お題【現代舞台の怪奇小説】をテーマにした小説
――中間報告
〇月×日11時34分、N県M市に到着。現地の民宿を拠点に周辺住民からの聞き取りを実施。
「あらあら、東京の学者さん?」
老婆は声を弾ませて聞いてくる。気の良さそうなおばあちゃんだ、話によるとこの村に嫁いできてからかれこれ40年間ずっとこの民宿を経営しているらしい。
「そんな偉いもんじゃないですよ、大学院で研究してるってだけです」
努めて明るく、笑顔で返す。人と人とのコミュニケーションはとにかく笑顔と明るい声色が大切だ。
「この辺の植物とか、虫とか、自然現象とか、そういうものについて調べてましてね……おばあさん、そういうのって詳しいですか?」
「さぁてねぇ……ここら辺に住むようになってからもう長いけど、たいしたことは知らないよ?」
「たいしたことじゃなくていいんですよ、そういうのが大事なんです。例えばそう……スイコランってご存じですか?」
「スイコラン……?」
おばあちゃんは怪訝そうな顔でこちらを見つめ、そして
「変わってるねぇあんた。あんなもの、別に珍しくも無いでしょうに」
当たり前のことであるように、そう言った。
「現地の人だからこそわかることっていうのが大切なんですよ。なんでもいいので教えてくれませんか?」
しばらく不思議そうな眼をしていたが、交渉の末どうにか話してくれた。
◇
――中間報告
現地住民からの情報
・スイコランは少なくともこの村で100年以上前から確認されている。
・スイコランを見たがった子供が山に入って事故死する事例がある。以前はもっと多かったが近年は山道の整備と教育、監視体制の改善により数年に1度起きるかどうかといった頻度まで減っている。
・昔はスイコランを目当てに訪れる観光客もいたそうだが、少なくともここ50年はいないらしい(現地住民の目を盗んで侵入などの見逃しはあるかもしれない)。
・スイコランを確認できるのは主に日中、夜間は満月の日など光量の多いタイミングに幾つかの条件が重なれば稀に確認可能。
・スイコランがいわゆる神隠しの元凶であるという民話が伝わっているが、この地域以外では聞かないとのこと。現在は口伝でのみ伝えられているらしい。
・地形の問題もあるが、スイコランを遠距離から確認した事例は今のところ存在しないらしい。
――以上。これより実地調査に移る。
◇
翌日11時33分、現地調査のため山に侵入。バイクを使うには適さないと考え装備を整えた上で徒歩にて侵入。10分ほど経ってから、その判断を後悔することになる。
暑い。晩夏とはいえ夏は夏、日差しがじりじりと着実に熱を蓄積していく学者っぽく見られるために白衣を着てきたがどう考えても山道まで来て脱がない理由が無かった。Tシャツには汗が滲み額から滴る汗が眼鏡を濡らすので定期的に拭かなければならない。山道は整備されているとは言っても傾斜のある道を歩いて疲れないわけがない、という当たり前の理屈を失念していたのは余りにも迂闊だった。
「ふぅっ……」
ようやく目的地が見えてきて一息つく。長いような短いような時間歩き続けてようやく山頂近く、スイコランを目撃できるという場所に辿り着いた。山の中でその周辺だけ明らかに開けている、昔は観光客もいたというのだから何かしら人の手は入っているのだろう。古くなっているが、木製の杭とロープで簡素な柵が作られている。
「えーっとえーっと……」
腕時計を確認する。時間は11時49分、スイコランは正午が最も観測しやすいらしい。そして、諸条件を確認するに特定地点を中心とした半径約300mの地域に人間が侵入している状態でなければ発生しない可能性が高い。鞄から記録用のビデオカメラとマイクを1台ずつ取り出して三脚に固定、その他幾つかの機材を準備してから手持ち用のビデオカメラとボイスレコーダーを準備してスイコラン発生に備える。待つこと数分、さほど長くない時間を経て、それは現れた。
「ほうほう、これはこれは」
思わず声が出る。先ほどまでただ草木が生えているばかりだった地面が一面青い水面のように波うち、そこから大小様々の泡のような球体がぽつぽつと浮かび上がっては弾けていく。弾けた泡の欠片はそれぞれがまた小さな水滴となって水面に落ちてからまた泡になっては弾ける、そんなサイクルを繰り返している。
「これが
可能な限り見える範囲の情景と、見えていないかもしれない情景をカメラに映す。今見えているものが全てとは限らない。可能な限り全ての情報を集めて、それでも尚足りない可能性の方が高い。
「えーっと、とりあえず自然現象系だね。地面が水面みたいになって、泡が出ては弾けて消えて、って感じか。分類は平穏?あーそれとも……」
音声記録を残している最中、ぶくぶくと水面が泡立ち弾けそのサイクルを早めていく。泡立つ速度は徐々に加速していき、やがてひときわ大きく膨れ上がった泡の群れが弾けた時、浮き上がる泡は七色に光っていた。
「うーん……これはヤバいね?」
音声、動画、その他あらゆるデータに異常が出る。私には何も感じられない。つまりこれはそういう現象だ。
「ごめんねぇ、私にはそういうの効かないんだよ……なんせ」
鞄の中にしまっていた本を取り出す。大きくて、タイトルも何も書かれていない本を捲る。かつて酔瑚濫を記していた、今は白紙のページを開く。この本には、そんなページがいくつも存在している。
「私も……君のお仲間だからねぇ?」
にやりと笑う。七色の泡を睨みつける。意志らしきものがあるのかもわからないが、それでもそうするのが礼儀だと勝手に思っていた。
◇
――補足事項
酔瑚濫再録用のエージェントとして特定収容保留記録38番「マレビト」を利用。今回の再録作業はマレビト単独での運用テストを兼ねたものである。結果は別紙を参照されたし。
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