾンビにもウザ絡みしてるんだけど。ウケる。
プワちゃんの夢実況を見ながら寝ようと思ったところで、スマホがメッセンジャーの通知のバイブで小さく震えた。
――今日学校終わったらカラオケ行かね?
ちらりと自分の席の斜め後ろを見やる。寝たふりをしている男子。彼は爽介(そうすけ)、私の彼氏だ。
――えー、なんでわざわざ? 夢の中で良いじゃん。
DreaMixには恋愛系の夢もある。放課後デートも旅行も月額980円でいくらでも体験できるんだから、あえて現実でデートしようとする意味がわからない。なんならエッチなことする夢だって見れちゃうのだ。
そもそも今時は恋人がいる人自体が珍しい。片思いの相手と恋人になれる夢を見れば告白して振られるなんてリスクを冒さなくて済むし、性欲だってそういう夢を見れば十分満たせる。男性視聴ランキング不動の一位が「セクシー女優と〇〇〇する夢」だってことがそれを物語ってるでしょ。
はぁ。私、なんで爽介と付き合ってるんだっけ。思い出せないや。現実で何が起きてるかなんてあんまり興味ないから。
――ちぇ。乃亜の生歌聞いてみたかったのに。
彼からの返信にげんなりする。
勘弁してよ。私、実際は全然歌えないんだから。
あえて意図の伝わりづらい謎キャラのスタンプでメッセージのやりとりを無理やり締める。再び瞼を閉じてみても目が冴えてしまったのかなかなか寝付けなかった。
形ばかりに開いているノートの上にボールペンを走らせる。
『夢の中のアイドル』。
厳しいトレーニングも食事制限もいらないし、ステージで緊張することもないし、その気になれば現実で恋愛だってできちゃう。夢の中なら年齢も自由に変えられるから年とっても続けられるし。
よし、進路調査票に書くのはこれにしようかな。最近夢実況もそこそこ人気が出てきたし、そのうち収益化もできるかも。そしたらハラセンみたいに好きでもない仕事でお金稼ぐ必要だってないんだ。
……そういえば、爽介はなんて書いたんだろう。
ふと気になって締めたばかりのやりとりにメッセージを送るとすぐに返事が返ってきた。
――推し事。
何それ、意味わかんない。聞かなきゃよかったかも。私はげんなりして既読スルーのまま机にうつぶせた。
家に帰るとダイニングテーブルの上に段ボールの小包が一つ置かれていた。海外から送られてきたものみたいだ。宛名は私になっている。
「おばあちゃんがカナダからお土産送ってきたみたい。開けてみたら?」
お母さんに促されて箱を開けてみた。中に入っていたのは不思議な装飾品だ。輪っかの中に蜘蛛の巣みたいに糸がかけてあって、下側には五本の革紐につながれたカラフルな長い羽がぶら下がっている。箱の中に一緒に入っていたおばあちゃんからの手紙にはこう書いてあった。
『乃亜ちゃんへ。元気ですか? おばあちゃんはとっても元気です。カナダのお土産を贈ります。部屋に飾っておくと良いことがあるよ』
なんだろう、占いの道具か何かなのかな?
よくわからないけど、おしゃれなデザインを気に入った私は、おばあちゃんの手紙に書いてある通りに部屋に飾ることにした。
その晩、私はDreaMixで昨日のアイドルライブの夢の続きを配信しようとした。
でも、できなかった。
夢を一切見ないまま……気づいたら朝が来ていたんだ。
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