その88 起きたら失っているものってなーんだ

「では我が主よ、現実に帰るといい。もう朝日が近い。日課のランニングが待っているぞ」

「ううっ、嫌なことを思い出させますね……」


 言われてみれば真っ黒だった夜空はいつの間にか白んでいて、この夢の世界の終わりが近いことを示していた。

 エクシュの言う通り、起きたらすぐに走らないといけないのだけど……全然休んだ気になれない!

 気分的にはずっと歩いてるのと一緒だよこんなの!


 夢で会話できるのはファンタジー的で大変よろしいのだけど、眠った気になれなくて翌日に響くのは最大の弱点だった。

 やっぱり睡眠は夢も見ないほどにぐっすりに限る……。


「我が大変軽い剣で良かったではないか。女子憧れのスリムボディである」

「重りにならないのはいい子なんだけどね……あれ、エクシュって男性だよね?」


 こうやって直に話してみるまで剣の性別なんて考えたことがなかったけれど、話し方と声色を見れば男性であることは一目瞭然(声は見えないけど)だ。

 それに昔やっていたゲームの影響で、私は剣の擬人化は男性だという固定概念に囚われている。

 女性の方の擬人化もあったけどね?


「特に決まってはおらぬ。何となく男性のように振舞っているだけと言えるな。主がお望みならば女性らしくもなれるが、どうする?」

「ままままま、マジで!?」


 重要ではないけれど性癖を左右させる選択肢が急に舞い降りてきて、私は超動揺し同時に超興奮した。

 女性にもなれちゃうのー!?


「ええー!? きゅ、急に言われても困るよー! 私、そういう性別選択に一生悩んじゃう人なんだから! RPGで主人公の性別とか選べるともうそれだけで手が止まっちゃって無駄に長引いちゃうし、ソシャゲでも似たような悩みが尽きないの! ゲーム進行中に変えるようにして欲しい! エクシュについてはうーーーーーーーん……もう初対面での印象が強すぎるから今から女性っぽく振舞われても戸惑いが大きいかも」

「要約すると今のままでいいということであるな」

「そ、それで!」


 急激な変化に弱いオタクなので、結局、現状維持を選んでしまう。

 姫っぽい剣も捨てがたかったけどなぁ……!

 男性も女性も……どっちも……どっちも好きすぎるもので!


「あっ、でも男性に急に話しかけられるとびっくりしちゃうかも」

「いや、現実では我が話した言葉はやや認識し辛くなる。何か聞こえたかな?くらいに感じられるだろうから、会話は困難だと考えて欲しい」

「あー! だからずっと何か声が聞こえるなーって思ってたんだ!」

「うむ、まあ、そういうわけであるから我のことは羽音くらいに思っておけば良い」

「いくらなんでも自嘲しすぎではー!」


 ではーではーではーと私の声がこだましながら夢の世界は閉じていく。


「ではまた現実で」


 エクシュの声を遠くで聞きながら、やがて意識は混濁していき……気付けば私はベッドの上にいた。

 そしてガバっと勢いよく目を覚ました私は恐怖することになる。


 何とも奇妙な夢の内容を思い出して恐怖した……わけではない。

 むしろその逆。

 夢の内容をまるで思い出せなかったことに対して私は恐怖したのだった。





 何か気掛かりな夢から目覚めた私は、その夢の内容をほとんど忘れてしまっていた!

 いや、夢なのだからそれが普通なのだけど、今までは全て記憶していたからこれは結構衝撃的だった。

 いつも重要な情報ばかりがくる夢世界の話を忘れてしまうなんてー!


 エクシュが最初に話していたことだけはかろうじて覚えているのだけど、それ以外が全て飛んでしまっている。

 手土産とかどうなったの!? 効果あったの!?


「やはりここから夢世界まで連れて行くのは無茶があったか……まずいことになった」


 何処からか声が聞こえる気がするけれど、その声を私の耳は捉え切ることが出来ない。

その渋い声は早朝の空に囀る小鳥の鳴き声にかき消されていく。


困り果てた私はじっとしていられずにベッドを下りてそわそわと部屋を歩き回る。

う、動いた方が脳が活性化して思い出せそうな気がするし……。

 

「に、ニムエさんのところまで行ったのかな? それすらできてなかったもう何もできてないのと同じだけど……いやいやいや、それよりも問題は──」


 私はじっと自分の手の平を眺める。

 そう、最大の問題であり恐ろしい謎は私の手の中にはあった。

 目を覚ました私の手には──謎の瓶が握られていたのだ。


「何これ!!!!!! 透明な液体か何か入ってる? えっ、本当に何!? 怖い怖い怖い!!!!」


 毒!? エリクサー!? 世界樹の雫!?

 もう本当に夢で何があったのー!


「ラウラ様、どうしましたの? 朝からそんなにお騒ぎになって」

「ローザ! ええっと、どこから話したらいいものか……」


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