第323話 11月10日(……別に、美味しいならいいよね?)

「ほら、ちーちゃん。猫の手。にゃんって」

「……にゃん」


 一人で人参を切っていただけなのに……何故か血相変えた彩弓さんから声を掛けられてしまった。

 しかも――、


「もう、君がちゃんと見てなきゃダメでしょ?」

「すみません。他のが上手に切れていたんで大丈夫だと思ったんですけど……」


 ――どういう訳か、彼が監督責任を問われている。

 おかしい。私は高校三年生であって小学三年生ではないのだけれど?

 だから「あの」と、弁明を始めた。


「流石に包丁の正しい扱いは知ってます。さっきのはただ……なんというか、人参が硬かったので持ち方を臨機応変に変えただけ」


 直後、彩弓さんは眉を吊り上げ「ちょっと?」と濁った声を出す。


「言いたくないけど少年漫画みたいな持ち方になってた」

「……いや、その例え方はよくわからないんですけれど」


 返答を聞くや否や、彩弓さんの口から溜息がこぼれた。

 彼女は「貸してみて」と言うなり私から包丁を取り上げて人参に向かい合う。


「こういうのはね、引く感じで切るんだよ」

「引く?」

「そう、上から下へ垂直に切るんじゃなくて……こう、上から斜め下に向かって刃先をずらしていく感じ」

「……おぉ」


 ついさっきまで石を切ったみたいな大きい音を立てていたまな板が、彩弓さんの前では眠っているように静かだった。

 同じ物を切ったとは思えない。

 そうして包丁さばきに見入っていると、彩弓さんが首を傾げた。


「ねぇ、前にちーちゃんは結構料理するって訊いたと思うんだけど……あれって嘘じゃないよね? お菓子作りも上手だったし」


 彩弓さんが困惑した表情で頭上に疑問符を浮かべる中――、


「どういう言い方をしたのかは知りませんけど、嘘じゃないと思いますよ」


 ――彼は、どこか得意げな口調で告げる。


「どういうこと?」

「例えば、ちなが先輩と一緒に作ったバレンタインのケーキ。あれ、包丁使いました?」

「……?」


 生れた沈黙は瞬く間に「あっ!」という彩弓さんの声で破られた。


「使ってないね、言われてみれば。あー……なるほど?」

「ちなはレシピ通りの手順で作るし、分量を間違えたりはしないんですけどね」


 二人から残念そうな視線を感じて、つい唇が尖る。


「なんですか二人して……出来上がるのが同じなら過程は多少不格好でも問題ないですよね?」


 そう反論してみたものの、


「その過程が出来ないから生活力がないって言われるんでしょ?」

「まあ、これから上手くなればいいさ」


 虚しい結果に終わった。

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