第52話 絵に描いた餅がうまい

「は、ははは。とっとと出てきて降伏した方が身のためだぞ」


 誰にも聞こえぬよう呟いたつもりだったが、双眼鏡を覗き込む騎士団長にはバッチリと聞こえていたようだった。

 

「帝国軍は弓を構えようとしませんな」

「まだ先頭でも300メートルはある。こちらからもちょっと難しいな」

「線を越えました!」

「騎士団長、指示を」

「ハッ!」


 双眼鏡を受け取り、騎士団長がラッパを吹き鳴らす。

 プウウウウウウウ――。

 これこそ、帝国にとって終わりの始まり。ギャラルホルンの音だ。

 オークの投石はイツキの指導力があり、たった数日でオークらがスリングを扱えるようになったからやったこと。

 ここからが本当の仕掛けだぜ?

 

「いいかああああ! まだだ! 百を数えてからやれ!」


 騎士団長の檄が飛ぶ。

 頼んだぜ。グリモア。

 

 まだ、まだだ。

 

「弓を放て!」


 帝国軍先頭との距離が200メートルを切った。

 そこで馬車壁の後ろから一斉に矢が放たれ、帝国軍に降り注ぐ。

 ちょうどオークらは息切れしたようで、投石が止まる。そのうち再開するだろう。焦らずともよい。

 帝国軍は弓で応戦しようとせず、更に突き進んでくる。

 

「イル様。第二地点を突破したと旗が上がっております」

「よし。しっかし、獣人は目がよいんだな。俺だと双眼鏡を通してじゃないとまるで見えん」

「ですな。獣人は何かしら一つ、特徴を持っている者が多いです。目の良い者、身軽な者、夜目が利く者……どうして今まで重用されてこなかったのか不思議でなりません」

「だからこそだよ。騎士団長。彼らは優れていた。人間が優れていないとは言わないが、こと身体能力にかけては獣人に軍配があがるだろう」

「……そ、それは……」

「お喋りはここまでだ」

「ハッ!」


 騎士団長が再びラッパを吹き鳴らす。

 帝国軍が大挙して押し寄せてくる。愚直な前進こそ、彼らにとって最も有効かつ確実な手段だ。

 数で押し切る。その考えは分かる。敵軍の情報を得ることもできず、俺たちを発見したのなら何があろうとそのまま叩き潰す。

 いよいよ、先頭が馬防柵に取り掛かろうかというところまで来たぞ。

 騎兵に対しては特に有効な手段なのだが、帝国前衛部隊は全て歩兵。

 彼らはそこで足を止め、投槍を振りかぶった。

 

 なるほどな。矢では壁は抜けぬと判断したか。

 

 その時、仕掛けが動く。

 場所は帝国最前列ではない。後方だ。波のように押し寄せて密集した第一の地点付近。

 要塞から300メートルの辺りだな。

 

 どこからともなく松明が投げ込まれたかと思うと、どばああっと火柱があがる。

 瞬く間に炎が広がり、要塞から100メートル地点より300メートル地点までの間が火の海になった。

 焼かれる友軍に動揺したのか、投槍を構えた帝国兵たちの動きが止まる。

 その隙に要塞から飛んで来る矢に刺さり、バタバタと帝国兵が倒れていった。

 

「上手く燃えたな」

「苦労しました。ロレンツィオ殿の助言を受け、何とか完成させた次第です」

 

 単に油を撒いただけだと、すぐに地面に吸われて機能しなくなる。

 そこで石油を持ってきたわけなのだが、燃えるまでに時間もかかるしということで油と混ぜて使った。

 ポイントポイントで下に木の板を挟み込むことで、混合油の流出を抑え込んだというわけだ。

 石油を蒸留して作成する「燃えない炎」が現出できるナフサの出来損ないみたいなものだけど、それでも通常の油に比べれば遥かに炎の勢いが強い。

 

「しばらく休戦だな。今のうちに交代で休憩を取りつつ、武器の手入れを」

「承知いたしました!」


 唯一炎に巻かれていない馬防柵付近の帝国兵が全て倒れ伏したことを確認し、騎士団長に指示を出す。

 

 ふう。騎士団長が指示を出しに向かったところで、大きく息をつく。

 正直、褒められたような手じゃない。

 焼いて焼いて焼き殺す作戦なんて、後の世から「トイトブルク森の大虐殺」とか言われるかもしれん。

 でも、八倍の敵に勝つために最善だと思った。

 だから、躊躇なく本作戦を選び取った。自分の意思で。敵兵を燃やすことを決めたのだ。

 今後、焼かれる帝国兵の怨嗟を夢に見ることだろう。しかしそれでも、戦いに勝利することを選んだ。

 恨むなら恨め。許されようなどとは思っていない。

 

 自嘲するように顔をあげる。いかん。

 あーだこーだ考えるのは戦いが終わってからだ。

 

「イル様」

「お。桔梗。逆さまになっているぞ」

「失礼いたしました。そちらに降ります」


 窓から顔だけを覗かせた桔梗が音もなく部屋の中に降り立った。


「状況報告を頼む」

「ロレンツィオ様とジョルジュ様が合流。帝国後方へ回り込んでおります」

「仕込み中かな?」

「はい。狼煙で知らせを行うとのことです」

「ここからじゃ狼煙も見えない。……桔梗たちが連携すれば俺に伝わるか」

「はい。おっしゃる通りです。縦に長く、九曜と桔梗の部隊を配置しております。お互いに指示が見える距離に」

「抜かりないな。さすがだ。なら、桔梗はここにいるか?」

「いえ、桔梗はグリモア様やヴィスコンティ様との連絡役もこなします」

「助かる。騎士団長がその辺の連携を決めているけど、生の声が聞くことができるとより万全になるからな」

「承知いたしました。ご武運を」

「桔梗……いや、後でな」


 彼女から目線を外すとすぐに彼女の気配が消える。

 

 ◇◇◇

 

 炎が消える前に帝国へ使者を送った。

 条件は前回送ったのと同じ内容だ。要塞攻防戦において、帝国兵の損失は1000に及んだ。

 こちらの損害は0である。

 地獄のような光景に逃げ出す帝国兵もいたようだが、道を外れた帝国兵にその後はない。

 ここで講和を受け入れてくれると楽なのだけど、さてどう出るか?

 

「帝国より書が参りました」

「ありがとう」


 騎士団長から巻物を受け取り、封を切る。

 は、ははは。

 

「奴ら相当頭に血がのぼっているらしい。やはり、ノヴァーラを仕留めない限り、この戦争は終わらないな」

「帝国は何と」

「ほら」

「……徹底抗戦ですか。ならば、受けて立つしかありませんな」


 帝国の戦力は死者の数から推測するに3500程度。浮足立って逃げた兵を含めれば、3000と少しというところか。

 こちらはほぼ無傷の1200を依然として維持している。


「徹底的にやるというなら、徹底的にやってやろう。後悔の念を抱きながら、神に祈れ。帝国よ」


 こちらの準備は既に整っているぞ。十分に休息を取り、矢の数もまだまだ余裕がある。

 来るがいい。勝ち負けの判断を誤り、深入りするとどうなるか身をもって教えてやろう。

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