第2話 名前


赤ん坊を連れ、そのまま店へ戻った。

仲間たちにしばらく休暇をもらうことを説明しなければならない。

たまたま休憩に出ていたあやめは、赤ん坊を連れてきたアベルを見て絶句した。


あまりにも突然すぎて、何から言えばいいのか、分からないのだろう。

赤ん坊も自分のいる場所が自宅ではないことに気づき始めたようで、今にもぐずり出しそうだ。イバラも声を落とし、早口で話す。


「あやめ。これは見えていますか?」


「ええ。この子の上に、ステータスという文字が見えますね。

後は細かい数字が並んでいます。

一応、お聞きしますけど、『勇者』が名前ではないんですよね?」


ついに限界が来た。

店の裏で大きな泣き声が響いた。


「おお、なんと立派な声。

だいじょうぶですよー。こわくないですよー」


「あやめ、目が笑ってない……」


両手を振りながら、引きつった笑みを浮かべている。

子どもに慣れてないのが一眼で分かる。

赤ん坊を揺すりつつ、二人の話を聞く。


「『勇者』はあくまでも肩書きだと思います。

こんな赤ん坊に背負わせるものでもありませんがね」


「何か心当たりは? この時代に『勇者』なんて何かあるとしか思えないのですが」


「心当たりもあることにはあります。ただ、調べるのにも時間が必要ですから。

この後、ゆっくり話し合ってみます」


「私たちで交代で面倒を見るわけには……いきませんよね。

子育ての経験なんて、ありませんもの」


あやめは首を横に振った。


「私も人のことは言えませんから、仕方がありません」


二人とも肩をがくりと落とした。

兄弟はいなかったのだろうか。


「でも、お店に来る子どもたちとは普通に接しているよね?」


「あの子たちはあくまでよその子ですし、ご両親もいらっしゃいますから。

身内となると話は別なんです。

アベルも仕事があるといって、断ってもよかったのでは?

この子に関しては、私たちの領分ではないと思うのですが」


どこか言い訳のように聞こえる。

あやめの言うとおり、暴食堂にいる料理人の役目ではない。


この赤ん坊を見ていると、実家にいる時を思い出してしまうのだ。

どこの家の子かも分からないまま、接していた。

どうしても放っておけなくて、挙手してしまった。


「なんというか、あなたらしいですね」


「ごめんなさい、自分の勝手で引き受けちゃって」


「気にしなくて結構ですよ。

今はこの子を守ってあげてください」


「そういえばね、魔王が言うには『勇者』だと呼びづらいんだって。

だから、名前を考えてくれって言われちゃってさ」


「名前ですか」


「ここにいる間だけの名前ね。何かいい案ないかな?」


短い期間でも、何もないよりはマシなのだろう。

適当に名付けるわけにもいかないし、どうしたものだろうか。


「でしたら、ソラはどうでしょう。

響きもいいですし、覚えやすいと思いますが」


「それ、貴方がハマっている小説の主人公ですよね?」


「何もないよりいいじゃないですか!

匿名と呼ぶわけにもいかないでしょう!」


「匿名が候補にあがるのもどうかと思いますが……アベルはどうですか?」


「完全に趣味だけど、案外、それくらいが気楽でいいかもね」


どちらにせよ、短い期間しかいないのだ。

別れる時に悲しまないほうがいい。


「それじゃ、ここにいる間、君はソラだね」


ソラを両手で抱え上げた。


***


「ごめんね、エリーゼ。

しばらくうるさくなっちゃうけど」


てきぱきと話が進んでいくうちに、店から追い出されてしまった。

必要最低限の荷物を自宅から持ち出し、空き部屋へ持ってきた。


ステータスの画面は消えず、そのまま残っている。ここに来るまで、再びぎゃおんと泣き始めた。赤ん坊らしい大きな声を聴いて、ひと安心した。


背中に抱いて、ソラをあやす。

なんだか実家にいた時を思い出す。


どこの家の子かも分からないまま、一緒に遊びまわった。

いつも誰かの面倒を見ていて、人数も増えたり減ったりした。


「人が増える分には全然問題ありません。

それにしても、本当にこの子が『勇者』なのでしょうか?」


ワンピースの裾をふわふわと揺らしながら、赤ん坊に近づく。


「どうなんだろうね?

ここに書いてあることはさっぱり分からないし」


「一体、何を示しているのでしょうね。

何かの項目のように思えますが……」


結局、この子に関する手がかりは何も見つからなかった。

置手紙の一つでもあればよかったのだが、それだけ切羽詰まっていたのだろう。

子どもを守っているのは籠と衣類だけで、他には何もなかった。

名前すら知ることができなかったのだ。


「ねえ、アベル。

もし、この子のご両親が見つからなかった場合、どうするつもりなのですか?」


「そのことなんだけどね。万が一の場合は、施設に預けてもらおうかなって。

リヴィオがね、いいところを紹介してくれるって言ってくれたから」


意外にもその手の繋がりが強いのがあの男だ。

任せてしまっても問題はないだろう。

エリーゼは安心したように笑った。


「あなたのことですから、最後まで面倒を見ると言い出すと思っていたのです」


「そうしたいのは山々なんだけど……元の世界で暮らせるなら、そっちのほうがいいと思うんだ」


ここは人間の住む場所ではない。

『勇者』といえど、いつまでもここにいていいわけじゃない。

居場所があるなら、そこに戻るべきなのだ。


「そうですね。家族が早く見つかるといいのですが」


赤ん坊を見つめる目は、どこか不安そうだった。


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