掌編小説

まこと

「海」「少女」



 サザン…サザザン…


 何度も打ち寄せる波の音、潮の香り、真っ赤な空を悠々と飛んでいくユリカモメ。私は大海原を前に、1人佇んでいた。潮風にふわりと柔らかく制服のスカートが揺れる。

 湿った柔らかい砂の上にローファーと紺の靴下を脱いだ足をのせて、遥か水平線の彼方に沈んでいく夕焼けを見つめていた。潮の香りが鼻を掠める。しょっぱいと感じたのは海水を飲んだわけではなく、両の目から静かに流れ落ちてきた雫が口の端から流れ込んできた所為だろう。


「まーた、泣いている」


 つむじのあたりで聴き慣れた声がして、来るだろうことを分かっていたその子の言葉に、振り向きもせず「うるさい」と一蹴する。


「もー、どうせまた大したことない事で泣いているんでしょっ」

「うるさいって」


 なかなか自分の方を見ない私を見兼ねてか、彼女は私の前にふわふわと宙を浮かびながら顔を覗き込んでくる。さも当たり前のように宙に浮かぶその姿にもずいぶん慣れて、それが今では普通になった。


「泣いている真咲まさきもキュートよね」


 体をくの字に曲げて覗き込んでくる彼女に少しいらつきを覚えたけれど、彼女を視界に捉える度に静かなる降伏がやってきて、体に入った力が抜けていくのを感じる。その感じが嫌いじゃなかった。覗き込んできたときに傾いた髪がさらりと揺れる彼女を見て思う。


「はあ?なに言ってんの…」


 呆れながらも予想していなかった言葉に、小さく鼻で吹き出した。

 途端に勢いよく飛び出た鼻水に慌てて手で抑えるような動作をしたものの、そのまま素手で鼻を拭くわけにもいかず、ポケットに忍ばせていたティッシュを取り出すまでの数秒間だけ鼻水を垂らしていることになってしまった。


「鼻出ちゃった…っ」


 自分で自分の顔は見えないけれど、確かに鼻の下に感じるひんやりとしたそれを感じて、そんなアホみたいな状況に可笑しくなる。

 彼女は空中でお腹を丸めて私に指を刺して笑っていた。


「パンツ見えるからやめなって」

「鼻水垂らすのやめなって」

「ちくしょう」


 その姿を見て、さっきまで考えていたことの全てが、どうでもよくなってしまうような、気の抜けた諦めに空を仰いで笑みが溢れた。


「はぁあ、やっぱり、真咲は笑っている顔が一番好きっ」

「…バカじゃないの」


 私が言った言葉とは裏腹に、両手を後ろに回して少し肩を上げておどけて見せる奈胡なこは、嬉しそうにニコニコと笑顔を顔に乗せている。

 少し頬を染め上げる彼女の笑顔を見ていることが嫌いじゃなかった。


「ねえ」

「んー?」

「…何で、死んじゃったの?」


使い終わった残りのティッシュと丸めたティッシュをポケットに突っ込みながら尋ねた。彼女の表情は見えなかった。


 高校2年の夏休みが明けた前日、奈胡は死んだ。自殺だった。

 死因は一酸化炭素中毒。

 窓を閉め切った部屋で七輪にウレタンを焚き、布団もかけず、しかもなぜか制服の姿のままで、綺麗にメイキングされたベッドの上で眠っているように死んでいたらしい。


「何も気づいてあげられなくて、ごめん」

「もう謝らないで。私だって自分で自分のことに気がついてあげられなかったんだから」

「…」


 私にとって彼女はすごく強い女の子だった。

 あっけらかんとして、たまに訳のわからないことを言うけれど、自分の意見がしっかりあって一本の芯が確立してあるような子だった。

 だからかもしれない。

 生徒の中でも特に大人びていて注目の的だった。

 他の生徒たちからの信頼も厚かった。


「あんたがいなくなって、あたしはこれからどうしたらいいの?」

「あたしがいなくても大丈夫」

「何でそんなことわかるのよ」

「だって、あんたは本当の自分でいられる強さを持っていることに気がついたからだよ」

「あんたがいたから強くいられたんだよ」

「あたしはただきっかけを与えただけに過ぎないよ。元々あんたが持っていたことに変わりはないもの」

「分かんないよ」

「うちのお母さんによくあることなんだけど、私に自分の眼鏡どこにあるか知らないか聞いてくることがあるのよ。でも大体頭の上にかけてあるの。自分で既に持っていることに気がつかないのよ。それかもしくは、持っていたことをいつの間にか忘れてしまっているの」


 それと一緒よ、と彼女は言った。

 そんなものなのだろうか。


「人生はね、自分に合った環境を探す旅なんだって。」


 だから、今は大丈夫。辛くても大丈夫。必ずあなたが幸せになれる場所が見つかるから。


「ね、元真咲


 潮風が優しく肩まで伸びた髪を揺らす。


「生きているうちに言ってよ、そんなこと…」



fin

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