Ⅲ
次の土曜日、約束の時間は9時ちょうどだったけれど、私はその15分前に約束の場所の自宅の最寄り駅の駅前で先輩を待った。
9時ちょっと前に、先輩の大型バイクが駅前のロータリーに入ってきた。そのまま先輩は私を見つけ、私の前までゆっくりと走ってバイクを止めた。一旦エンジンを止めてバイクから降りた先輩は、バイクのヘルメットホルダーに吊るされたフルフェイスのヘルメットを取り外し、私に差し出した。私はそのヘルメットを受け取ってから、まじまじと見つめた。地味な色のごついヘルメットだった。
先輩が被っていたヘルメットは、鮮やかな色使いでデザインも華やかだった。それは、私にはまるで女性用のヘルメットのような気がした。
「先輩、私、今先輩が被っている方が好きです。」
思わず先輩にそう言ってから、しまった、と思った。ちょっと図々しいことを言ってしまったと。
先輩は、自分が被っていたヘルメットを脱いだ。乱れた髪型をばさりと直す姿が格好良かった。
「そっちは以前自分が使っていたもので、これは去年から使い始めたんだけど、こっちの方が良いならこっちを使いな。」
先輩はそう言うと、自分のヘルメットを差し出した。
「すみません、私図々しかったですね。」
「いいよ、こっちの方がきれいで君に似合うだろ。」
先輩はそう言うと、私の手からヘルメットを取り上げ、自分が持っていたヘルメットを私に預けた。そして、軽い口調で付け足した。
「ちょっと“くせ”のあるヘルメットだけど、気にしないでくれ。」
私は意味がわからずに、曖昧に頷いて改めてヘルメットを見直した。右斜め後ろに、こすったような傷があった。“くせ”って、このことかな、と思いながらヘルメットを被った。
先輩は、リアシートの乗り方や、走行中や停車時の注意事項を丁寧に教えてくれた。
初めてバイクのリアシートに乗る私は、かなり緊張していたと思う。先輩に教わった通りにリアシートに跨り、一方の手を先輩の体に回してしがみつき、もう片方の手はキャリアのステーをしっかりと握りしめた。
「いいか、最初はおとなしくゆっくり目に走るからな。」
先輩は私を振り返ってそう言うと、バイクを発進させた。
怖かった。これでもおとなしい運転なのか、普通に運転したらどうなるのかと思った。
バイクが発進するときは後ろに置いていかれそうになり、ブレーキをかけたときは先輩の体を飛び越えて前方に投げ出されるのではないかと思った。カーブを曲がるときは、車体がイン側に倒れ込み、怖くて反射的に反対側に重心をかけてしまう。曲がろうとするバイクを私は直進させようとする、そんな形になってしまい、先輩はさぞかし運転しづらかっただろう。
しばらく走ったところで、先輩は道の脇にバイクを止めて、私を振り返った。
「乗り方を変えよう。今の乗り方は割と上級者向けだった。」
先輩はそう言うと、キャリアのステーを握りしめていた私の手を取り、自分のお腹に回した。
「両手でしっかりと俺の体にしがみつけ。」
先輩がそう言うので、私は先輩のお腹の前でお祈りするときのように両手を組んだ。
「そうじゃない、こうするんだ。」
先輩は私の両手を90度づつ回し、両手の全ての指をフックのように曲げて嚙み合わさせた。
「これはインディアン・グリップと言って、人間が手を組むときに一番強く組めるグリップなんだ。」
先輩はそう言うとバイクを発進させた。
今度は先輩にぴったりと密着しているので、先輩の動きと自分の動きが完全に一致していた。だからあまり怖くはなくなったが、先輩に密着しているのが、恥ずかしかった。父親以外の男の人にしがみついて、背中に密着するのは生まれて初めてだったので、恥ずかしくて堪らなかった。ひょっとしたら、恥ずかしい方が大きくて怖さを感じる余裕がなくなっていたのかもしれない。だけど、先輩の背中の温もりが自分の体全体に伝わってきて、恥ずかしい一方で嬉しかった。
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