11. 仲たがい、大浴場

 中休み、午後の部とバルコニーで過ごした。

 くすぐりの一件以来、機嫌をいたく損ねたらしいシャラはエレベア生涯の不覚たる反射的な謝罪に対し、


『……いいですけど』


などと歯切れの悪い許しをだしたあと


『じゃあ続きを』


とすぐに踊りを再開してしまった。

 ふだん愛嬌のある女が憮然ぶぜんとしてひとり舞っている様はなんともいえない拒絶感があり、これでは流石に気まずいとエレベアも客席や舞台をみる間に話しかけてはみたものの、その眉間の小ジワがとれることはなかった。

 夕方まで居座っていくつかの踊りを見取り。午後の部の終わりにあわせてひっそりと客席へ降りて外に出た。

 

 そして今、二人は脱衣所にいる。


「……んっ」


 劇場から通り一本外れた奥にある公衆の大浴場だった。庶民から中級官吏まで、自邸に風呂などあるわけがない市民はたいていここだ。ちなみに旅人用のものもありそっちはいくらか衛生度が低い。

 着替えたばかりの巻き布が間をおかないままにほどかれ、みずみずしい褐色の身体があらわになる。

 つんとした表情は隣のエレベアを気にもしないようで、思わずじっと見つめた視線にも我関せずといった風。

 これ以上なにか言う気力も失せて髪をほどき上着を頭から抜く。


「わ……」


 隣から小さく漏れ聞こえた声。すぽんと視界が開けるとバッと顔をそむけた直後のシャラ。


「灰色の肌が珍しい?」

「いっいえ……いや、まあ、そんなような……」


 視線をそむけたままで若干気まずそうな答えが返る。

 灰白の肌は北方山岳系民族の特徴で、エレベアは父親からそれを受け継いでいる。閉鎖的な部族が多く、メズィスの市場でも見かけるのはまれだ。


「べつに気にしていないし好きに見ていいわよ。減るもんじゃないし」


 物珍しさからか凶兆ともいわれる肌の色。幼いころの裏路地にはそれでも何人か住んでいたし、同郷のよしみで父親とも繋がっていた。表に出てからはイステラーハの後継という触れ込みもあってもっぱらいいハッタリとして機能している。もちろん好奇の目で見られることもままあるが。


「わ、わたしはべつに」


 ぺたんぺたんと堂々とタイルを踏んでいくエレベアをあわてたようにシャラが追う。劇場と同じ青白の列柱に支えられた巨大な天井のアーチはぼんやりと湯気でかすみ、陶磁器の床を浴槽からあふれた湯がひたしていた。王国広しといえどもこれだけ贅沢に水を使う施設は他にないだろう。たとえ王宮であっても。


「あれっ、え、エレベアさーん?」


 不安げな声に振り向くと湯気のむこうの人影になったシャラがあたりを見回している。放っておこうという気持ちとこれ以上険悪になると今後に差し支えるという気持ちがぶつかり合う。


「ほら、こっち」

「あ」


 引き返して手を取るとホッとした笑顔が迎えた。どうしてか大きな安堵がそれ以前のすべての感情を上回る。


「ゆ、ゆっくり歩いてください、初めてなんですから」

「そうね、悪かったわ」


 手を引いて湯道具売りを探しながら短く応じた。きゅ、と手が握られる。

 売り子から香油と貝殻を砕いた粉の入った小袋を買うと湯船の脇に移動した。


「座りなさい、洗ってあげる」

「あ、わたしがやっちゃダメですか?」

「えぇ?」


 言う間にシャラは粉袋に香油を垂らすととちゅこちゅこと揉む。


「得意なんです。姐さま方に仕込まれたので」

「まあいいけど……」


 垢すりなんて誰がやってもそう変わらない気がする。

 手首が持ち上げられ、二の腕をシャラの香油をなじませた手のひらが滑った。


「ん……後宮でも年下ってのはこき使われるの?」

「トーゼンです、大変ですよ朝ごはんから夜のお布団まで」


 シャラはくたびれたように、でもどこか嬉しそうに話す。背中越しの声は耳に心地よかった。


「布団なんてそう毎日替えないでしょう?」

「あぁいえ、わたしが姐さま方の布団になるんです、こう、ぎゅーっと」


 なんの気なしに後ろから軽く抱きしめられて背筋がピンと張る。何だそのお気楽お花畑な仕事は。


「取り合いになるんですよ、勝手に。わたしだって寝る場所くらい選びたいのに」

「へぇ、それは、大変ね」


 うわの空で相槌をうった。離れたシャラの手が粉袋で香油を塗った肌をこする。

 もにゅもにゅと絶妙な力加減であてられるそれはまるでシャラの手のひらに柔らかい肉球がついているかのようだった。


「んふ……」

「くすぐったいですか? もうちょっと強くしますね」


 腕の筋をほぐすように小袋が周回する。自分で言うだけあって確かに気持ちがいい。


「その、お姐さまがたを頼ろうとは思わなかったの? 後宮を出るときに」

「皆さんご実家がありましたし……わたしみたいのがおジャマしたら今後の良縁も遠のくだろうと思って」

「そう……」

「エレベアさんはどんなお仕事を?」


 腕を終えて指の間をシャラの指が出入りする。自分で洗える箇所だがするに任せた。


「稽古よ。身の回りのことはほとんどテオドシアがやってくれたわ」


 世話役だった彼女の力強すぎる洗い方とはちがう気持ちよさに天井をみあげた。


「アタシにとって、おばあ様の技を受け継ぐことが全てだったから。それ以外は求められなかった。……なのに」


 ふと、そういえば自分も婿むこ探しなんて命じられていたなと思い出す。この期におよんで従うつもりなど毛頭ないが、そういうことを期待されていたという事実は少なからず衝撃だった。


「シャラ、アナタ結婚は?」

「へえっ、何ですかやぶから棒に?」


 振りかえった勢いで腕を戻る手のひらが腋下へとすべった。にゅるっとした指が薄い胸のふちへ触れる。


「したいの、したくないの?」

「そ、それはまあ、良い方が迎えてくださるならやぶさかでもないというか」

「そう、アタシは駄目。男なんて雑でばっかり強くて」


 ピンとこない様子のシャラ。育った環境を思えばそうだろう。


「そうなんですか? じゃ、次の代は……」

「才能で選んで養子にでもするわ、アタシみたいにね」


 くすりと含み笑う声。


に子育てなんて出来なさそう」


 振り返ると、涼しい顔が見返してきた。


「……失礼ね」

「何が、ですか?」


 わずかに固い声が緊張を物語る。


「子どもの面倒くらいみられるわ」

「それは、ごめんなさい。でもほら、イザとなったらわたしだっていますよ」


 約束、忘れてませんよね?と問いかける声にはホッとした気持ちがありありと乗っていた。


「覚えてるわ。でも言っとくけどテオドシアは独身よ」


 忠告する。何かと忙しいイステラーハに代わってエレベアの世話役を務めた彼女は、一日のほとんどを役宅と道場で過ごしていた。


「……でも、エレベアのおばあ様には愛していただけたんでしょう?」


 みたび振り向く。

 ね?と穏やかな笑みで小首を傾げるシャラに。


「……前から言おうと思ってたんだけど」

「はい?」

「アンタ、自分のこと可愛いって思ってるでしょ」

「そんなことないですよー」


 ぱっと両の掌を開いてみせたわざとらしい所作に認識をあらためる。


「アタシ、シャラと友達になりたいのかも」


 してやられたお返しにと目の前の胸元へおでこをぶつけると不思議と気恥しさが無くなった。


「わたしはとっくにお友達と思ってますし、なんなら信頼もしてますけど?」


 シャラの手が後頭部を優しく叩く。どの口がしれっとそんな事を言う、とエレベアは睨みあげる。


「嘘よ、だってくすぐったくらいであんなに怒って」

「えぇ……」


 一転してどうしようも無いものを見るような顔をされた。


「あれはそういうんじゃ……いえ、いいですもう」

「何よ、文句があるなら言えばいいでしょ」

「いーいーでーすーそれ以上きいたらまたキライになりますー」


 胸から引きはがされ背中を向けさせられる。納得いかないが、とにかくさっきまでの険悪な状況は脱したらしい。

 大人しく背中まで洗われ、あとは自分でできる所だけ。


「交代しましょ」

「あ、わたしは大丈夫です。いつも自分でやってるので」


 シャラはひょいと腕を上げると背に小袋を持った手をまわす。肩の柔軟さで器用に肩甲骨の真ん中までを拭っていく。

 なんだか一方的に気持ちよくさせられたようで面白くない。目の前で揺れる滑らかな丘に吸い寄せられるように、余った香油をだばだばと手のひらに取った。


「イタズラ、しないでくださいね?」


 ジトっとした眼差しがそれを未然に縫い止める。


「もしかしてエレベアも姐さま方と同じですか? あれー粉袋どこに置いたっけーここかなーフニフニなんてバカみたいなセクハラを身体洗うたびにやろうとするクチですか? もちろんわたしは信頼してますけど?」

「え、いや……自分用よ、決まってるわ」


 すごすごと自分のフラットな体を洗う。クラブを滑らせるのに最適化した恥じることの無い身体だが、それはそれとして無いものは無かった。


 二人でゆっくり湯船に浸かって根城ねじろの泥棒宿へと帰る。テオドシアがいるはずの場所にはほどけた縄と一緒に、二人への探索を減らすよう工作してくるむねの書き置きがされていた。


 それから数日は平和な繰り返しが続いた。市場を周り腹ごしらえをし、劇場に潜り込んで人探しと踊りの見取り。もちろん浴場も。

 シャラの踊りは多彩でテンポや軌道の違うものが次々と出てき、エレベアは毎日その見取りと解釈に夢中になった。

 身を潜めた時にするお互いの匂いまで似通ってきたころ、変化は起こった。

 運足はよどみなく、雲のごとく。学びとった歩法のその真髄しんずいを肌身で理解する出来事が。

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