せからしか!

としひろ

第1話 生を受けた

 昭和24年6月、梅雨に入って1週間目の日に、わたしは生を受けた。

 梅雨入り以来降りつづけた雨が止み、久しぶりの青空を皆が享受していた時だった。わたしの母も、隣近所の主婦たち同様に洗濯に勤しんだ。その折に、急に産気づいて産院に駆け込み、わずかその4時間後にこの世に生まれ落ちた。

 体重は800匁(約 3,000グラム)で、当時としては大きい赤児だった。父が42才で母が20才の、共に厄年に生まれた。「不吉な……」と口にした使用人が居たらしいが、そのことが耳に入るやいなや即刻叩き出されたとか。

 当時、商店街の中で父の店に羽振りの良さでは比肩できる店は少なかったらしい。化粧品を主体として日用品やら雑貨品等も扱っていたという。兄の出生時には大手の化粧品メーカーから花輪が届けられたと、大騒ぎになったとか。さすがに次男となるとそこまでのことはなかったけれども、多数の祝いの電報が届いたということだ。

 けれどもわたしは父にとって疫病神だったのか、わたしの交通事故がきっかけで店が傾き始めてしまった。3才ごろのことだった。大通りに面していた父の店に向かい合っていた洋菓子店によちよち歩きで駆け出した私が、オート三輪車に轢かれてしまった。

 頭蓋骨の一部が割けてしまい、生命の危機に陥った。不思議なことなのだけれど、その事故直後のことをこと細かに覚えている。母の腕に抱えられて商店街の中を駆けているわたしを、頭上から見ているわたしがいた。鼻の辺りからイチゴの粒をすりつぶしかけたような、真っ赤な血が噴き出ていた。多分小さな泡が混じっていたのだろうが、そのときのわたしには、イチゴに見えた。

「親から聞いたことを、自分で見たものと勘違いしたに決まってる」

 その話をする度に、否定される折の言葉だった。母親に確認をしたことはないけれども、幼い子どもにそんな地獄絵図を話すものだろうか。わたしには、今でも「やっぱり見たんだ」という思いが強い。

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