第6話 初陣
午後、陸上自衛隊に配属が決まった新人への訓示が行われたあと、爽平はさっそく班員に引き合わされた。
「
優しく言ったのは班長の
学生時代は体育会系の主将だったんだろうな、という感想を爽平は
他にはひょろりと
これから命を預け合う相手だというのに、ぱっとしないメンバーだな、と自分の悲惨な成績を棚に上げて思った。
班員同士の連携訓練など全くないままに、デルタはさっそく任務に駆り出された。
白とグレーの迷彩色に塗られた車両から降りた爽平は、その住宅街の様子を見、右手でヘルメットの
目の前に伸びる片道一車線の道路は
電信柱が倒れて屋根を壊し、ブロック
離れた所にあるマンションに目を移せば、エメンタールチーズのように途中の階がぼこぼこと欠けていた。無事に残ったベランダにはカラフルな洗濯物が干してある。
爽平がまだ高校生だった頃、通学中に電車の窓から眺めていた場所だった。普通の、どこにでもある住宅街だったはずなのに。
訓練シミュレーターで似たような光景は何度も見てきた。だが、砕けたコンクリートの匂いや焦げた匂い、しんと静まり返った中に聞こえてくるカラカラとした原因不明の音、どこからか飛んできた
終末を描いた映画のセットに迷い込んだようだった。
そこに、パンッと銃声が響いた。たくさんの壁に音が反射して、反響が間延びしたように広がる。
反射的に爽平は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
パンッ、パンッと断続的に鳴った後、パパパパッと連続した音がした。どこかで戦闘が行われている。
「大丈夫だ。まだ距離がある。途中に建物がたくさんあるから、奴らの銃でもここまでは届かない」
爽平の顔に影がかかる。見上げれば江口班長がアサルトライフルを差し出していた。その後ろでは、他の四人が顔を斜めにして
恥ずかしくなり、爽平は慌てて立ち上がった。訓練で聞き慣れた音で、しかも味方の銃声だ。なのに、撃たれると思ってしまった。
銃を受けとり、スリングを肩にかける。落ち着いているように装ったが、手が震えていた。
「班長、そいつダイジョブっすかぁ?」
細川が言った。爽平を見下ろしているのは心配顔ではない。足手まといになるのではと迷惑そうだった。
「訓練課程を卒業したんだから大丈夫だ」
「でもそいつ、最終試験で
中村が眼鏡を押し上げながらぼそっと言い、カッと爽平の頭に血が上った。
んだよ、どいつもこいつも。あんなん普通無理だろ。ついこないだまで普通の高校生だったんだぞ。帰宅部だったし。んな簡単に体力つくかよ。
そう心の中で毒づくが、爽平以外はみな一応ゴールだけはしていて、負け惜しみでしかないことは自分にもわかっていた。
昨日は、ちょっと調子が悪かっただけだ。いつもの状態なら、俺だって。
特別体調が悪かったわけではなく、万全の状態でも無理だったということもわかっていたが、それを認めたくなくて、そう思い込むことで自分のプライドを守った。
細川がフッと鼻で笑ったのにムカついて、爽平は足を一歩踏み出した。
遮るように江口が間に入る。広い背中に顔をぶつけそうになった。
「いつも通りペアで行動。警戒を
「了解っ!」
江口が命令口調で言うと、途端に空気がぴんと張り詰めた。命令を受けた四人がきびきびとした動作で敬礼した。爽平も思わずしそうになった。
「お前は俺とな」
「はい」
ぽんぽん、と二の腕を叩いてきた江口は、先ほどのような厳しい空気を一切出さずに、優しいお兄さんといった風だった。爽平は敬礼を忘れて普通に返事をしてしまったが、何も言われなかった。
「行くぞ」
「はいっ」
四人の後に続く江口を追って、爽平は銃声の方向へと歩き始めた。
「はーっ、はーっ、はーっ」
物陰に隠れた爽平は、アサルトライフルを縦に両手で握り締め、肩で息をしていた。強く握りすぎて、上を向いた銃口がぶるぶると震えていた。
ここからは本物の戦場なんだ。
黒スーツの持つ光弾銃の破壊力は材質によって異なり、コンクリートなら表面が焦げる程度、金属なら数十秒もち、人体に当たれば大穴が開く。手足に当たれば消し飛ぶ。
訓練では、とにかく当たるなと教わった。攻撃はゆっくりでいい。防ぐ方に注力せよと。
無茶を言う。弾が当たらないのは映画やアニメの中だけだ。
江口が進むように合図をしたが、爽平はその場から動けなかった。足が馬鹿みたいに震えている。少しでも向こう側に身をさらせば撃たれる気がした。
「敵はいない。念のための警戒だ」
江口は無造作に物陰から歩み出た。敵がいる方向から丸見えの状態で、軽く両手を上げてみる。
「ほらなんでもない」
「班長っ!」
前方で家屋の壁の陰にいた中村が、小声でとがめた。
「ほら、出てこい」
信じられない、と目を丸くする爽平に、江口は手を差し出した。すぐ先で銃声が鳴り続けている。
「戦闘は他の奴らの仕事だ。俺たちは敵の前には出ない。だから安全だ」
アサルトライフルをがっちりと握り締める手首をつかまれ引かれたが、腰が引けていて足は出なかった。
「仕方ないな」
江口が首を振りながら手を引っ込め、背中に回っていたアサルトライフルを手にした。急に目つきが厳しくなる。ひゅっと爽平の喉が鳴った。
「北はこの場で待機。――返事は!」
「了解っ!」
飛び上がるようにして爽平は返事をした。
江口は身を低くして、先へ進んで行った。
五人が戻って来たのは、基地の方角から飛んできた戦闘機がミサイル攻撃をして、帰還していってからしばらくたったあとだった。
誰も戻って来ないのでは。
味方はとっくに全滅していて、黒スーツが近づいてきているのでは。
そんな妄想に支配されてわずかな物音に敏感に反応していた爽平は、突然後ろから「わっ!」と声を掛けられて、悲鳴を上げた。
振り返れば、げらげらと細川が笑っていた。
「撃たれても知らないから」
「こんなにびびってる奴がとっさに発砲できるワケないじゃん」
中村が呆れると、細川は笑いながら爽平を指差した。
ムカついたが、その通りだった。背後の注意を
「お前のために一体残してやったぞ。来いよ」
細川に言われて、爽平はようやく足を踏み出した。笑われたことで、ここが戦場でなくなったことを実感したのだった。
他の四人は戦利品の光弾銃を持って、車の方へと戻っていった。
「これが黒スーツの正体だ」
爽平は、体全体でブロック
酷い悪臭がする。腐った玉子のような
辺りは味方のミサイルの攻撃で焼け、白い煙と黒い煙が入り混じっていて、なんとも言えない
黒スーツの
吐き気が込み上げてきて、爽平は、うっ、と
「知ってんだろうが、コイツらはこうやってすぐに腐っちまう。俺たちの仕事の一つは、コレを片付けることだ」
ほれ、細川が爽平に点火装置を渡した。
「
言われるままに爽平は粘液に点火装置を近づけた。細川が後ろに下がったことには気がつかなかった。
火をつけた途端、固形燃料を燃やした時のように、一気に燃え広がった。スーツの中まで燃えているようだった。
一拍置いて、とんでもない臭気に襲われた。目に突き刺さってくるように感じるほど強烈だった。
「げぇぇっ」
「このガスは有毒だからあまり吸うなよ?」
吐きながら、それだけは心配ないと思った。こんな悪臭、いくらも吸い込めない。毒にやられる前に
ひとしきり吐き、口元を
「確認までが任務だぞ」
細川があごをしゃくる。
マジかよ。
二度と近づきたくなかったが、散々馬鹿にされた後だ。これ以上、臆病者とも役目がこなせない役立たずとも思われたくなかった。
爽平は顔を
だが、特別な
火はもう収まっていて、赤黒い粘液の代わりに黒い炭のような燃えカスが残っているだけだ。それはスーツの中にもこびり付いていて、中まできれいに燃え切ったようだった。
「バカだなぁ。
細川が後ろから肩に腕を回してきた。
「スーツにゃ火は効かない。なんのダメージもないだろ」
確かに、抜け殻となったスーツには炎による損傷はないように見えた。これも今の今まで忘れていたが、訓練課程で長距離走中に聞いた教官の説明通りだった。爽平は走るのに精一杯だったが、生きるために必要な情報だからと頭に叩き込んではいたのだ。
「コイツらの体に関しちゃ何にもわかっちゃいない。ヘンな病原菌を飼っちゃいないのは確認済みだが、放置してどんな影響があるかわからないからな。こうして燃やして処分する」
細川は体を離すと、爽平の肩をつかんで乱暴に細川の方を向かせた。鼻先に指を突きつけられる。
「いいか、臆病さは生き残るのに必要な感情だ。ケドな、臆病者はすぐに死ぬぞ」
真剣な顔だった。
爽平はおずおずと
「ま、俺たちがあいつらに遭遇するなんてこと、まずないけどな!」
ばんばんと細川は爽平の背中を叩き、戻ろうぜ、と言った。
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