10‐2.末姫さんと出会いました



「ジャスミン様ーっ。お待ち下さーいっ」



 遠くの方から、四名の女性がこちらへと走ってきます。軍服を着ていらっしゃるので、ドラモンズ国軍所属の方で間違いありません。

 ですが、海上保安部の隊員さんではないようです。

 だって、胸元のマークがカバさんではなく、ドラゴンさんですもの。



「あ、これはアルジャーノン様。お久しぶりでございます」



 深々と頭を垂れる女性陣に、アルジャーノンさんは片手を挙げて答えます。気にするな、とでも言わんばかりに頷くと、その場にしゃがみました。抱えていたわたくしを下ろし、ジャスミンさんと呼ばれた獣人のお子さんと、向き合います。表情を穏やかに緩め、スケッチブックへ鉛筆を走らせました。



“久しぶりだな、ジャスミン”

「はい、お久しぶりです、ノンお兄様。お元気でしたか?」

“あぁ、元気だ。ジャスミンは元気か?”


 ジャスミンさんは、ドラゴンさんの翼と共に、大きく頷きました。


“所で、ジャスミン。今日は一体、どうしたんだ?”

「ミンね、お兄様にね、会いにきました」

“私に会いに?”



 アルジャーノンさんは目を瞬かせると、傍に控える女性陣を振り返ります。



「申し訳ありません、アルジャーノン様。お忙しいと重々承知しているのですが、その、ジャスミン様が、どうしてもとおっしゃっておられまして……」


 そう言って苦笑する女性は、どこか疲れた顔をされていました。髪の毛も、何となくぼさっとしています。

 よく見れば、他の方々も髪型が崩れていたり、服装が乱れていたりと、まるで強風の中でも歩いてきたかのように身嗜みが整っていません。



“ジャスミン、駄目だろう。自分の護衛を困らせては”

「う……で、でもぉ」

“彼女達は、お前にもしものことがないよう、常日頃から守ってくれているんだ。お前が安全に過ごせるのも、彼女達のお蔭なんだぞ。尽くしてくれている者を、そのようにぞんざいに扱ってはいけない。王族として、一人のレディとして、やってはいけないことだ”



 ジャスミンさんの口角が、むぎゅりと下がりました。ドラゴンさんの尻尾で地面を掃き、そっぽを向いてしまいます。



“自分が悪いことをしたと、分かるか?”



 ジャスミンさんは、何も言いません。指をもじもじと弄るだけです。

 アルジャーノンさんも、何も言わずに、ジャスミンさんを見つめています。ジャスミンさんの言葉を、待っているようです。



 やがて、ジャスミンさんは、おずおずとお口を開きました。



「……ごめんなさい……」



 真ん丸なおめめが、うりゅりと潤みを帯びます。唇をきゅっと結び、ドラゴンさんの尻尾と翼ごと、項垂れてしまいました。アルジャーノンさんのお顔を、決して見ようとしません。いえ、見れない、と言った印象を受けます。



 ……わたくしが思うに、ですが。ジャスミンさんは、王族として、自分が褒められた行いをしていないと、分かっているのではないでしょうか。分かっているからこそ、一切の言い訳もせず、謝罪したのではないでしょうか。

 ここまで潔く己の罪を認めるなど、中々出来ることではありません。流石はドラモンズ国の姫君です。とても素晴らしいと思います。


 けれど、いくら褒められたことではなかったとは言え、兄を慕う幼い妹の行動は、果たして罪と言えるのでしょうか。

 わたくしとて、長いことレオン班長と離れ離れになり、いざ戻ってきたかと思えば会えずじまい、となってしまったら、会いたい一心で脱走の一つや二つ、するかもしれません。そう考えれば、ジャスミンさんにも情状酌量の余地は十分あるかと思います。



 ほら、見て下さい、アルジャーノンさん。小さな体を縮こまらせ、それでも泣くのを懸命に堪えていらっしゃるではありませんか。

 兄として、大人として、きちんと伝えなければならないことがあるとは、わたくしも承知しています。しかし一方で、いじらしい妹の想いを無碍にするのは、いかがなものかと思いますよ。


 そんな気持ちを込めて、アルジャーノンさんを見つめました。

 護衛であろう女性陣も、黙っていますが、目は雄弁に語っています。

 どうか許してあげて下さい、と。



 アルジャーノンさんは、鼻から溜め息を吐くと、スケッチブックへ何やら書き始めます。



“ジャスミン”

「……ぐず、あい」

“そんなに、私に会いたかったのか?”

「……あい」

“そのことを、彼女達護衛には、前もって相談したか? どうしたら私と会えるか、一緒に考えて貰ったか?”


 ジャスミンさんは、小さく首を横へ振ります。


“何故だ?”

「……だって……ミンが、ノンお兄様と、あしょびたいって、言うと、いちゅも、だ、駄目って……言うも……」



 アルジャーノンさんは軽く頷くと、素早く鉛筆を走らせました。



“お前の護衛は、何も意地悪で私と遊んではいけないと言っていたわけではない。お前が安全に遊べる準備が出来ていないから、駄目だと言ったんだ。お前が事前に相談をしていたら、きっとお前の望みを叶える為に、色々と準備をしてくれていたのではないか?”

「……あい」

“では、こういう時は、なんて言うんだ?”

「……ごめんなたい」

“謝るのは、私にだけか?”

「……皆も、ごめんなたい」



 ジャスミンさんのおめめが、護衛の女性陣へ向きます。不安げに揺れる眼差しに、女性陣は笑顔で首を横へ振りました。



“これからは、私と遊びたかったら、どうすればいいんだ?”

「……皆に、相談しまつ」

“そうだな。そうしたら、ジャスミンも、護衛も、私も、皆笑顔で再会出来ただろう。次からは、そうするようにするんだぞ。いいな?”

「ぐす……あい」



 ジャスミンさんは、ドレスの裾を握り締め、小さく首を揺らしました。アルジャーノンさんも、頷き返します。

 それからふと表情を和らげて、徐に、ジャスミンさんを抱き上げました。

 目を見開くジャスミンさんへ、スケッチブックを見せます。



“では、ここからは久しぶりに再会した兄妹として、話をしようではないか”



 片手にジャスミンさんを抱えたまま、アルジャーノンさんは、器用にスケッチブックへ鉛筆を走らせます。



“わざわざ会いにきてくれてありがとう、ジャスミン。私も、お前と会いたかったぞ”



 途端、ジャスミンさんの顔が華やぎました。涙目を煌めかせ、


「ノンお兄たまっ」


 とアルジャーノンさんに抱き着きます。

 仲睦まじげな姿に、わたくしは内心大きく頷きました。見守っていた女性陣も、どこか安心したように息を吐いています。



“今日はこちらへどれ位いられるんだ?”

「えっと、えっとですね、それは、夜の前までですっ」

「およそ、夕方の五時頃でしょうか」


 すかさず、護衛の女性が捕捉します。


「海上保安部の敷地内でしたら、自由に歩き回って良いと、本部長にも許可を取ってあります。アルジャーノン様の業務も、本日は末姫様のお相手、ということになっておりますので、どうぞよろしくお願い致します」



 四名の女性は、頭を垂れました。アルジャーノンさんは頷くと、徐に、辺りを見回します。

 すると、第三番隊の隊員さん達が、遠巻きにわたくし達の様子を窺っているのが見えました。まぁ、突然王族のお姫様がいらっしゃったら、何事かと見てしまうのも、致し方ないでしょう。



“ここでは少々邪魔になりそうだ。移動しよう”



 スケッチブックを見せると、アルジャーノンさんは、足元でお座りをしていたわたくしを、拾い上げました。両腕にそれぞれジャスミンさんとわたくしを抱えたまま、歩き出します。護衛の女性陣も、後に続きました。



「……熊さん?」



 ジャスミンさんが、きょとんとした顔でわたくしを見ています。子供特有の遠慮のない熱い視線が、これでもかと注がれます。


 取り敢えず、微笑み返しておくとしましょう。にこ。



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