第153話 5月24日◆ハートのAを『 』色に◆

 俺達野球部は朝練があるから学校へ来る時間が大抵の生徒よりも早い。

 だから、


「楠、ちょっといい?」


 俺よりも早く教室に来ている九条コイツは……一体いつからいるんだろう?


「お前……どんだけ俺と話してるの人に見られたくないんだよ」


 通学鞄を机へ引っ掛けながら訊ねると、九条の眉が歪む。


「どんだけも何も、絶対よ。ちなはもちろん夕陽にだって見られたくないしね」

「そりゃ、大変だな」


 気付いた時には口が滑っていて、しまったと思う。

 また、いつもみたいに売り言葉に買い言葉の押収が……なんて思っていたのだが、


「大変なのはあんたもだけどね……」


 予想に反して、九条はしおらしく……普段のような喧嘩っ早い反論をしてこなかった。


「……今日はどうしたんだよ」

「それなんだけどさ、この間はお礼だけ言って謝り損ねてたから……だから、ごめん」


 申し訳なさそうにする、らしくない九条を見て、俺は今……彼女が人のいない時間を選んでくれたことにホッとしていた。

 親友を謝らせてる所なんて、俺だって向坂に見られたくはない。


「なんか、違和感あるな。九条にそうやって謝られるの」

「……あんた、人が真剣に謝ってんのに」

「元々苦手なんだよ、謝られるの。だから、もう俺に謝るのはなしな」


 直後、なぜか九条が苦虫を噛み潰したような表情になった。


「……今の流れでどうしてそんな顔になるんだよ」

「なんだろう? あたしがせっかく謝りにきたのに、謝らなくてもいいとか言われて……イラっとしたから?」

「イラっとって――」


 けど、そう言って不満げにしかめっ面でにらまれる方が……九条に関してはしっくりくる。


「――まあ、しょげられるよりはいいか」


 口元がわずかに緩む中、俺は部活鞄を背負い直した。


「じゃあ、朝練行ってくるな」


 しかし、


「あとさ、楠……」


 もう一度、九条に呼び止められる。


「ん?」

「正直、楠がちなと付き合うとか……うげぇって感じでさ」

「おい」

「けど、ちなには好きな人がいるとか余計なこと教えたのとか、彩弓さんにもちなが二人でランニングしてることバレちゃったりもして……何か企んでるんだか企んでないんだかさっぱりわからないんだけど――」


 もごもごと口を動かすばかりで、九条が何を言いたいのか要領を得ない。

 けれど、ふとした拍子に顔をあげた彼女は、


「当て馬にだけは、ならないでよ。ちなが好きってその気持ち……誰かに利用されないで」


 悪口を言うみたいな口調ではっきりと告げた。


「おう、それなら任せろ」

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