恋の予感…… ①

 ――愛美の高校生活がスタートしてから、早や一ヶ月が過ぎた。


「愛美、中間テストの結果どうだった?」


 授業が終わった後、愛美の部屋に遊びに来ていたさやかが愛美に訊いた。

 最初は殺風景だったこの部屋も、さやかと二人で買い揃えたインテリアのおかげで過ごしやすい部屋になった。

 カーテンにクッション、センターラグに可愛い座卓。三年生が開催していたフリーマーケットで安く買えたものばかり。さやかのセンスはピカイチだ。


「うん、よかったよ。学年で一〇位以内に入った」


「えっ、マジ!? スゴいじゃん!」


 愛美やさやかの学年は、全部で二百人いる。その中の一〇位以内というのだから、大したものだ。


「そうかなあ? でもね、あしながおじさんが援助してくれなかったら、わたし住み込みで就職するしかなかったんだ」


「へえ、そうなんだ……。じゃあ、そのおじさまにはホントに感謝だね」


 さやかにも珠莉にも、あしながおじさんのことは打ち明けてある。二人とも、愛美のネーミングセンスは「なかなか個性的だ」と言っている。

 ……もっとも、このニックネームの出どころがアメリカ文学の『あしながおじさん』だということは話していないけれど。


「うん、ホントにね。――ところで、さやかちゃんと珠莉ちゃんの方はどうだったの? 中間テスト」


「…………う~~、ボロボロ。というわけで明日、補習あるんだ。二人とも」


「あれまぁ、大変だねえ……」


「そうなのよ~。高校の勉強ってやっぱ難しくなってるよね」


 さやかだって、中学まではそれほど成績も悪くなかったはずだ。……珠莉の方はどうだか知らないけれど。


「でもさ、愛美は勉強はできるけど流行にはうといじゃん? こないだだって『〝あいみょん〟ってこの学年の子?』って訊いてたし。タピオカも知らなかったでしょ?」


 さやかが愛美のやらかしエピソードを暴露した。

 人気シンガーソングライター〝あいみょん〟を「この学年の子?」と言ってしまったのは、入学して間もない頃のことである。その話が学年全体に広まってしまったせいで、愛美は〝ボケキャラ〟認定されてしまったのだ。


「あれは……、ボケとかじゃなくてホントに知らなかったの! 施設にいた頃はあんまりTVも観られなかったし、近くにコンビニもなかったから」


 流行に疎い愛美は、周りの子たちの会話になかなかついて行けない。さやかがいてくれなかったら、きっとクラスで一人浮いていただろう。


「あのさ、愛美。周りの子の話にピンとこない単語が出てきた時のアドバイス。そういう時は、スマホでググるといいよ」


「〝ググる〟?」


「うん。スマホ貸して?」


 さやかにスマホを手渡すと、彼女は画面を操作しながら愛美に教えた。


「ここに〝G〟のついてる検索エンジンあるじゃん? この部分に調べたい単語を打ち込んで、検索のキーを押すの。そしたら検索した結果がいっぱい出てくるから」 


「なるほど……。ありがと、さやかちゃん! わたしもやってみる!」


 愛美はさやかにスマホを返してもらうと、早速検索エンジンに「あいみょん」と打ち込んでみた。


「へえ……、こういう人なんだ。一つ知識が増えた。ありがとね、さやかちゃん!」


「いいのいいの。また何か分かんないことあったら訊いてね」


「うん!」


 知らなかったことを一つ知れたことももちろんだけれど、スマホを通じてまたさやかと親しくなれたことが、愛美は嬉しかった。


「――ところでさ。夏休みの予定ってもう決まってる? 行くとこあんの?」


 さやかが唐突に話を変えた。まだ五月の半ばだというのに、早くも夏休みの話題を持ち出す。


「ううん、まだ何も。おじさまに相談しようとは思ってるけど……。施設に帰るわけにもいかないし」


「だよねえ」


 どうやらさやかも、愛美がそう答えるらしいことは予想していたようだ。


「? 何が訊きたいの、さやかちゃん?」


「いや、せっかく女子高生になったのにさあ、女子校だと出会いがないなあと思って。夏休みになれば、恋のチャンスもあるかなーって」


「恋……」


 愛美の口からは、それ以上の言葉が出てこない。何せ、恋の経験が全くないのだから。


「ねえ、愛美のいた施設って男の子もいたよね? そこから恋に発展したりは?」


「ええっ!? ないよお。施設にいた男の子はみんな兄弟みたいなもんだったし」


「じゃあ、中学までの同級生とかは? 男女共学だったんでしょ?」


 さやかはなおも食い下がる。


「それもないよ。だって、学校の男の子たちからは同情しかされなかったもん。わたし、施設で育ったからって同情されるの大っキライなの」


「そうなんだ……。じゃ、今まで一度も恋したことないの?」


「うん、まあそうなるよね。……でも、初恋がまだって遅いのかな? 世間的には」


 自分が世間的にズレていることは愛美自身も分かっていたし、ずいぶん気にしてもいた。

 中学時代の友達の中には、好きな人どころか「彼氏がいる」という子もいた。愛美は「自分は自分、焦る必要なんかない」と自分に言い聞かせていたけれど、やっぱり少しくらいは焦るべきだったんだろうか?


「まあ、それは人それぞれでしょ。気にすることないよ。あたしもおんなじようなもんだし」


「えっ、そうなの?」


「うん。なんかねえ、同世代の男ってガキっぽく見えるんだよね。だから異性に興味なかったの」


 さやかはクールに答えた。

 確かに愛美も、同じ年代でも女子の方が考え方が大人で、男子の方が子供っぽいと雑誌か何かで読んだことがあったかもしれない。


「そっか。でも、そうだね。これから先、わたしたちにもいい出会いがあるかもね」


「うん、そうだねー。――あ、あたしはそろそろ部屋に戻るよ。宿題やんなきゃ」


 さやかは学校が終わるなり、制服のまま愛美の部屋に来ていた。

 おしゃべり夢中になっているうちに、夕方の五時半になっていたのだ。あと三十分ほどで夕食の時間になる。


「うん。またご飯の時にねー」


 愛美も立ち上がって、部屋の入り口までさやかを見送りに行った。……といっても、部屋は隣り同士なのでけれど。


「わたしも着替えなきゃ」


 そういえば愛美も制服のままだった。

 長袖のカットソーとデニムパンツに着替えると、勉強机の上に国語の宿題を広げる。


(そういえば今日、国語の先生にめられちゃったな……)


 宿題を片付けながら、愛美は思い出し笑いが止まらない。

 それは、この日の国語の授業が終わった後のこと。愛美は国語の教科担当の女性教諭に呼び止められたのだ。


 ――『相川さん、ちょっといい?』

 ――『はい。何でしょうか?』


 女性教諭はニコニコしながら、愛美にこう言った。


 ――『中間テストの最後の問題に出したあなたの小論文なんだけど、着眼点が面白かったわ。なかなか独創性豊かだったわよ。あなたは確か、小説家になるのが夢だったわね?』

 ――『はい、そうですけど』

 ――『やっぱりね。だからなのね、発想がユニークなのは。あなたになら、面白い小説が書けそうね。私も楽しみだわ』

 ――『ありがとうございます!』


 定年間近の女性教諭は、どことなく〈わかば園〉の聡美園長に似ている。愛美のお気に入りの先生の一人だ。

 そんな先生から期待されたら、愛美にもますます「頑張ろう!」という意欲が湧いてくるというものである。


「よぉーっし! これからもっと文章力磨くぞー♪」


 愛美は俄然がぜんやる気になったのだった。


****


 ――その翌日。六限目までの授業が終わり、愛美がスクールバッグを持って寮に戻ろうとしていたところ。


「――ええっ!? 今からいらっしゃるんですの!?」


 スマホで誰かと電話をしているらしい珠莉の戸惑う声が、廊下から聞こえてきた。


(……珠莉ちゃん? 誰と話してるんだろう?)


 愛美は首を傾げた。でも、誰か珠莉の知り合いがこれからこの学園を訪ねてくるらしいことだけは何となく分かる。


「もう近くまで来てらっしゃる!? ムリですわ! 私、これから補習授業がありますのに!」


 珠莉は相当困っているらしい。

 補習を受けなければならないのは中間テストの成績が思わしくなかったからで、それは自業自得なのだけれど。相手は珠莉の都合などお構いなしのようで、愛美としてもちょっと彼女がかわいそうに思えてきた。


「……分かりましたわ。私は案内して差し上げられませんけど、誰かに代わりをお願いします。それでも構いません? ……ええ、そうですか。じゃあ、失礼致します」


 通話を終えた珠莉は、大きなため息をついていた。


「珠莉ちゃん。電話、誰からだったの?」


「あら、愛美さん。叔父おじからですわ。これからこの学校を訪問するから、案内を頼みたいっておっしゃられて」


「叔父さま……」


(……あれ? 確か『あしながおじさん』にもこんなシチュエーションが出てきたような)


 愛美はふと思い当たり、そして次の展開の予想もできた。


(この流れだと、もしかして……)


「ねえ愛美さん。あなたは今日、これで学校終わりよね?」


「えっ? ……あー、うん。補習受けなくていいし」


(やっぱり)


 愛美の予想は的中したようだ。珠莉はどうやら、愛美に叔父の案内役を頼むつもりらしい。


「なになに? 何のハナシ?」 


 いつの間にか、さやかも廊下に来ていた。


「じゃあ、あなたに叔父の案内をお願いするわ。補習は四時半ごろ終わる予定だから、その頃に私を電話で呼んで下さいな」


「ちょっと珠莉! 愛美にだって断る権利くらいあるでしょ!? そんな一方的に――」


 さやかが愛美を擁護ようごする形で、二人の間に割って入った。


「いいよ、さやかちゃん。珠莉ちゃん、わたしでよかったら引き受けるよ」


 とはいえ、嫌々でもなかった愛美はこころよく珠莉の頼みを受け入れた。

 実は内心、珠莉の叔父という人物がどんな人なのか興味があったのだ。


「いいの、愛美? 引き受けちゃって」


「うん、いいの。今日は宿題もないし、部屋に戻っても本を読むくらいしかやることないから」


「あら、そうなの? ありがとう、愛美さん。じゃあお願いね。――さやかさん、補習に遅れますわ。行きましょう」


「え? あー、うん……。いいのかなあ……?」


 さやかは少々納得がいかないまま、後ろ髪をひかれるように珠莉に補習授業の教室まで引っぱっていかれた。

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