第208話 7月18日(……もしかして、最初から?)

 深夜を回ってから、メッセージが届いた。

 差出人は楠で、内容は、


 『今日、二人で出掛けないか?』


 ベッドへ寝転がりながら『いいよ。時間と集合場所は任せる』と送り、まぶたを閉じる。

 今日7月18日は、地方予選の準々決勝だ。





 一緒に入ったアイスクリームショップでカップアイスを食べる。

 お店の木製スプーンでつつくお高いアイスは……なるほど、安いラクトアイスとは一味も二味も違った。


「……アイスなら、きっと違いもわかるのに」


 ぽつりと呟いた途端、楠に「何の話?」と訊かれる。

 話題に困っていた私は、珈琲の思い出を話していた。


「……前に、サイフォンで淹れた珈琲とインスタントの珈琲を飲み比べて違いがわからなかったことがあって」


 楠は「その、サイフォンで淹れるとそんなに違いが出るものなのか?」と首を傾げる。

 どうやら、サイフォンで淹れた珈琲を飲んだことがないらしい。

 溜息を交えつつ「違いがわからなかった私に訊かないでよ」と冗談ぽく返すなり、楠の口元に笑みが生まれた。


「木製と金属の違いみたいなものかな」

「……野球の話?」

「そうそう、バットの話。見た目は一緒でも、色々違うから」

「……そう」


 野球の話題は避けていたつもりなのに……なんで珈琲の話がバットの話に繋がるんだろう。

 そう考えた直後、脳裏に浮かんだのは観戦席からでも見えた野球部員たちの悔し涙だった。

 でも――、


(――……あの時、楠は泣いてなかったよね)


 表情は固く、悔しそうにしてはいたが……その瞳に涙はなかった。


 二人の間に、沈黙が生まれる。

 私は、こういう時に気が回らない。

 だけど、もしも……楠が私と少しでも似ているのなら――この話は、しても良い筈だ。


「昨日の試合、かっこよかったと思う。見ていて、こう……少しだけ熱くなった」


 次の瞬間、楠が見せたのは……陽の当たらない場所に咲いた花のような、複雑な笑顔だった。


「……負けた試合で言われると、複雑だな」


 溶けだしたアイスにスプーンを突き刺し、楠は「でも」と続ける。


「全力は出せた。後悔はない……だから、嬉しいよ。ありがとう、俺を見てくれて」

「……お礼を言われるのは、なんか違わない?」

「いいや。俺にとっては違わないんだ」


 それから楠は目を伏せ、


「なあ、向坂」


 ゆっくりと顔をあげた。


「大会が終わったら言いたいと思ってたこと……今、言ってもいいかな?」

「……いいよ」

「……もう一度、剣道をやらないのか?」


 今でなければ、私はその言葉を許せなかっただろう。

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