第39話『そこにいない誰かの話』
『貝阿彌マンションのイタコ少年』。
その言葉に稀は今朝から引っ掛かりを感じていた。その言葉に秀生が酷く動揺していたからだ。顔面は蒼白なり今にも倒れるんじゃないかと思えるほどに。
それと同時に稀には『貝阿彌マンション』という単語が耳に貼り付いた。そのマンションは先月末に秀生と花火をした場所だったからだ。
結局あの日のことを秀生は深く話すことはなかったし、何となく聞かないで欲しいという空気を出していたから稀は秀生に直接確認することはなかったが、調べればあの公園のあったマンションの名前はすぐにわかった。
別に花火をするなら学校近くでも出来るところは幾つかあったはずなのに、何故あの場所だったのか。ずっと気にはなっていた。それでも聞くに聞けないでいた。
そんな時、堂土があの言葉を口にした。
『貝阿彌マンション』
ずっと気になっていた言葉が出た瞬間、稀は叱られていた立場ではあったが遂にその言葉の意味がわかるのではないかと期待に満ちた。
だけど。
秀生の、絶望に落とされたような表情を見て稀は衝撃を受けた。
きっとこの言葉は秀生に聞かせてはならない言葉なのだ。それはもう呪いのよう。知りたい、だけど秀生からは何があっても聞いてはならない。
だからもう堂土に聞くしかないのだ。
稀が問うと堂土は持っていたシャーペンを机に転がす。その表情は渋い。
堂土は数秒固まっていたが「そういうことは俺じゃなくて本人に訊けよ」と呟く。
本人、つまり『貝阿彌マンションのイタコ少年』とは秀生のことを指すのかと理解するが、そもそも稀は『イタコ』が何なのかがわからないのだ。イタコと聞こえた瞬間、イイダコと聞き間違えた程だ。
「はあ? 柵木に聞けるわけないじゃない。アンタがそれを言ったらもう引きつってたし。私があれって何だったの、って聞いたらショック受けて傷つけちゃうかもしれないし」
「今ので俺も傷ついたかもしれないだろ」
「アンタの心の傷とかどうでも良い」
稀が冷ややかに返すと、堂土は全く傷付く様子もなく「めちゃくちゃ傷ついた」と呟くが、稀は全く気にする様子もなくシャーペンを動かす。
「柵木の方が今のアンタの何倍も傷ついてわよ。あっ、昨日の靴箱の手紙もアンタの仕業ね」
稀は今朝の秀生の真っ青な顔と、それと同時に昨日の放課後にも同じように血の気の引いた顔をしていたのを思い出し堂土を睨みつける。
この野郎、二日連続で嫌がらせなんて……!!
しかし堂土は怪訝そうに首を傾げ「はあ? 手紙?」とぼやく。
しらばっくれる気か!
稀は今朝順位表を見た時同様の怒りが込み上げてくるが、堂土は全く身に覚えのないという顔だった。
「手紙って? アイツ、不幸の手紙とか脅迫状とか、そんなのまで貰ってるのかよ」
鼻で笑う堂土だが、手紙については本当に知らない、という様子に稀の怒りが急速に萎んでいく。
「……あれ、アンタじゃないの?」
「手紙は知らねえよ、なんだよ、恨み言でも書き連ねてたのかよ。俺も反省文じゃなくてあの野郎への恨み言なら原稿用紙五枚以上の超大作になるな」
そう言って笑う堂土に稀はムカつきを覚えながらも、それでもあの手紙の主が堂土ではないことを納得する。
じゃあ、誰。
あの『嘘つき』と書かれた紙を思い浮かべて稀は考え込む。
そんな稀の様子を堂土はちらりと見ると、唐突に「俺が子供の頃、」と話し出して稀は突然耳に入ってきた言葉に「何?」と返す。
「訊いてきたのお前だろ、『貝阿彌マンションのイタコ少年』」
「あー……。それで?」
稀の中では既に『貝阿彌マンションのイタコ少年』から『昨日の手紙の差出人』へと関心が移っていた。その話も気になるけれど、今更そっちに戻るのかという気持ちだったが、次に堂土から発せられた言葉に稀の関心は引き戻される。
「アイツ、昔はあのマンションに住んでたとき、幽霊がいるって騒ぎ立てたことがあったんだよ。それで周囲が言い始めた、『貝阿彌マンションのイタコ少年』って。周囲の気を引くために幽霊を
堂土は笑えないコントに無理して笑うような表情を浮かべた。
その言葉に稀は驚くが、すぐに違和感が滲む。
えっ、あれ、その話、どっかで……?
知っているような、知らないような。そんな妙な感覚に溺れながら、稀は堂土を冷ややかに見る。
「幽霊騒ぎなんてただの勘違いじゃないの? そもそも幽霊なんているわけないじゃない」
稀は冷たく一蹴するが、堂土は「お前は『いない』って思えるんだな。幸せだな、それはそれで」と吐き捨てる。
その言葉に稀は「え」と思わず声を漏らす。
「結局いるかいないかなんてどうだって良いんだよ。いてもいなくても、俺たちにはどうでも良い事なんだ。だって俺たちはそれを『見る』ことはないんだから。……見えてるヤツってのはそういうもんがいるいないの選択もできないんだろうぜ」
「何の話よそれ」
堂土の言葉の意図がわからず稀は困惑する。
「俺は何が『本当』であるにしたって柵木のヤツが気に入らないって話だよ。アイツは結局あの『マンション』に何かがいるって『呪い』を置いていなくなったんだから。知らなきゃ、誰も疑心暗鬼にならなかったし……俺は自分のしたことに罪悪感なんて持たなくて良かったんだ」
堂土は呟くが、稀にはその結論とその前の幽霊のいるいないの話との関連がわからずただ顔を顰めた。
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