第三帝国の残影

山本弘

第1話 空から来た少女

「うっひゃあああああ!」

 情けない悲鳴とともにジャングルに降ってきたのは、金髪の少女だった。衣服は上下ともにサファリルック。スカートは短くて、足は長い。こんなジャングルには不似合いだと思えるのだが、飛行機のパイロットが着るようなジャンプスーツを着て、やはりパイロットのようなパラシュートを着用していた。パラシュートはたぶん何メートルもあったはずで、長い布のほとんどが使われていたはずである。

 今、パラシュートは全長の大半をあらわにしている。巨大なキノコのように、それは風に吹かれて右に左に揺れながら、地上めがけて落下しつつある。その先にはゆったりと流れる大河があった。あと五メートルで着水するというところで……。

 ぐん、とロープが引っ張られる感触があった。少女は水面から五メートルの高さに宙づりになった。「あれ……。おかしいな……」と少女は川の上でもがいた。ある高さまで下がった状態で、パラシュートは動かなくなったのだ。

 すぐに理由は分かった。パラシュートが水面から五メートルの高さで、枝に引っかかってしまったのだ。ぶんぶんと揺らして、ブランコみたいにゆすっても外れそうにない。

「はあ……やれやれ」

 少女はぼやいた。こんなところで不時着なんてついてない。近くには知っている人間は誰もいない。いや、この土地には人跡未踏の無人のジャングルが広がっている。誰かに出会うことさえ難しいのだ。

「こうなったら少しでも進むしかないか……」

 少女は諦めた。とにかく今はパラシュートを切って、この枝から自由になることを考えなければならない。

「ふう……はあ……」

 少女は少し苦労した末、ホルスターから一本のナイフを抜いた。どうにかそのナイフを振り回し、パラシュートのロープを一本ずつ順番に切断してゆく。これが思ったより大変な作業だった。今はロープが数本しか残っておらず、それにぶら下がった不安定な姿勢ではロープを切るは難しい。すぐに体がぐるぐる回転してしまうのだ。

「このぉ……どうすりゃ切れるのよ……こんなの……」

 続けているうちに、腕がだんだん痺れしびれてきた。切断すべきロープは後一本のみ。それが切れれば自由になれるのだ……。

 その時、眼下の水面で大きな水音がした。不審に思って視線を下に向けた少女は愕然とした。

 鰐だ。

 一匹の鰐が大きな口を開いている。動物園で餌を待っているかのようなポーズだ。しかし、ここは動物園ではない。鰐が待っているのは、生きた餌が口めがけて落ちてくるところに違いない。

 その鰐が待っているのは、生きた人間の少女なのだ。

「ひえええええっ!」

 少女は狼狽して絶叫した。焦って切れかけたパラシュートのロープにしがみつく。しかし、あと一本を残すのみとなったロープは、ぶちぶちと切れてゆく。それにつれて少女の体もゆっくりと下がる。

「待ってえ! 待って待って待って! あたしなんか食べたって美味しくないわよ! このジャングルには他にも食べものぐらいあるでしょ! 羊とか蛙とか野ネズミとか!」

 少女の必死の嘆願も、鰐には効果がないようだった。一センチまた一センチとロープが少しずつ下がってゆく。

 じわじわと下がってゆく「餌」に嫌気がさしたのか、鰐はひときわ大きく口を開いた。水面にまであと五十センチほどの高さで、ぱくりと口を閉じる。少女は「あひゃああああ!」と叫んでその攻撃をかわした。

 だが、鰐の攻撃をかわしたのは一度きりだった。さらにロープがさがり、もう水面まで一メートルしかなかった。今度、鰐にかぶりつかれたらおしまいだ。

「いやよ! こんなのはいや! あたし鰐のお昼ご飯になっちゃうのおおおー!」

 悲痛な少女の叫びが川面に響き渡った。

 その時、ざぶんという水音が響いた。鰐はぎょっとして動きを止めた。一瞬前にはいなかった確かにいなかったはずの少年がそこにいた。大きなストロークで少女と鰐の間に割って入る。鰐は即座に少年に目標を変更した。少年の方でも戦闘力はすでにフルゲージだった。両足でいっぱいに広げて鰐を締め上げる。そして腰に吊るしていたナイフを抜き取り鰐をめちゃくちゃに刺し貫く。

 少女はどうなっているのか分からなくて、どっちを応援すべきかも分からなかった。いや、少年の方を応援すべきだとは分かっているが、今は少年の正体すら分からないので、本当に応援すべきなのかどうか。それにこの川の中では、常に両者が入れ替わるので、ちゃんと少年を応援しているのかもよく分からない。

 途中で少年の息が心配になってきた。もう水中に三十秒以上いる。このままでは息ができなくなって死ぬのでは……。

 と、突然、少年はがばあっと水面と割って姿を現した。続いて首が切り裂かれた鰐がぷかあと浮かび上がる。少年のほうは、何箇所か傷はあるものの、大きな傷は負っていない。

 次の瞬間、最後まで残っていたパラシュートのロープがついに切れた。少女は「ひやあ!」と悲鳴を上げて川の中に落下した。少年はびしょびしょに濡れた少女を拾い上げると、川の中から回収した。

「あ、ありがとう……」

 少女は震える声で礼を言った。

「あたしはダイアナ・ハント……。あなたは?」

「ティムだ」少年は自己紹介した。「ティモシー・ブルース」

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