26‐8.魔王さんの思いです
「…………僕、は……」
不意に、マー君さんが、唇を動かしました。
「…………動物が、好きだ……犬も、猫も、鳥も、他の動物も、全部、好き」
「うん、そうだね」
「…………でも……相手は、そうじゃない。僕が近付くと、怖がって逃げる……」
マー君さんの肩のメロンが、萎んでいきます。
「…………悲しい、けど、でも、僕は、体が大きいし、力だって、ある。顔も、怖い……人間にも、怖がられてるんだから、動物が怖がっても、しょうがない」
眉間の皺を深め、一層俯きました。
「…………僕が、もし、動物を飼ったら、きっと怖がらせる。同じ部屋で過ごすのは、きっとストレスになる……辛い思いをさせてまで、僕は、飼おうとは、思わない。辛い思いをさせる位なら、飼わない方が、いい。その方が、動物も、幸せだから……」
『マー君さん……』
わたくしは、思わずシロクマの耳を伏せました。マー君さんの思いに、胸がきゅっと苦しくなります。
咄嗟に言葉が出てこず、わたくしは、今にも人間界に侵略を果たそうとしている魔王の如きお顔を、黙って見上げるしかありませんでした。
誰もが動かず、口を開かず、ただただ無音が流れていきます。何か言わなければ。どうにか空気を変えなければ。そんな考えは、いくらでも頭を巡りました。ですが、一体どうすれば良いのか分かりません。
焦りのような気持ちと共に、わたくしがお尻を俄かに揺らしていますと。
『……怖くありませんよ』
つと、すぐ傍から、そんな声が聞こえました。
『私は、あなたを怖いとは思いません』
シルヴェスターさんが、マー君さんをじっと見上げています。
『あなたは、とても素敵な方です。とても優しい方です。あなたに飼われる動物は、きっと幸せになるでしょうね。幸せになると思わせてくれる人ですよ、あなたは』
ぽん、と前足でマー君さんの太ももを叩くと、尻尾を振りました。
『確かに、体は少々大きいですし、顔も少々厳ついですけれど、だからと言って、中身まで恐ろしい方だとは思いません。分かる者にはきちんと分かりますよ。少なくとも、私はそう思います』
安心させるように、微笑み掛けます。それから、わたくしを見やりました。
『ねぇ、シロさん? シロさんも、そう思いませんか?』
『は……はいっ。わたくしも、わたくしもそう思いますっ』
わたくしは、前へのめるようにして、マー君さんの太ももにしがみ付きます。
『マー君さんのことは、全然怖くありませんよっ。とっても穏やかで、撫でる手付きも緩やかで、動物相手でも気遣いが出来る素晴らしい方ですっ。性格の良さをひしひしと感じますっ』
『そうですよね。もし私が里親を探している身だったら、マー君さんのような方に飼って頂きたいと思います』
『わたくしも同じ気持ちですっ。飼い主になって下さる方は、少しでも優しい方が良いですからねっ。その点、マー君さんは百点満点ですっ。花丸もあげますよっ』
『逆に、マー君さんといる方が、我々はストレスが掛からないんじゃないでしょうか? 我が子のように愛情を注いでくれる、良き飼い主になること間違いなしです』
わたくしとシルヴェスターさんは、マー君さんの大腿四頭筋を触りながら、頻りに訴えました。
突然喋り出したわたくし達に、マー君さんは目を彷徨わせます。落ち着かせようとわたくしの背中を撫でる手付きは、やはり柔らかく心地良いです。例え鬼の形相をしていようとも、マー君さんの優しさは、しかと伝わっておりますよ。
「――そうだよねー、君達」
不意に、チーちゃんさんが、口を開きました。
「マー君は、怖くないよねー」
目と口元へ、弧を描きます。
そのまま、マー君さんへ視線を移しました。
「ねぇ、マー君。この子達、一度でもマー君のこと、怖がったりした? 逃げようとした? 私の目には、してないように見えたんだけど」
マー君さんからの返事は、ありません。もごりと唇を蠢かし、眉間へ皺を寄せます。
「さっき遊んでた時も思ったし、今もそうなんだけど、この子達、ぜーんぜんマー君のこと、怖がってないんだよね。特別人懐っこいだけなのかもしれないけど、でも、そういう子もいるって分かって、私、嬉しかったんだ。だったら、マー君の夢も叶えられるんじゃないかなって」
ふふ、とチーちゃんさんは、ご自分の頬を押さえました。
「時間は掛かるかもしれないけどさ。でも根気強く探せば、いつかはこの子達みたいな子が、見つかるんじゃないかな? だから、諦めなくても、いいんじゃないかな?」
マー君さんは、無言で視線を落とします。きつく口をひん曲げて、地面を睨み付けました。
「………………見つかる、かな……」
「見つかると思う、私は。少なくとも、今日だけで二匹も見つかったんだから、探せばもっと見つけられるんじゃないかな? ねぇ、君達?」
『そうですとも、チーちゃんさんっ。きっと、いえ、必ずや見つかりますよっ』
『例え、最初は怖がっていようとも、あなたの良さに気付けば、すぐに仲良くなれますよ』
「そうだよねー。見つけられるよねー」
わたくしとシルヴェスターさんの頭を撫でつつ、チーちゃんさんは、続けます。
「人間だって、マー君の良さを分かってくれる人はいるわけなんだから、動物でも分かってくれる子はいるわけなんだよ。マー君さっき、人間にも怖がられるって言ってたよね。そういう人も確かにいるけど、そうじゃない人だっているわけじゃない? マー君がすっごい良い子だって知ってくれてる人は、周りにいっぱいいるわけじゃない。マー君の良い所、私いくらでも言えるよ。言おうか?」
マー君さんは、小刻みに首を横へ振りました。そうして、そっと視線を上げます。窺うように、チーちゃんさんを見ました。
チーちゃんさんは、優しく微笑んでいます。
「マー君は、とっても優しくて、恥ずかしがり屋で、口下手な所とか可愛いなって思う。不器用だけど、いつも一生懸命で、誰かの為に頑張れる所が、本当に凄いなって思う。動物が大好きで、愛護とか保護とかに関心があって、ちょいちょい募金してる所なんか、尊敬してるっていうか、偉いなって思う」
チーちゃんさんは、マー君さんを見つめたまま、口角を持ち上げました。
「そんなマー君が、私はとっても大好きです」
うふふ、と喉を鳴らして、チーちゃんさんは肩を竦めます。はにかみながら、けれどはっきりと言い切りました。
途端、マー君さんの筋肉が、強張ります。これでもかとがっちがちに固まって、チーちゃんさんを凝視しました。
かと思えば、勢い良くお顔を顰め、俯きます。
「………………あ、ありがと…………僕も、その…………好き、です」
耳を真っ赤にさせて、マー君さんは、唇の先をもそもそと動かしました。
とても小さな囁きでしたが、チーちゃんさんにはしかと伝わったようです。頬をほんのり赤らめて、幸せそうにお顔を緩めています。
あら、あらあら、とわたくしは、お二人を交互に見比べました。初々しい様子に、ついついお口が綻んでしまいます。
シルヴェスターさんも、そわそわと尻尾を揺らしていました。その際、決して声は出しません。物音や存在感も、限りなく消します。わたくし達、空気は読めるタイプの子供なのです。この良い雰囲気のお邪魔をせぬよう、今は温かく見守ることにしましょう。
そうして、寄り添うお二人に挟まれつつ、幸せをお裾分けして頂いていると。
「こんにちは。お話中、すいません」
つと、こちらへ近付いてくる気配がありました。
見れば、わくわくふれあい広場を担当しているゴリラ獣人の男性隊員さんが、三歩離れた場所から、わたくし達を窺っています。目が合うと、丸眼鏡の奥でにこりと微笑みました。
「私は、海上保安部で隊長補佐官をしている、ゴーリーと申します。突然声を掛けてしまってすいません。今、ちょっとだけお時間よろしいですか?」
マー君さんとチーちゃんさんは、はて、と言わんばかりに目を瞬かせます。
わたくしも、シルヴェスターさんとお顔を見合わせました。一体どうしたというのでしょう?
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