第3話 2 灰色の結婚式 2

「リザ様、髪をかしましょう」

「こんなカラス色の髪、梳かしたって変わらないわ。長さだってないし」

「まぁ、そんなことをおっしゃってこんなにきれいな御髪おぐしなのに」


 リザは王宮の奥にある離宮で暮らしている。

 侍女で幼なじみのニーケとたった二人きりの生活だ。

 その離宮は百年くらい前に、当時の王の寵姫ちょうきのために建てられたもので、その頃は白藤宮しらふじきゅうと呼ばれていたそうだ。

 小さな離宮は、かつては美しかったのだろうが、長く人が住まず、手入れがされていないために荒廃が進んでいる。蔦のう壁には崩れかけた部分も多く、屋根は抜け落ち、居住できる部分はわずかである。

 リザの母は老いた父王の最後の側室だった。

 愛妾と言っても有力な貴族からの推薦ではなく、王がたまたま庭を通りかかった時に、花を世話していた下働きの娘に目を止めただけの出会いだった。

 そしてリザは父の五番目にして、最後の子として生まれた。


 リザは物心ついた時から母とこの離宮に住んでいる。

 母の身分があまりに低かったため、王宮で他の王子や王女達と共に暮らせなかったのである。

 母が生きていたころは、毎日どこからか食事が運ばれ、月に一度衣類や日用品、本などが届けられた。父はごくたまに侍従一人を連れてこの宮を訪れたが泊まることはなく、数時間過ごして帰っていった。

 当時は三人ほどの召使がいたと、リザは記憶している。その内の一人はニーケの祖母だった。

 リザの記憶にある母はよく泣いていた。

 彼女が側室に上がったのは十七歳の時で、十八歳でリザを産んでからは自由を極端に制限され、たった一人の身内だった父に会うことも、ほかの男性と恋をすることもできずに白藤宮に閉じ込められたのである。

 そしてリザが七歳の時に母は病に倒れ、ひと月病んで亡くなった。肺炎ということだった。

 葬儀は行われず、王族用の墓地に埋葬されることもなく、離宮の裏の森に小さなほこらが建てられた。それは父の情けによるものだった。

 そして、リザが十歳の時に老いた父王も亡くなり、歳の離れた兄ヴェセルが国王となった。リザは父の葬儀にも参列することは許されなかった。

 そしてリザは一人になった。

 次第にものが届かなくなり、召使はいつの間にかいなくなってしまった。

 最後まで残ってくれたニーケの祖母が死んでからは、二つ歳上のニーケだけがただ一人の侍女となり、友人となって、二人で支え合いながら暮らしてきたのである。

 一年に一度、一番大きな行事である秋の園遊会の招待状が届けられる。

 その時だけリザは、母のものだったドレスを仕立て直したものを着て紅蘭宮に出向いた。

 その宴にリザは王族として参加するわけではない。

 大忙しの女官や侍従を手伝うために呼ばれるのである。兄王ヴェセルはリザをいないものとして扱ったし、すぐ上の姉王女ナンシーは、リザを貶めるためだけにリザをこき使った。リザをカラスと呼び始めたのはナンシーである。黒髪、黒く見える瞳はミッドラーン王家にはない色だった。

「お前はカラス、醜いカラス娘だ」

 そう言われてリザは兄や姉たちに仕えた。


 それから三年。

 今では食事は固いパンと野菜が週に一度、木箱に入れられて届けてこられるだけになった。

 ニーケが野菜をゆでてスープにし、パンを浸して食べる。その湯は自分たちで庭の奥の雑木林から枯れ枝を拾って火をおこして沸かすのだ。

 リザには母が残してくれたわずかの金があった。彼女の行く末に心を痛めた母が王から貰った装飾品やドレスを売って作った金だ。リザは自分から離宮を出て行ってはいけないことになっているので、女として必要な最低限の品は、庭師のオジーに金を渡し、都の市場で買ってもらっている。

 オジーは庭師の見習いで、家族と一緒に離宮の近くに住んでいたが、たくさんいる宮廷庭師の中で、彼とその家族が一番親切だった。

 毎日毎日変化のない日常。

 生きることは楽ではないが、とりたてて不幸でもない。

 絵が好きなリザは、庭の草花を写生するのが好きだった。生前父がくれた本も繰り返し読んでいる。

 静かで代わり映えのしない毎日。

 リザは、このまま自分はここでずっと暮らしていくものだと思っていた。

 ──なのに。


 夏の終わりのある日、リザが水のない噴水と小鳥を写生していた時、突然王宮、紅蘭宮べにらんきゅうからの使者が訪れた。

「リザ様、お城からのお使いです!」

 庭から飛び込んできたのはオジーで、そのすぐ後に立派な服装の男性が立っていた。離宮からニーケも慌てて出てきたが、男は目もくれなかった。

「ご機嫌よう、リザ王女殿下。お元気そうで何よりです。本日、わたくしは兄上ヴェセル陛下の筆頭侍従を仰せ使っております、メノムと申す者です。陛下からのご伝言を預かってまいりました」

 使者はびっくりしているリザに、申し訳ばかりの辞儀をするとそう言った。

 筆頭侍従とは、騎士や下級貴族がその任を担うこともある重要な役職だ。メノムは四十がらみの痩せた男で、眼鏡の下からは陰険そうな褐色の目が光っている。

「陛下のご伝言をお伝えいたします。『三日後、そなたは騎士エルランド・ヴァン・キーフェル卿に嫁ぐことになった。後日、使いの者をよこすので、それまでに準備をしておくように』とのことでございます。ご理解いただけたでしょうか?」

 メノムは、リザを見下しながら横柄おうへいな態度でそう伝え、彼女が何も言えないでいるうちに一礼すると、さっさと帰っていった。

「リザ様! ご結婚ですって! おめでとうございます!」

 背後で同じように固まっていたニーケが駆け寄ってくる。しかし、リザは首を振った。

「……よくわからないわ。結婚っておめでたいの?」

 リザは途中だった写生板を拾い上げて言った。小鳥はとっくにどこかに飛び去っている。

「きっとそうですよ。私のまたいとこが結婚した時、皆でおめでとうって言いましたから!」

「……そう?」

「少しでも、お手入れをして支度をしなければ」

 ニーケはそわそわしながらリザを屋内に入れた。風呂を沸かすことができないが、石鹸と香油なら少しはある。

「ですが、花婿様のエルランド・ヴァン・キーフェル様ってどんな方でしょう? ヴァンとは騎士がもらう称号ですよね?」

 ニーケは髪を洗う湯を沸かしながら尋ねた。

「知らないわ。だって私、ここから出たことがないんだもの」

「でも陛下はリザ様の兄上様なのでしょう? 名前くらいお聞きになったことは?」

「知らない。兄上にはお父様がお亡くなりになった時、口をきくなって言われたし」

 リザは父の葬儀に城に出向いた際、ヴェセルに言われたことをよく覚えていた。

 その日は雨が降っていたが、葬儀の場である拝堂には入れず、誰にも気にかけてもらうこともなく、ずぶ濡れになりながら遠くから見送っただけだった。

 どちらかというと活発で、人見知りをしない性格のリザだったが、この葬儀から王宮の人間を血のつながりがあるとは思わなくなった。

「多分……兄上は私を厄介払いしようとお考えなんだわ。キーフェル卿に押し付けて」

「そんな……リザ様」

「いいのよ、どこに行ってもニーケさえいてくれたら。だって……」

 リザはニーケに髪を梳いてもらいながら俯く。真っ直ぐな黒髪は素直に櫛の目に従った。

「だって、私はどうせここで飼い殺しだったんだもの……」

 小さな主の呟きに、ニーケは何もいうことができなかった。

 それが真実だったからだ。


 でも名前は素敵。

 エルランド・ヴァン・キーフェル。

 どんなひとなのだろう?

 

 まだ見ぬ男に想いを馳せ、リザはそっと目を閉じた。


 

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