第7話心をなで斬りにされる

 縄張から作事に至るまで、隅々に工夫を張り巡らせた築城。

 それ一つが武蔵国そのものだと錯覚してしまいそうな名城。

 そんな強固で巨大な江戸城を前にして、士気が下がってしまうのは仕方なかった。


 一応、一万三千で包囲しているものの、力攻めでは到底落とせないと誰もが分かる。

 一体、どこから攻めればいいのか。定かではないほど圧倒的威圧感だった。


 俺は雪隆と島、忠勝と弥助、そしてなつめと丈吉たちと軍議を行なうことにした。


「俺は、このまま包囲するべきと考えます」

「同じく。力攻めではとても落とせません」


 雪隆の言葉に忠勝が同意した。これは義理の親子だからというわけではなく、当たり前な判断に賛同しただけだ。

 それに加えて、島が「援軍を豊臣家に要請しましょう」と進言した。

 駿府城攻め以来、まともに口を利いていなかったが、真っ当な意見だから俺も頷いた。


「確かに、一万三千では攻略は厳しい。すぐに使者を出してくれ」


 弥助は黙って頷いて、陣から出た。

 それから「兵糧攻めをするにしても、今回は難しい」と俺は言う。


「おそらく大量の兵糧を確保しているはずだ。何年も準備していたのだからな」

「……なるほど。こたびの戦のために作られたのは明白ですからな」


 島の言葉どおりだった。立地や周辺の地理を考慮――計算して作られている。

 ここは平地だから打ち下ろしもできない。

 また川の流れを利用した水攻めもできない。


「だが、江戸城が落ちれば、小田原城も落ちるだろう。何故なら江戸城は防護に関しては小田原城以上だ。この城が落ちたと知れば、士気は著しく下がる」


 逆に言えば、江戸城が落ちない限り、小田原城は篭城し続けるということだ。

 それは由々しき問題である。

 流石に稀代の名将、徳川家康と黒田如水の創りし城だった。


「なつめ、丈吉。兵糧を焼くことはできないか? 駿府城と同じように」

「あー、それは無理ね。向こうには伊賀の生き残りがついているもの」


 伊賀の生き残り……かつて織田信長公が行なった、伊賀攻めを生き残った者。

 俺は、進言したのが父さまであることを知っていた。

 因縁深い相手だった。


「向こうは当然、兵糧を焼き払うことを警戒しているでしょう。我ら全員が挑んでも、成功しません」

「そこまでか……まあいい。仕方あるまい」


 その後、俺は軍議を進めたが、兵糧攻め以外の良策は生まれなかった。

 せめて搦め手などがあれば良いのだが……


「との。すこしいいか?」


 使者の準備をしていた弥助が、困惑した顔で戻ってきた。


「うん? どうかしたか? 何か問題が?」

「その、えどじょうから、ししゃがきた」


 江戸城から使者?

 まだ戦が始まる前だというのに、一体何の用だろうか?


「その使者はなんと?」

「いや、ないようより、そいつじたいがもんだいだ……」

「そいつ自体? 一体どういうことだ?」


 俺の問いに弥助は戸惑いながら言った。


「そいつは――くろだじょすいだった」

「……はあ?」


 黒田如水。

 かつて父さまの仲間であり、秀吉公の軍師であり。

 今は敵方として戦っている男だった。




「あひゃひゃ。久しぶりだなあ。秀晴」

「……よくまあのこのこと顔を出せましたね」


 敵中にいながら、余裕な態度を見せる如水。

 白装束のように真っ白な着流し。

 とても戦に臨む姿ではない。

 自分が死なないと思っているのだろうか?

 もちろん、この場で殺すこともできるが……どうしたものか。


 この場には雪隆と弥助を同席させている。

 また陣の外には忍び衆を配置してある。


 だが黒田如水はたった一人で俺に向かい合っている。

 度胸では負けた気がしてしまう。


「ふへへへ。まあそんな怯えるなよ。取って食おうってんじゃねえよ」

「……怯えてなどいません」

「そうか? まあじじいの戯言だと思って聞き流せ」


 見透かしたような言葉に心がざわつく。


「それで、何の用ですか? 世間話をしに来た訳ではないでしょう?」

「ひひひ。まあな。そんじゃ、単刀直入に言うぜ――」


 如水は不敵な笑みを浮かべたまま、俺に言った。


「――寝返ろ。俺たちの側に着け」

「なん、だと……?」


 俺は度肝を抜いた。

 名軍師の黒田如水が俺を調略している――


「ふざけるな! 殿がそんな甘言に乗るわけないだろう!」


 雪隆が一歩踏み出して、如水に近づくのを――手を挙げて止める。


「……殿?」

「雪隆の言うとおりだ。俺の答えは『ふざけるな』だ」


 豊臣家に恩ある俺を引き抜こうなんて、ふざけた話だった。

 しかし如水は「ふざけるな、か……」と嘲笑った。


「でもよ。俺の目から見ると、お前のほうがふざけているぜ。ふひひひ」

「どういうことだ?」

「まあ待て。俺の話を聞け。それから答えをまた聞こうじゃないか」


 人差し指を振りながら、如水は笑った。


「なあ。お前どうして豊臣家の味方しているんだよ」

「決まっている。俺は豊臣家に恩が――」

「違うだろう。お前ではなく、雨竜家が豊臣家に恩義あるんだ。決してお前自身が恩を受けているわけではない」


 如水はにやにや笑いながら「そこがおかしいんだよ」と肩を竦めた。


「お前はあの雨竜雲之介秀昭を超えたいんじゃなかったか?」

「……何が言いたいのか分からんが、一応答えてやる。ああ、超えたいと願っている」

「だったら――どうして豊臣家の味方して、俺たちと戦っているんだよ」


 言っていることが判然としない。

 だが次の言葉で――核心が突かれた。


「どうして、雨竜家の天下を望まないんだ?」

「――っ!?」

「天下統一を志さないんだよ、お前は」


 まるで足元が崩れる思いがした。

 そんなこと、考えたことが無かった。


「はっきり言うぜ。お前は雲之介を超えることはできねえ。俺の目から見ても、そこそこの才気はあるが、超えることはできっこねえ」

「…………」

「でもよ。才能で超えられなくても、偉業を成せば――超えられるぜ」


 如水の口調が次第に熱を帯びる。


「うけけけ。父親を超えたいんなら、父親の創ったもんを守るんじゃなくてぶっ壊せよ。それしかねえだろう。今のままなら、雲之介の創ったもんを受け継いだだけの二代目だぜえ」

「そ、それは――」

「俺が言いたいのは、豊臣家の天下じゃなくて、雨竜家の天下にしちまえよってことだ」


 何か言い返そうとして――できない自分がいる。

 反論が――できない。


「お前は二代目の秀勝に友情を感じているだろうが、そんなのまやかしだ。用済みになったら、屑入れに捨てられるぞ? この俺がそうだった。狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る。意味分かるだろう?」


 呼吸が荒くなる。

 如水の言葉は続く。


「もちろん、俺と家康の下につくことになるけどな。でもお前は若い。俺と家康が死ねば天下を引き継ぐのはお前だよ。田舎大名の北条家じゃ天下取れねえしな」

「…………」

「なあ秀晴。清く正しく生きたいのは分かるけどよ。堕ちてみろ。こっちのほうが楽しいぜえ」


 俺は、からからに渇いた口を無理矢理開いて、如水に言う。


「お、俺は、丹波一国の主だ――」

「はん。そんなのすぐに転封されちまうぞ? この戦に勝ったら、関東に飛ばされるぜ」

「そんなことは――」

「ありえないか? いや、ありえるね」


 如水は笑顔のまま、俺に問う。


「もう一度訊くぜ。俺たちの側につけ。返事はそれでも『ふざけるな』かな?」


 心をかき乱されるような。

 心をなで斬りにされるような。

 一言一言が、俺の心を――


「殿。そのような甘言に乗ってはいけません!」


 俺の肩を叩いたのは、雪隆だった。

 後ろを振り向くと、雪隆は殺意を帯びた目で如水を見つめていた。


「いつかの松永久秀を思い出す。貴様の甘言など聞くものか」

「俺は、秀晴に言ったんだぜ」

「黙れ。殿の答えは変わらない――ふざけるな、だ」


 俺は力無く、頷いた。

 言葉を発することなど、できなかった。


「……しょうがねえなあ。俺たちと一緒に来たら楽しいのによ」


 如水は杖を使って、その場から去ろうとする。

 その背中に、俺は言う。


「お、お前は、本気で、勝つつもりなのか?」

「ああそうだ」

「策はあるのか……?」


 俺の言葉に振り返ることなく「あるね」と答えた如水。


「一つ、言っておこう」

「……なんだ?」

「俺たちの誘いを断ったことを、いつか後悔するときが来る」


 そして陣を出る際に捨て台詞のように言った。


「そんとき、お前はどんな顔をするかな? うひゃひゃひゃひゃ!」


 正直に言おう。

 如水の提案に心を動かされなかったと言えば――嘘になる。

 それくらい魅力的な提案だった。


 俺の心はぐちゃぐちゃにかき乱されて。

 まともに口を利けるようになったのは、しばらく経ってからだった。

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