34‐2.王妃様の登場です



『あら?』



 つと、部屋の扉がノックされました。

 ジャスミンさんの護衛であるラナさんが、いち早く動きます。扉越しに軽いやり取りを交わしてから、徐に、ノブを捻りました。




「失礼するわね」



 扉が開き、現れたのは、ドラゴンさんの獣人の女性です。赤いドレスを纏い、お手本のような所作で部屋の中へと歩いてきました。

 とても気品のある方です。ただそちらにいるだけで、何となく背筋が伸びると申しますか、居住まいを正さなくてはいけない気がすると申しますか、こう、身の引き締まるような感覚を自ずと覚えます。



 なんて考えておりましたら、マティルダお婆様が、素早く立ち上がりました。

 両足を揃え、姿勢を正すと、胸元へ手を当てます。そのまま、静かに頭を垂れました。

 ラナさん達護衛の皆さんも、同じ体勢を取ります。



 急に変わった空気に、わたくしは思わずシロクマの耳を立ち上げました。一体何が起こっているのかと、辺りを見回します。



 すると。




「お母様っ」



 ジャスミンさんが、笑顔で走っていきました。

 向かう先にいるのは、ドラゴンさんの獣人の女性です。



 女性は笑みを深めると、ジャスミンさんを優しく抱き止めます。




「こんにちは、ジャスミン。ごめんなさいね、突然お邪魔しちゃって」

「いいえ。お母様なら、いつでも大歓迎ですよ」



 そう言って、お顔を見合わせて笑うおふたりを、わたくしはまじまじと見つめました。



 お母様、といいますと、当然ジャスミンさんの産みの母、ということなのでしょう。ということは、アルジャーノンさんのお母様でもあります。

 そしておふたりは、ドラモンズ国第四王子と末姫、という身分を持っているわけでして。




『つまり、この方は……ドラモンズ国の、王妃様、ということ、ですか……?』




 ぽかーんとお口を開けたまま、わたくしは固まります。



 数拍後。

 自慢の白い毛が、ぶわわぁっと逆立ちました。




 な、何ということでしょう。まさか王妃様とお会いするだなんて、思ってもみませんでした。

 ですが、よくよく考えてみれば、王族のお住まいにお邪魔しているのですから、鉢合う可能性はあって当然ですよね。加えて、母親が娘のところへ気軽にやってくるのも、別段可笑しなことではございません。つまり、この状況は、至って普通のことなのです。



 まぁ、だからと言って緊張しないかと聞かれたら、また別の話なのですが。



 だって、王妃様ですよ? この国の象徴のようなお方が、突然の目の前に登場したら、誰だって固まってしまうでしょう? しかも、マティルダお婆様やラナさん達護衛の皆さんが、一斉に礼の姿勢を取ったのです。今も体勢を変えず、沈黙を守っています。おとなな皆さんがそうなるのですから、子供の、それもシロクマなわたくしは、一体どうしたら良いのですか? 取り敢えず、マティルダお婆様のお隣で、静かにお座りでもしていればよろしいでしょうか?




「お母様。今日は、シロちゃんが遊びにきてくれているのです」

「いつもジャスミンがお話してくれる、シロクマのお友達ね」

「そうです。とても可愛いので、お母様にご紹介しても良いですか?」

「えぇ、是非お願い」



 ジャスミンさんは笑顔で頷くと、王妃様の手を引いてこちらへ近付いてきました。



 あわわわ、ど、どうしましょう。一体どのように対応すれば良いのでしょうか? アルジャーノンさんにするような態度で問題ないでしょうか? その場合、わたくしは己のお尻を見せ付ける必要がありますが、王妃様相手に、果たしてお尻を向けてもよろしいのでしょうか? 失礼になりませんか? 大丈夫ですか?



 困っている間にも、王妃様との距離はどんどん狭まっていきます。

 わたくしは、咄嗟にマティルダお婆様の足へくっ付きました。そのまま少し後ろへ下がり、足越しに王妃様を窺います。




「シロちゃん。こちらの方が、ミンのお母様ですよ。お母様、この子がシロちゃんです。そして、こちらがシロちゃんのお婆様で、ドラモンズ国軍の陸上保安部に所属していらっしゃる、マティルダ隊長です」

「そう。ふたり共、こんにちは。きてくれてありがとうね」

『あ、え、えっと、どうも、こんにちは。はじめまして……』



 思いの外か細い声が、自分の口から零れます。もじもじとお尻を揺らし、一層マティルダお婆様に体をくっ付けました。



「どうしましたか、シロちゃん? お尻が痒いのですか?」



 ジャスミンさんが、わたくしの傍にきて下さいます。不思議そうにわたくしのお顔を見ては、お尻を撫でていきました。

 それでもわたくしは身を捩るばかりで、王妃様をまともに見ることも出来ません。




「もしかしたら、いきなりやってきた私に、緊張しているのかもしれないわね」



 王妃様は少し身を屈めて、わたくしを見下ろしました。



「ごめんなさい、シロちゃん。びっくりさせてしまったわね」

『え、あ、い、いえ』

「改めまして、こんにちは。ジャスミンの母です。はじめまして」

『は、はじめまして。わたくし、シロクマの、シロと、申します』

「ジャスミンと仲良くしてくれてありがとう。今日はゆっくりしていってね」



 眉を下げて微笑む姿に、申し訳なさを覚えます。少しでも誠意を見せようと、ギアーとお返事をしました。けれど、非常に小さな声しか出ません。



「シロちゃん、大丈夫ですよ。お母様は、とても優しいですからね」

『は、はい。頭では、理解しているのです。しかし、どうにも体が言うことを聞かず……こんなことは初めてなので、どうしたら良いのやら』



 シロクマの耳と尻尾を伏せて、項垂れます。失礼な態度を取っていると分かってはいるものの、シロクマの本能なのでしょうか。どうにも竦んでしまいます。




「申し訳ありません、ヴァイオレット様、ジャスミン様」



 つと、マティルダお婆様が、苦笑気味に口を開きました。



「元来人懐っこい性格なんですが、流石のシロも、王妃殿下を前にしたら、普段通りというわけにはいかないようです」

「いいのよ、気にしないで。いきなりきたのは、こちらの方なのだから」



 王妃様は、にこやかに首を横へ振ります。

 そんな王妃様に、マティルダお婆様は姿勢を正し、改めて腰を折りました。



「本当に申し訳ございません。しばらくすれば慣れてくるかと思いますので、その時は、どうか今一度話し掛けてやって下さぶひょ」




 ……ぶひょ?



 一体何の音かしら、とわたくしは、辺りを見回します。




 すると、体を小刻みに震わせているお婆様が、目に留まりました。




『マティルダお婆様?』



 そっと様子を窺えば、お婆様は深く息を吸い込み、頭を持ち上げます。



「失礼。その時は、どうか今一度話し掛けてやって下さい。同時に撫でても頂けると、シロもきっと喜ぶでしょふっへ」



 ふっへ?



 不思議な語尾と共に、マティルダお婆様は、勢い良くお顔を背けました。頬を膨らませながら、唇をきつく噛み締めております。




 ……もしや、とは思いますが。



 お婆様、笑ってやいませんか?




 いや、そんな馬鹿な、と思うものの、どう考えても笑いを堪えているようにしか見えません。

 しかし、一体どの辺りに面白い要素があったのでしょう? わたくしには、いたって普通のやり取りとしか思えなかったのですが。



『けれど、不味いのではありませんか、お婆様?』



 いくら面白いからと言って、王妃様との会話中にいきなり笑い出すというのは、少々不敬な気がするのですが。



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