第二章 勝ちヒロインは友達がいない その3
ブチ切れ状態の
「はい、こちらー! 必要最小限のものですー!」
見慣れた黒い弁当包みを僕の眼前に突き出した。
「あ、あれ、この弁当箱ってもしかして………僕のやつ?」
「当たり前やろ! なんでうちがうちのお弁当をわざわざ見せびらかしにくんねん。正真正銘、なっちゃんが家に忘れて来た弁当箱じゃ!」
「え、嘘? 忘れてたっけ?」
「え、忘れてたっけ………ちゃうわ、ボケ! ボケとったら前歯と奥歯引き抜いて入れ替えんぞ!」
「ご、ごめん。でも忘れてたんならもっと早く渡してくれたらよかったのに……」
「渡そうとしましたけどねー、何度も何度も! その度にねー! 寄ってくんなみたいにねー! 誰かさんにメンチ切られましたんでねー!」
「おー! あれ、そういうことだったのか」
「あっげっくっ、どっか行きよるしっ! 空っぽの鞄持ってどっか走って行きよるし! なんやあの背中、スタンドバイミーか! 鞄に夢だけ詰め込んどんのか! 見たことないから知らんけどっ!」
「うわー、ごめん! マジでごめん!」
そうか、休み時間の度にやって来ると思ったら。アレ、弁当箱を届けに来てくれてたのか。やってしまった、そりゃあブチ切れるのも無理はない。どうしよう、こうなった
「……あ、あの、
「あぁ〜ん、姫しゃま~~~。やっぱり可愛いねー。ごめんねぇ、お邪魔してぇ」
その一人が、たまたま同室にいて助かった。
「あれ、姫しゃまもお弁当ないやん。忘れたん?」
目ざとく、姫乃が手ぶらで座っていることに気が付いた。
「あ……えっと、忘れたわけじゃない……けど」
「そうなん? じゃあ、もう食べたん? 姫しゃまって早弁とかする感じの子なんや。意外ー」
「いや、そうじゃなくて……食べないから……お昼ご飯」
「は?」
ぎらりと
あ、マズい。これ、入っちゃったかもしれない。
「え? え? どーゆーこと? 食べないってどーゆーこと? ダイエット? せんでええよ、そんな薄いのに!」
ああ、やっぱり。入っちゃったよ、
姫乃は極端な偏食家な上、極端な少食家だ。出会って一年程になるけれどレモンティー以外の物を口にしているところを見たことがない。本人曰く、基本的に一日一食で夜しか食べず、その代わり日中はずーっとレモンティーを飲んでいるのだという。
「いや、アカンアカン! 何その生活、病気になんで!」
そして、根っからのお姉ちゃん気質である
「ちょっとでもいいから無理してでも食べんと! あんた彼氏やのに何やってんのよ。ほら、どいて」
「はい、食べて」
戸惑う姫乃の口元に玉子焼きをずいと突き出した。
「……え? ちょ」
「遠慮せんでええんやよ。どうせなっちゃんのやし。この百三郎はかなりやるよ、めっちゃ美味しいから。はい、食べて。はい」
「百三郎……? 玉子焼き……え?」
「おい、
「はい、あーん」
「………まむっ」
あ、食べた。
「どう? 美味しいやろ?」
「……うん、美味しい……すごく」
その笑顔につられるように、姫乃はこくりと玉子焼きを飲み下した。
えー、食べた。嘘だろ、姫乃が食べたよ。すごいな、本当に物食えたんだ。ちょっとした衝撃映像なんですけど。恐るべし、
「ちょっと、なっちゃん。何、その顔。食事中におもろい顔せんといて」
「悪かったな、変な顔で。いや、驚くって。姫乃がご飯を食べるところ初めて見たよ」
「そうなんや。もしかして、うちが初めてもらっちゃった感じ? まーねー、自信作やしねー。姫しゃまもう一個食べる?」
「う、うん………このお弁当って
「せやでー。朝ご飯と昼ご飯はうちの担当です。居候やし。気ィ遣ってんねん」
「そう……」
誇らしげに眼鏡を指で押し上げる
おっと………これは。今度は姫乃がマズいかもしれない。
レモンティーは姫乃にとって猫のシッポである。全く仕事をしない表情筋に代わってシンプルに感情を表してくれる。
レモンティーがぐいぐい減る時、姫乃は喜んでいる。パックの縁を人差し指で擦る時、姫乃は何かに迷っている。そして、レモンティーがブクブクと泡を立てる時は猫がシッポを左右に振る時と同じ、すなわち姫乃は機嫌を害している。
多分、弁当だ。
姫乃は
そりゃあそうだ。自分の彼氏が他の女の作る弁当を毎日のように食べているという状況が、面白いはずがない。
「あ、あのさ、でも、別に毎日ってわけじゃないよな。ほら、僕が作ろうとした時もあったじゃん? な?」
「あー、はいはい。あったなー。それで失敗しまくって結局うちと一緒に作ることになったんよなー」
「……そう、なんだ。一緒に作った………ふーん。ぶくぶくぶくぶく」
やばい、状況が悪化した。余計なこと喋るんじゃなかった、ちくしょうめ。
「あれ以来、なっちゃん完全にお弁当作るの諦めたよな。感謝しーや。なっちゃんの体の半分くらいはうちの料理で出来てんねんで」
「……ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく」
勘弁してください、
レモンティーが煮立ってます。感謝してますので、これ以上はもう勘弁してください。
「あ、そうや。明々後日、おじさんもおばさんも遅いらしいからうちが晩ご飯作るけど、なっちゃん何か食べたいもんある?」
それ今聞く必要ありますか? 今じゃないと思います! 今ここで一緒に住んでる感を強調するのは絶対に違うと思います!
もう限界だ。早急に
「と、と、
「えー、でもー。百三郎、もう一個食べてもらわんと」
「僕が食べさせる! 僕が責任もって食べさせるから! なっ? 早く行こ」
「めっちゃ急かすやん。お腹空いてんねやったら、なっちゃんもお弁当食べたらええのに」
「いやいやいや、無理だから! ………姫乃の前で手作り弁当はマズいから」
「——あっ」
言葉の後半は小声で耳打ちした。
ようやく状況を察したのか、
「あ、あー! そっかそっか! いや、違う違う違う! 違うよ、姫しゃま。これは別に愛妻弁当とかじゃないから! あくまで姉弟として義務的に作る………そう、愛姉弟弁当やから!」
そして、素早く傷口を広げにかかった。
「……ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく!」
「お、おおおおい、
「あわわわわ、ホンマに違うから。うち料理が好きやから趣味の一環みたいな感じ? なっちゃん一杯食べてくれるから作り甲斐があるって言うか、嬉しいって言うか、食べてる顔が可愛いって言うか……」
「——ぶくっ」
あ、止まった。ぶくぶく止まった。今、姫乃どうなってんの? ヤバい、怖い、振り向けない。
「……がじがじがじがじがじがじ」
めっちゃストロー噛み出した! 見たことないパターン出て来たぞ。これ、どういう感情? どうしてくれんだよ、
「じゃあ……うち帰りますー」
ここでかよっっっっ!
こっこっでっかっよっっ!
待って、帰らないで、お姉ちゃん。今はだめだ。事情が変わった。こんな状態で二人にしないでくれ。
「ほ、ほなねー。百三郎だけ置いとくから。仲良く食べるんやよー。ほなねー」
し、信じらねー、本当に帰りやがった。
かき乱すだけかき乱して本当にお帰りになっちゃったよ、あの女。
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