第4話 誰そ彼
「ヒッ!」
香は驚いて立ち上がり、その拍子にPCが膝の上から払い飛ばされるように落ちる。
まだ、橙色の坂道には、自分の影が長く伸びている。けれど先程 感じた叙情的な雰囲気は無くなり、どこか奇妙な、歪んだような感覚を香は味わった。
「自惚れめ」
いきなり、香の耳元で声がする。
香は 声を上げることもできず、近くにいたであろう、何かを振り払うように、振り返った。
その時、また奇妙が香を襲う。
香の何倍にも伸びていた影が、香の動きに伴わないのだ。
振り向き、さらに後ずさったはずなのに……
——あとで取りに来ればいい。今はとにかく逃げよう。
大切なPCさえ放って逃げようとしたのだ。聴こえた声は、考える必要もなく 邪悪だった。全身に立った鳥肌と、噴き出た冷や汗が、それを教えてくれていた。逃げなければならない。
が、自分の影が自分に付いて来ないと言う 更なる恐怖に、香の身は固まる。
かろうじて動く眼球で足元を見ると、やはり、影が香の足から離れている。
香は徐々にゆっくりと、自分の足元から先、坂を下るように視線を動かした。見たくはなかったが、そこに何がいるのが、確認せずにはいられない。
–––––– 影だ。
香の影だ。
その影が、香の眼の動きと同様に、ゆっくりと香を指差してくる。香はそんな動作などしていない。
やがて影は、ペリペリと夕日に染まった道から捲れ上がり……
立った。
異様な光景である。今まで、自分の影だったものが、目の前に立っているのである。
夕日で増長され、香よりも大きい体はタールのような闇で出来ており、その闇は蠢いて、微かな腐臭が漂ってくる。
影は、香の前に立ちはだかり、香を抱きしめようとする。
–––– あぁ、飲み込まれる。
香の恐怖は、影に飲み込まれる寸前に途絶えてしまったのか、それとも恐怖だけ先に、影に飲み込まれてしまったのか。香が飲み込まれる直前に思ったことは、あまりにも屯間な事だった。
–––– 影に影はあるのかしら?
懸命に影の後ろを見ようとしたが、香の視界と意識は、虚しく黒で塞がれていった。
*
「––––さん。–––ムラさん」
どれくらい、そうしていたのだろう。香は電柱に背中を預け、両足を放って、座っていた。ここが田舎でよかった。通りが多ければ、香の足は無くなっていたかも知れない。
「野村さん」
香は揺さぶられて、目を覚ます。
意識を取り戻すと、夕日の紅さのかわりに、周囲は薄青さで覆われていた。暗くなりきってはいない、静物が形を保てているギリギリの時間だ。これ以上、時間が経つと、物の輪郭は闇に溶けていく。
その暗くなりきっていない、ギリギリの視界に中で、香は自分の名を呼ぶ人物の顔を見た。
そこには、かつてのクラスメイトの、
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