第10話 生物の定義
クリスティーナ・メルツは、自分の研究室でコーヒー片手にWeb会議に参加していた。いや、正確にはビデオ会議だ。インターネットはもう存在しない。
「で、成果は? ……その調子じゃ、上がってないようね」
『お手上げだよ』
通話の相手は
『機材が少なすぎてろくな解析ができやない。
大学が黒スーツたちに襲われて自衛隊の基地に逃げ込んだ生物学者で、必要に駆られて黒スーツたちの生態の研究をしているが、専門は製薬の
『前も言ったように、連中は
「生物とは言えないわよね」
『そうだ。生物の定義は「自己複製能力」「エネルギー変換能力」「自己と他者との明確な隔離」の三つだ。連中はこれら全てが欠けている。遺伝情報がないから自己のコピーを作ることができない。食料を代謝する能力もない。二体のスライムを接触させれば完全に混ざっちまって、合体させれば
久本は肩をすくめた。
「でもそれは、酸素との過剰反応が起こった後のことでしょう?」
『まあな』
スライムたちは、空気に触れると体を構成している分子の中の硫黄が、硫黄よりも活性の高い酸素に置き換わって分子が壊れ、それによって活動停止する――スライムたちを生物と仮定するならば「死に至る」――ところまではわかっていた。
だから弾丸一発で簡単に倒せる。スライムにとっては、かすり傷一つが致命傷だった。黒いスーツはステルス性や形の保持よりも、空気中の酸素から身を守るためというのが一番の目的なのだ。
『せめて生け捕りにできりゃあなぁ』
久本はぎしっと椅子の背もたれに体を預けた。
迎撃するだけでいっぱいいっぱいの現状では、生け捕り作戦などなかなかできるものではなかった。罠を張って捕えたこともなくはないが、そうするとスライムたちは自死してしまうのだった。
『で、そっちはどうだ?』
「こっちもてんで駄目。本国の方も目立った研究成果はなし」
ふぅ、とクリスは鼻から息を漏らした。
クリスはアメリカ軍所属の物理学者で、主に兵器の開発を担当していた。自衛隊と共同研究をするためにこの基地に来ていた所、黒スーツたちの襲来によって本国に帰ることができなくなってしまった。他にも日本に駐留していたアメリカ軍の軍人は大勢いて、自衛隊に協力して戦っている。
「銃は今週もまた大量に回収されたけど、どれも使えない。あれだけのエネルギーを生み出す機構がないの。発電装置も
『まあ、あんなデカブツを空に浮かべられるような奴らの兵器だしな。んじゃ、諦めるのかい、メルツ博士?』
「馬鹿なことを言わないで。ゼロからイチを生み出すのは難しくても、もう物があるんだもの。なんとか解明してみせるわ。スーツ効くこともわかってるんだもの。チームのみんなも頑張ってくれてる」
全ての光を吸収してしまう黒スーツ。だが、その量には限界があった。過剰な電磁波を浴びせると壊れてしまうのだ。光弾銃の盾にできるのではという目論見もあったのだが、光弾ほどの威力があると盾としては使えなかった。
『研究して改良するのは日本のお家芸だからな』
「そこに期待しているわ」
クリスは本気で言っていた。日本はオリジナルを創るのは苦手だが、研究して自分の物とするのは得意だ。
『ドローンの方はどうだ?』
「そっちはぼちぼちね。仕組みはわかったわ。でもまだ検知する方法はわからない」
もううんざり、というクリスは目をぐるりと回した。
ドローンと爆弾の構造だけは判明していた。塗ってあるステルス塗料以外はいたって普通の作りだった。頑丈な造りで弾丸を通さないが、今の人類の技術でも十分作れる。……工場が生きていれば、だが。
と、久本が顔を横に向けた。
『すまん、新しい検体が届いたみたいだ。新鮮ほやほや。つっても、酸化後には変わりないけどな』
「じゃあまた来週連絡する」
『来週も繋がるかな』
「そう願っているわ」
クリスはビデオ会議を終了させた。
黒スーツの攻撃により、他の基地とこうして連絡を取るのも難しくなってきていた。
ドームからは広帯域の妨害電波が発せられていて、短波による長距離の無線通信は不可能だった。無線通信にしても有線通信にしても、通信経路上の中継地点や回路が破壊されてしまえばそれまで。基地そのものがなくなることもある。
「衛星を壊されたのが痛いわね……」
クリスは椅子の背にもたれて、コーヒーを一口すすった。今はまだ豆を
「ハカセ、解析結果出ました」
「見せて」
分析機器が吐き出したペーパーを研究チームの一人が持ってきて、クリスの短い休憩時間は終わりを告げた。
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