幻想と喝采


「誇れよ。きみは賞賛に値することをしたんだぜ」


 元日の朝。神社に詣でる幼馴染を見つめる僕に彼女はそう言った。

 黒のスーツに長い金髪をポニーテールでまとめた高身長の女性だ。精悍さを漂わせるその顔は、一見してクールな映画女優のようでもあるが、それにしてはあまりに剣呑である。本人にそのつもりがあるかどうかに関わらず――彼女には独特の威圧感があった。

 その彼女が、僕の肩にぽんと手を置いて、和やかな声で言う。


「きみの幼馴染が、こうやって何事もなく平穏無事に新年を迎えることができたのは、ほかならぬきみのおかげなんだから、そんな暗い顔するなよ」

「……そんなに、暗い顔してました?」

「ああ。とても、幼馴染の命を救った人間の顔じゃぁなかったかな」

「そうですか」


 それは、たしかにマズいのかもしれない。

 僕のしたことは正しいことであるというのに、僕自身がそれを信じられないというのは。


「あの架空実在――Imaginary Beingは確かに、きみの幼馴染と瓜二つだ。いや、ある意味で本人であったと断言してもいい。記憶も、性格も、何もかもがオリジナルとそっくりそのまま変わらないのが彼らIBの特徴だからね」


 ◆


 IB――そう呼ばれる超常の存在を僕が最初に認識したのは、昨年のクリスマスのことだった。僕が街中で幼馴染を見かけたその時に、僕の携帯に幼馴染から電話がかかってきたのだ。

 無論、街にいた方の幼馴染は電話なんかかけてきちゃいない。幼馴染の携帯を誰かが勝手に使ってる可能性も考えたが、電話に出てみればそれは紛れもなく幼馴染のもの。


 矛盾が生じていた。


 黒スーツの彼女とは、その時に出会った。電話片手に困惑する僕から携帯を奪い、勝手に電話を切るや否や彼女はこう言った。


「同じ人間が同時に別の場所にいる――そんなこと、ありえるのかって顔してるね」


 結論から言えば、それはあり得るというものだった。


「正確には同一人物じゃあないんだけどね。別次元からこっちの世界にこちらの世界に存在する人間の情報思念体。どちらが偽物というわけでもどちらが本物というわけでもない関係にある我々の隣人。これを我々は架空実在Imaginary Beingsと呼ぶことにした。あくまでも、実態はなく、人々の想像の世界でのみ干渉しうる存在だからね。」

「そいつが……あの、」

「ああ。電話に出た方か、街を歩いていた方。どちらか一方が君の幼馴染のIBということになる」

「…………」

「さて。問題なのは自分がIBだと自覚してしまったIBがどんな動きを起こすか分からないことだ」

「どういうことですか?」

「いや。IBというのは想像に住む生命といったところでね――その気になれば、人間一人を洗脳するくらいは容易いと見られているのさ。そして、IBはこの世界の人間一人一人と対応する個体が存在する。分かるかい? このままでは、IBに知らず知らずのうちに支配されてしまうかもしれないんだ」

「し、支配?」

「だから、可能な限りIBは殺さなくてはならない。全人類の半数以上のIBが覚醒してしまえば、この世界はIBのものとなってしまうだろうからね」

「殺せるんですか!?」

「無論だとも。そうでなければ、我々のような組織はありえない」

 唖然とする僕に彼女は「おっと、自己紹介が遅れたね――」と言って懐から小さな手帳を取り出して見せた。ドラマで見る刑事のように。

「私は警視庁公安局超常存在対策課の桜井。きみに、折り入って頼みがある」


 桜井さんから頼まれたのは、どちらの幼馴染がIBかを見極め、IBを誘い出して銃で撃ってほしいというものだった。誤って人を撃ってしまったらどうするのかと尋ねたら、彼女はからりと笑って、

「そうならないよう、こちらでも可能な限り確認するよ。きみが間違えそうになったら、止めに入るさ」

 と言った。

 その言葉を信じて、僕は数日間行動し、ようやく昨日――大晦日の夜に幼馴染のIBを殺すことに成功した。

 正直、気分がいいものではない。

 だってIBであろうと、僕の幼馴染と寸分違わぬ見た目。寸分違わぬ声音。性格。


「どうしてっ……」


 僕が銃を向けると、IBはそう言って、涙を流した。何か、言葉を続けようとしていた様子だったが、それ以上言わせてしまっては決意が鈍ってしまうと直感し、僕は撃った。

 銃弾が胸に当たると、IBは泡がはじけるように崩壊を始めた。

 けれどそれは、血の詰まった肉が膨らんで弾けるような、グロテスクなものではなくて、もっと淡くて綺麗なものだった。

 しゃぼん玉のようにぷくーっと膨らんが身体の各部位が、ぱちん、と弾けて消える。消えたヶ所は虫食いにあったように欠落しているが、そこから血が流れることはない。

 現実感に欠けた光景だった。


 僕はただ、夢見心地でIBの消滅する光景を見ていた。


 あれで良かった。良かったはずなのだ。なのに。

 最期の言葉が、耳にこびり付いて離れない。

 それだけはどうしようもない現実感をもって、僕の心に強く根を張っている。


「……もし、きみが良ければなんだが」

 桜井さんは一つの提案をした。

「これからも、IB退治に協力してくれないかい?」

 僕は、それを了承した。

 きっと、あの声をかき消したいという一心で。


 それから一年、僕はあちこちを駆け回り、IBを殺して回った。桜井さんに言われるがままに。何も考えずに。


 たくさんのIBに会った。みんな、どう見ても普通の人間だった。

 だけど死に方は人間じゃなかった。

 そのことに安堵する一方で、僕は不安だった。

 いつまでたっても、僕自身のIBには遭遇しないことが。

 僕のIBを殺せたなら僕はきっと、躊躇いなく殺せるようになるだろうに。


「大丈夫かい?」


 今日は、公安の人達のパーティーに招いてもらえることになった。だけど、このところ僕は激しい頭痛に見舞われていて、どうにも楽しめそうにない。

 せめて挨拶だけでも、と桜井さんに言われたから無理をして出てきてみたが、本当を言えばどこかで横になって眠りたいところだった。


「……済まないね。無理をさせて」


 礼服姿の桜井さんが言う。


「すぐに休めるようにするよ。だからせめて、喝采だけは浴びてくれ。みんな、君に感謝してるんだから」


 言って、桜井さんは会場の扉を開けた。

 瞬間、会場の中にいた人達が一斉にこちらを向いた。

 それはまるで軍隊のように。

 ……どう考えても、パーティーに来ている人々の動きではなかった。雑然さが、まるで感じられない。

 訝る僕に向け、彼ら彼女らは拍手を送る。


「我らが英雄に賞賛を!」


 僕の背に立つ桜井さんが、声を張り上げた。


「あ、あの……これはどういう……?」

「こういうことだよ」


 人混みを割って、悠然とその男は歩いてきた。

 黒のスーツ姿に身を包んだ小柄な青年。見覚えがあった。

 ――いや、違う。


「な、なんで……」


 頭痛なんて気にもならないくらいの衝撃だった。

 だってそこに居たのは、僕だったのだから。

 僕自身のIBが、IBに対抗しているはずの公安のパーティー会場で主役のように堂々としていたのだから。

 彼は僕に銃を向ける。いつも、僕がIBたちにしてきたように。


「……説明は、要らないんじゃないか? 最初に手を下したその時から、きみは薄々気付いていたはずだ」


 僕のIBは冷たく言い放つ。

 ――ああ、そうだ。やはり、そういうことだったのだ。

 背に立つ桜井さんの顔を見る。

 彼女の唇が小さく動くのが見えた。

 ――すまない。

 そう言ってるのだろうか。

 彼女は僕の背から離れ、僕のIBの側へ回る。

 僕のIBは引き金に指をかけると、皮肉げな笑みで告げた。


「誇れよ。きみは賞賛に値することをしたんだぜ」

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