9. マーケット、繋ぐ手

 見渡すかぎり、無数の天幕が大理石の広場を埋め尽くしている。

 隙間をぬって差し込む陽光は強烈で、地面のあちこちに光の槍が突き立っているようだった。

 鼻先にふっと光の粒がおちるのを踊るようにかわしてシャラは歩く。


「わぁーあ」


 フードで隠したその視線がせわしなく雑踏を行き来した。


「すごいっ昨日と同じ場所ですか、ここっ?」

「商人は早起きで早出なのよ。とくにこの市場で商売するような羽振りがいい連中はね」


 メズィスの中央広場は国が唯一認可する露天商の場だ。

 砂漠をこえて運ばれてきた世界中の品物が昼にはまた別の方角へ砂漠をわたっていく。いくらかのおこぼれとたっぷりの税金、砂漠案内人への支払いを国へ落として。

 大きく儲けるものがいれば損をするものも出る。日が暮れればスジの悪い人間も出回る。うっかり路銀をなくして国を出るに出られない奴、スリ、泥棒。


(昔のアタシみたいな連中)


 その警戒をしつつ高い宿に泊まるよりは、砂漠案内人についてさっさと出立したほうがいい。国営の彼らに払う金額は一律で、道中の安全も比較的安い額で保障される。野宿の不便にさえ目をつぶるならそっちのほうが得だ。

 そんな説明をしてやるとシャラはわかったような分からないような顔をした。


「アンタってホントに世間知らずよね。後宮あがりは皆そうなの?」

「いえ……どうでしょう、わたしのような後宮生まれってわりと珍しいので」


 色とりどりのガラスランプが並ぶ店へ首をのばしながらシャラは答える。


女官にょうぼうに子供ができると大抵、実家に戻されるんです。母様はわたしが生まれるまでそれを隠していたので」


 後宮は女の園だ。とはいえ日常のアレコレで男の出入りはあるし、ジダールのように警備として立つ魔杖士もいる。


(そう思うと服務違反もいいところねお義兄さま、マジメな顔しちゃって)


 とはいえ王にみさおを立てねばならないのは妃から上だけで、特に女官あたりは出入りの男と良い仲になることも多いと聞く。シャラの母もそうだったのだろう。


主様あるじさまのご厚意で母子いっしょに暮させてもらえて。おかげで今こんな景色を見られて、感謝しています」


 市場の活気をながめるシャラは初めて来た子供のようだった。自分のときは父親と〝仕事〟だったなと思い出してエレベアはフンと鼻を鳴らした。


「フラフラしてると置いていくわよ。こっち」

「ぁ」


 危なっかしい手のひらをつかんで引くと、シャラはふにゃっと破願した。


「エレベアさん、ねえさまみたい」

「よくそういうこと年下に言えるわね」


 こんな大きな妹がいたらジャマでしょうがないだろうなと思う。食事の取り分も半分になっただろうし、とそこまで考えて表情を消した。


「どうかしました?」

「……何でもないわ」


 ここは嫌な記憶が多すぎる。今でも気を抜くと、口の緩そうなカバンや財布を目で追っている自分がいる。

 水売りに市民証をみせ、水筒いっぱいを銅貨一枚で買う。王にこうべを垂れないものには飲み水すら与えられないのがこの国のルールだ。


「食べたいものは?」

「ハチの巣のパイがいいです!」

「ふん、いい趣味ね」


 台車つき石窯いしがまの上にうずたかくパイが積みあがる屋台で銅貨八枚を払う。目の前で蜜たっぷりのハチの巣のスライスがトッピングされ、しばし石窯へつっこまれる。


美味んぉふぃでふ……!」

「家を壊す、ゲンがいいわね」


 サクリとくずれた断面に取り残された白っぽい幼虫を舐めとる。蜜の甘みとドシンとくる満腹感が干上がった何かをうるおす気がした。


「なんか邪なんですけど……」

「アタシは魔女よ?」


 シャラの頬についた蜜も指でぬぐって口に入れる。


「わ。ぁ、ぁあーっな、舐めっ!?」

「どうしたのよ、はしたない」

「え……いや、何でも……」


 ぽそぽそとつぶやいたシャラは指で頬をなぞるとぼうっとした目でエレベアを見つめる。


「エレベアさんって、母様みたい゛ったい!?」

「アンタねえ、さっきから気持ち悪いのよ! 年下に母性を見いだすな!」


 蹴られたすねを抱えてぴょんぴょん跳ねるシャラへ怒鳴る。


「いっ妹みたいって言ったら怒ったじゃないですかぁ!」

「そもそもアンタが身内になるってのがハードル高いのよ!」

「あー! やっぱりそうなんだ、責任取る気ないんですねあんなことまで言ったくせに、ばか!」


 子供じみた罵倒と駆け出した背中に絶句する。面倒だ。すさまじく面倒だがしかし。

 反射的に引き留め、数秒の冷戦を経て、責任をとらないとは言っていないむねを迂遠かつ簡潔に伝えて和解に至る。


「えへへぇ」

「あーもう、甘えた奴」

「エレベアさんは素直じゃないですねぇ」


 両肩におかれた少しだけざらついた手のひらをそっと振り払う。いうまでもなくこれ以上刺激しないようにだ。


「アタシたちは共闘関係よ。アンタも少しは考えなさい。そしたら姉でもなんでもやってあげるわ」

「しますします、やったぁ!」

「案を出せっつってんのよ」


 必要なのはそれに尽きる。エレベアは出がけのテオドシアとの会話を思い出していた。


『――御前試合、のう』

『シャラがこっちにいるってことでお義兄さまを引きずり出せないかしら?』

『否。立場のなかおひいさまに自らを推挙する力はなか。後ろ盾が必要じゃな』

『そこに戻ってくるわけね』

『ジダール様とて阿呆じゃなか。道統をかけた戦いとなればあらゆる手を尽くして邪魔をしにかかっじゃろう。凡百ぼんびゃくん家ではいさかいを怖れてまず話に乗るまい』


 結局テオドシアとの相談ではそれ以上のネタは出ず、そもそも養子のハイサムにも負けている事実を指摘されそうになって飛び出してきたのだった。


「まずは公衆の面前でお義兄さまを負かさないことには仕方がないんだから」

「そうですね……わたしの主様にご相談するのはどうですか?」

「行方がわからないって言ってなかった?」


 そもそも、現役の重臣がうなずかない案件を後宮から出たばかりの人間になんとかできるとも思えない。よほど太い旧縁でもあるなら別だが。


「後宮を出てしばらくは色んな場所を回りたいとおっしゃっていたので、人通りの多い場所なら会えるかもしれません。主様ならきっといい案をくださいます」

「うーん……」


 なんとも頼りない方策だ。こんなものに望みを託すほど困窮しているとは思いたくないが。


「そうね……いい場所があるわ。ちょうど朝夕だけじゃ踊りの見取みとりに足りないと思っていたの」


 現状ほかにあてはない。期待はできないが物のついでならいいだろう。


(最初からダメ出ししちゃまたふくれかねないし)


 そんなことを気にするのが鬱陶しくてむずがゆいような妙な心地で、引いた手の先を見る気になれなかった。

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