第45話『羨望とは』
「さっきのヤツ、柵木くんにはどう映ってた?」
隣りを歩く貴水はそう呟く。
ロープを超え、緩やかな山道を歩く俺と貴水。
既に前を歩いていた三留たちは勿論、先ほどの幽霊も姿も見えなくなっていた。
貴水の言葉に、俺は、俺たちの横を通り過ぎて行ってしまった幽霊の姿を思い出す。
まるで燃え死んだかのように黒くなった身体は、表面の皮膚は爛れ落ち骨とも肉ともわからなかった。体格は男性のようだったが、身体の中の水分も脂肪も焼けてしまったのかガリガリにやせ細っており、見るも無残、そういう言葉しかでてこない有様だった。
俺が、『俺の見たもの』を告げると、貴水は「やっぱり柵木くんは『眼が良い』んだね」と他人事のように呟く。
「俺にはね、何か黒いモヤのようなものが見えるだけなんだ。ネットで通信状況が重いと画像がちゃんと読み込まれなくて歪んだり絵が潰れたりすることってあるじゃない。あれに似てるかな。あいつらは俺の視界にはキチンと反映されないバグみたいだって、最近は思うようにしている」
「バグ……」
「でも柵木くんはどれも鮮明に見えてるんだね。人間と幽霊は区別がつくの?」
その言葉に俺は人生最初に見た『常人に見えないもの』であるあの女を思い出す。不気味だと思ったけれど、それが幽霊だと思わなかった。あの時から全てが始まったのだと思い知る。
「……区別がつかない時もある」
そう呟くと、貴水は「そっか」とやはり他人事のように呟く。
そんな話をしている左の方が小高い丘のようになっておりその丘の上に老朽化の激しい、昔は白かっただろう塀が見えてくる。
その塀が見えてきた頃から、俺は思わず身体が震えるような感覚に襲われる。
急にこのあたりの気温が下がってきたような、肌を冷たい風が撫でるような感覚。もう夕方だから気温が下がってきたのだろうかと、思わず肩や腕を摩る。
貴水もその気温の低下を感じたのか、「五月だけどこの時間帯って冷えるね」と呟く。そして不意に「君のこと、堂土から聞いたんだ」と言い放つ。
……そんな気はしていた。
そもそも高校に入って、学内では『常人に見えないもの』にあからさまに反応しないように努力していた。四月と五月の俺の言動から、俺に『常人に見えないもの』が見えるとは考えられないはずだ。
それならどうして貴水は俺が『見える』ということを知ってたのか。
結論は簡単だ、貴水の近くに昔の俺を知っているヤツがいたのだ。貴水がバスケ部なのはクラスでも周知だったし、今日の放課後に細江が堂土のことを『バスケ部野郎』と言い放ったのを聞いてアイツがバスケ部だとわかった。
貴水も堂土も同じバスケ部。これ以上しっくりくる答えもない。だから俺は素直に「そんな気はしてた」と陰鬱な表情で返す。俺の顔色が酷かったのか貴水は同情を含ませたような笑いを浮かべる。
「聞いたとき、まず思ったのが柵木くんの視界には世界がどう映っているのか、それに興味が沸いた」
「厄介だよ。生きてるものもそうでないものも同じ明瞭度で映るんだ。さっきのもそうだったけど、あんな恐ろしいものが家族や学校のヤツ等と同じように立っている。俺はそれが恐ろしいし、せめて区別がつけばいいのにと考えない日はなかった。……ますます貴水が羨ましいよ」
心の底から羨ましく思う。
でも。
だけど。
そう呟いた瞬間、貴水の足が止まる。
俺は数秒遅れて貴水が立ち止まったことに気が付き振り返る。どうかしたんだろうかと不思議に思いながら貴水の顔を見る。
彼は俯き気味で、二メートル程離れた俺からはその表情がすぐにわからなかった。
「貴水?」
俺が声をかけると、貴水はゆっくりとした動きで顔を上げて俺を見る。
貴水はまるで俺を責め立てるかのような鋭い目で俺を見ていた。
敵意がそこには確かにあった。
その視線に、俺はまるで蛇に睨まれた蛙とはこういう気分なんだろうかと思いながら、思わず息を呑み震え上がるような恐怖が足元から迫り上がってくるような錯覚に早々に貴水から視線を逸らしてしまった。
「よりにもよって」
貴水は詰るような強い口調で話し出すが、俺は顔を上げることができない。その瞬間、土を踏む音が耳に響く。俯く視界の端に貴水の靴の爪先が入り込む。
貴水が俺にゆっくりとしっかりとした足取りで俺に近づく。
「君が俺に
その言葉には業火のように苛烈な怒りと、どういうわけかほんの少し悔しさが滲んでいるような声だった。
『そんなこと』って何だ。俺はさっき何と言ったのか。
数秒前の自分の発言が思い出せないほど、思考が真っ白になる。
じりじりと近づく貴水の靴に焦燥感が噴き上がる。でも顔を上げることができずにいた。
そうしている間に俺の靴と貴水の靴との距離はなくなり、あと一歩で相手にぶつかる距離まで詰まってしまう。だけど俺は貴水の顔を見れなかった。
貴水はそんな俺に言い放つ。
「俺は、君の方が余程妬ましいよ」
貴水の声が鼓膜を揺らすのだけれど、その言葉が余りにも衝撃的で俺は思わず顔を上げてしまう。目の前には貴水の顔があった。
貴水は表情を歪めて、苦々しく俺を見ていた。
貴水が、俺を『妬ましい』だって? 一瞬『妬ましい』の言葉の意味が思い出せなかった。混乱して、困惑して、ただただ呆然を貴水を見るしかできないでいた。貴水は俺を睨みつけてそれ以上は何も言わない。
何と言えない歪な空気が溢れて、呼吸もままならない気分になる。
そんなとき、「おーい」という声がこの空気にヒビを入れる。俺は救いを求めるように声の方を見ると、少し離れた場所で三留たちが立っており、雲野がこっちに手を振っている。
緊張から解放されて安心していると、貴水は俺の横を通り過ぎて先に進んでいた四人に歩み寄る。
その最中「ごめん、俺がロープに引っかかってちょっと遅れたんだ」と遅れた理由をでっち上げながら進む。そこには、もうさっきまでの俺と対峙していた時の貴水はいなかった。
人当たりがよく、クラスの中心にいて、明るくて人気のある貴水だった。
ついさっきまで此処にいたのは本当に貴水だったのか不安になるほど。
俺がその場から動けずにいると、貴水は振り返る。
その人当たりの良い笑みを浮かべて「柵木くん、目的地此処だよ」と俺を呼ぶ。
俺はその声に従う他無く、重い足を引きずるように彼らに歩み寄った。
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