第189話 6月29日(……何も、訊かないんだ)

「…………」


 薄いブランケットを羽織り、寝間着のままベッドで一人静かに読書する。

 とても有意義な時間だけど、実は大問題を抱えていた。

 今、時計の針は十時過ぎを示している。つまり、本当なら私はとっくの昔に登校している筈で……有り体に言うと、仮病で休んだのだ。


「……ふぅ」


 本を読み終わった途端、溜息が漏れる。

 直後、タイミングを見計らったようにドアがノックされた。


「…………母さん?」


 母は今朝早くに出掛けた筈だけど……他に思い当たる人もいない。

 不思議に思いながら首を傾げた瞬間――、


「俺だけど、入ってもいい?」


 ――彼の声が聞こえてきて、止めようもなく深い溜息が漏れた。

 これは……大方、母の差し金だろう。


「ダメです。帰ってください」


 素っ気なく返答した後、新しい本を手に取るなり前書きと目次を読み飛ばす。


「ち、ちな?」

「…………」


 もう、これ以上返事はしないと心に決めた。

 そもそも、鍵は掛けていないのだから、その気があれば勝手に入って来れる。

 わざわざ許可なんて求めなくても、堂々と仮病したことをたしなめにくればいい。


 私は唇をぎゅっと結び、黙々と読書に没頭していった。


 しかし――、


「駅前の苺ショート。飲み物は珈琲と紅茶ならどっちがいい?」

「………………」


「…………」

「…………」


 ――……いっそ、楠も私を学食ではなくケーキ屋に誘えば良かったのにと、身勝手なことを思った。


「……苺ショートですよ? 紅茶に決まってるじゃないですか」


 


 彼の淹れた紅茶片手に、苺へフォークを突き立てていると、


「最初は仮病の割に元気がなさそうだな、とか思ったんだけど……やっぱり元気そうだな」


 と、彼がからかうように笑った。


「……ケーキ、いくつ買って来たんですか」

「ん? 4つだよ。ちなと、おばさんと、おじさんと、俺」

「……そう」


 最後まで取っておいた苺を口の中に仕舞い、


「……ん」


 と、空になった皿を彼へ差し出す。

 すると、彼は受け取った皿と無言で見つめ合い……新しいケーキを皿の上へのせた。


「……それ、俺の分だって言ったよな?」

「ください、なんて言ってませんけどね」


 しれっとした顔で告げ、真っ新なホイップクリームにフォークを刺す。


「浅ましい人……ケーキで私を釣ろうなんて。本当に幼稚」


 彼への文句とケーキをつつくフォークが止まることはない。

 それから、彼に涼しい顔で、


「……明日は学校いけそうか?」


 なんて訊かれた。


「その、不登校みたいな言い方はやめてください」

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