「星」「家主」「アルバム」



 街中のとある住宅街に、個性的な6人の住人たちが住むアパートがありました。

 そのうちの一室には、一人の小説作家が住んでいます。彼女は一人暮らしでしたが、実はもう1人、彼女と一緒に生活する秘密の同居人がいたのです。


「おはようございます、住人さん」

「おはようございます、家主さん」


 それは身長約8cmの一人の紳士でした。


「今日もいい天気ですね」

「ええ、そうですね」


 小さな紳士は、パリッとした白いシャツに、折り目がきちんとついたスーツのズボンを履いて、背中でY字になるサスペンダーで留めています。いつも気品のある格好をしている彼は、小さな英国紳士なのです。


「ちょうどハーブティーをいれたところなのですが、一緒にお茶でもいかがですか?」

「いただきます」


 彼女たちは、お互いを「住人さん」「家主さん」と、二人だけの敬称で呼び合っています。とても仲が良く2人で暮らす日々を楽しんでいます。

 これはそんな、小さなの紳士である住人さんと住人さんに部屋を貸す小説作家の家主さんの二人の物語。


 ◇


 家主さんは、小説作家です。

 家主さんは小説を書いているときがとても楽しいと感じていますが、締切に追われる頃になると少し余裕がなくなります。


 そして、今がその状態です。

 とっぷりと日が落ちた今も、お気に入りの仕事スペースに向かってパソコンのキーボードに指を踊らせています。

 家主さんは物語に意識を集中し過ぎて、食事もせずパソコンと睨めっこすることがざらにあります。


 家主さんが作業している間、住人さんは家主さんの机の端に置かれているソファ(家主さんが置いてくれた)に座って本を読んでいます。そして、住人さんは、そんな家主さんをいつも心配していました。


「うーん」


 ひと段落がついた家主さんは、かじりつくようにみていたパソコンから顔を上げると、天井に向かって突き上げるように伸びをしました。


「そろそろ休憩にしてはいかがですか?」

「ええ、そうすることにします」


 安心したように読んでいた本を閉じた住人さんは、ソファから腰をあげ、家主さんの右手側に置かれているカーソルまでてくてく歩いてきました。


「原稿は進んだようですね」

「はい、書きたかった佳境が書き終えられて楽しかったです」


 満足そうに微笑む家主さんですが、その目の下には隈ができており、このところご飯もろくに食べていないせいか少しこけたように住人さんには見えました。


「それは良かった…。家主さんは本当に物語を書くことがお好きなのですね」

「はい、小学生の頃からの夢でしたから」


 椅子を少し後ろに下げて机の下の引き出しに手をかけた家主さん。何か本のようなものを取り出すと、その中に挟んでいた紙切れを抜き出して住人さんに見せてくれました。


 その本は家主さんが小学生の頃のアルバムだそうで、紙切れは彩りよく、濃い赤の台紙の上にピンクの画用紙が一回り小さいサイズに切られて貼り付けられており、その上に印刷された紙が貼られていました。


 それは小学校の6年間変わることのなかった将来の夢を書き記したものだったのです。


「私の通っていた小学校では、毎年の学年ごとに自分の将来の夢を書かされるんです。小さな学校ということもあって毎年教職の先生たち専用の下駄箱前の掲示板に張り出されていました」

「ほう。それはそれは」

「周りの友達は毎年いろんな夢を書き出していましたが、私の6年間の夢はずっと変わりませんでした」

「では、家主さんは夢を叶えたわけですね」

「そうなりますね。締め切り前は大変ですけど、なりたかったものの大変さを自分が経験しているのを感じると嬉しくもなるんです。私がなりたかったことはこんな感じだったのだな、と。それを肌で感じられることが堪らなく嬉しいんです」


 住人さんは瞳をキラキラさせて話す家主さんを見て、また優しく微笑みました。


「私は家主さんのそんな前向きなところがとても素敵だなと思います」


 あまりにも真っ直ぐな瞳で住人さんが言うものだから、つい家主さんは気恥ずかしくなりましたが、それと同時に心が温かくなるのを感じました。


「私も住人さんの『素敵だ』と真っ直ぐに言葉を届けてくれるところが素敵だと思います」


 少し驚いたような表情をする住人さん。

 またすぐに微笑んでみせたその笑顔は、先ほどよりも、より深く家主さんの瞳を見つめていました。


「ずっと執筆していたらお腹空いちゃいました。カップラーメンでも食べよっと」


 住人さんは、キッチンへ向かう家主さんの後ろ姿を見ながら、ゆっくり息を吸って吐き出しました。


 いつも自分のために尽くしてくれる家主さん。家主さんのために、自分には何ができるのだろうか。住人さんは常々考えていました。


 家主さんが執筆しているときにご飯を作ってあげたいし、部屋の掃除もしてお風呂だって沸かしておいてあげたい。家主さんが大好きな執筆に集中できる環境を整えてあげたいけれど、自分の体のサイズではそのどれも実現することができない。


 もしも私が普通のサイズの人間に戻れるのなら、家主さんの力になれるのに…。


 映画のスクリーンよりも大画面にそびえ立つ巨大な窓の寸分に、写り込んだ自分の小さな姿を見つめています。その奥には満天の星が散りばめられていました。


「ああ、神様どうか。わずかな間だけでもいいのです。私に彼女の手助けができたなら───」


 星を眺めてそんなことを考えていると、刹那に煌めく流星が一つ。

 住人さんの輝く瞳にその瞬きが映ると、下を向いてため息を零した住人さんの体に光が溢れ出しました。


「…住人さん?」


 異変に気がついた家主さんは、ケトルを片手にリビングに顔をのぞかせました。まるで太陽が、自分の家の窓に、間違って落っこちてきたかのような輝きにたじろぐと、どんどん膨れ上がる光に家主さんは腕で目を覆いました。


 すぐに光はおさまって、あげていた腕をゆっくり降ろした家主さんは目を開けました。

 すると、窓際の床の上にもくもくと立ちこめる煙の中から蹲る肌色の固まりが見えました。

 え、何この煙。火事!?


「住人さん!大丈夫ですか?一体どうなってるのこ…れ…」


 慌てる家主さんですが、煙に近づこうにも煙の中に得体の知れない物体があることに気がついて、近づくこともできません。しかし、その間も机の上にいるはずの住人さんを呼んで安否を確認しようとしていました。


 ゆっくりと折りたたんでいた体を広げて立ち上がるそれは、自分の手から腕、足、体と目視や手で触って確認していました。そして、一通り確認した後、後ろで呆然と立ち尽くしている家主さんを振り返りました。


「家主さん!見てください!私、元の姿に戻ってます!」


 家主さんに両手をがっちり握って顔を覗き込んできた住人さんはキラキラと目を輝かせて言います。目の前にいるのは確かに、いつも顔を合わせている住人さんでした。

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