第13話 〝聖母〟クラス
アイシア聖母学院にマティアスが通うにあたり、当然浮上する疑問がある。
『〝
……
……
或いは……そのどちらの枠組みにも囚われないことから、教養科か?
――回答は、『そのいずれでもない』。
(ふぅ……学院に着くまでに消えてくれて良かった……)
ニーテの手形が見えないまでに薄くなった頬をさすりつつ、マティアスはアイシア聖母学院の校舎の、廊下の一本を颯爽と歩く。
「待って、待ってよ! マティアスお兄ちゃん歩くの早いー!!」
「ホリー、廊下を走っては駄目よ。……ね?」
そんなマティアスの真横にパタパタと小走りで追い付いたのはホリーで、マティアスの三歩くらい後ろを付いてくるのはラーンである。……一〇歩くらい後ろを、肩を落としたニーテがとぼとぼと同じ方向へ進んでいた。
ラーンもニーテもホリーも、アイシア聖母学院の女子制服を纏っている。ラーンとホリーに関しては、メイド服と同じようにそれぞれ胸元の布地やスカート丈が大胆に裁断されていた。制服の改造を許されている……そこを鑑みれば、彼女たちは術士科の生徒だと思われるのだが――
「――到着ー! 一番乗りー♪」
「……ではないのじゃよ。おはようじゃ、マティアス殿。ラーン殿もニーテ殿もおはようじゃよ」
ホリーが意気揚々と開けた扉の向こう、ケープを羽織った制服姿のソルアートが苦笑いしていた。ホリーに続いて扉を潜ったマティアス、ラーン、ニーテと朝の挨拶を交わす。窓からの陽光に長く波打つ金糸の如き髪を煌かせるソルアートへ、ホリーが「はぅ……」と息を吐いてにじり寄った。
「ソルアートちゃん……実はあたし、ソルアートちゃんに一生のお願いがあるの!」
「……な、何じゃ、改まって?」
大きな瞳を潤ませて見下ろしてくるホリーに、ソルアートはじりじりと後ろへ下がる。それを追い掛けながら、頬を染めたホリーは意を決した様子で告げた。
「あたし、ソルアートちゃんを初めて見た時から……本当に可愛いと思ってたの! 妖精さんみたいで……天使様みたいでっ、こんな素敵な女の子がこの世に居るんだって……!」
「……あ、ありがとう、なのじゃ。そこまで言われると、面映ゆいのう……」
言葉とは裏腹に、ソルアートは困った様子である。
(これは……もしや、その……百合の花が咲き乱れる展開……!?)
そういうことも、女子校では稀にあるとマティアスは耳にしていた。マティアスが編入するまでは、まさしく女子校であったアイシア聖母学院。これは……ホリーからソルアートへの愛の告白なのか……!? 当事者ではないにもかかわらず、マティアスはドキドキする……。
頬を苺のように染めて、両手を腰の後ろで組んでもじもじしながら、ホリーはソルアートへ思いの丈を伝える台詞を紡いだ――
「ソルアートちゃん、もし良かったら、あたしの――妹になって下さいっっ!!」
「妾の方が年上じゃぞっっ!?」
ガビンッ! という擬音を上げ、ソルアートがホリーへツッコんだ。
「ソルアートちゃんの実年齢なんて些細なことだよ! 大事なのはソルアートちゃんがあたしよりも小さくて可愛いことなんだから!!」
「……よぉしお主実は妾に喧嘩を売っておるな受けて立ってやるのじゃこらぁっ!!」
ソルアートを抱き締めて頭を撫で撫でし始めたホリーへ、当の〝
(……うん。何か、予想とは違ったよ……)
「……ホリー、昔から『妹が欲しい!』ってお父さんとお母さんを困らせてたから……」
「……全くもう、あの子は……!」
しみじみと困り顔をするラーンを尻目に、ニーテはホリーをソルアートから引き剝がそうと歩いて行った……。
……そんなこんなしている内に、時計はそろそろ始業の時刻を示そうとしていたが――この教室に他の生徒の姿は、無い。というか、そもそも……『教室』と呼ぶのも語弊がある部屋であった。机や椅子が整然と並んでいるわけではなく、教壇も無い。質の良さそうなソファーやテーブルが密にならない形で整えられたこの場所は、むしろ『サロン』とでも表現したくなる。
なのだが……ここはれっきとしたアイシア聖母学院の教室であった。ある特別なクラスの、教室なのである。
(……『〝
眼前の四名の少女たちには気付かれぬように、マティアスは胸の内で溜息を吐いた。
アイシア聖母学院の生徒たちには、学年や学科の枠組みを越え、総合的な成績で順位が付与される。それの上位一〇名にマティアスを加えた一一名で構成されたクラスこそ、〝
……要は、アイシア聖母学院が最も〝
(アイシア聖母学院としては、このクラスの所属者の中から〝
……もうお解りだろう。この教室に集まった、学年が全く違うはずの少女たち――
アイシア聖母学院内序列第三位――ソルアート・ビナー。
アイシア聖母学院内序列第五位――ラーン・アンシャリア。
アイシア聖母学院内序列第七位――ニーテ・ミラード。
アイシア聖母学院内序列第一〇位――ホリー・アーノルド。
……彼女たちは皆、〝
とはいえ、本来は一一人であるはずのこのクラスに、マティアスを含めても未だに五人しか登校していないわけだが……。
より正確に言うと、マティアスがアイシア聖母学院に通うようになってから、他の六名は姿をまだ一度も見せていない。
「……ソルアートさん。ずっと訊きたかったのですが、他の皆さんはどうされたのですか――」
「マティアス殿――敬語」
「……どう、したのかな?」
ソルアートに半眼で指摘され、マティアスは言い直す。……先日の巨大蜂型ソーマ戦の共闘以来、マティアスはなし崩し的にソルアート相手には素の口調で話すことを強制されていた。その点を鑑みれば、現状〝
「――あ! それならあたしにも敬語禁止ね、マティアスお兄ちゃんっ。ソルアートちゃんとお揃い~♪」
「お主とお揃いなぞ真っ平ご免じゃ!」
……そのリードをどれだけ維持出来るかは不明だが。
それはともかくとして、何故他の六名の〝
(……彼女たちが、実は僕の伴侶になることを嫌がってるのだったら……少しは話が楽になる、かな?)
……生憎、そうは問屋が卸さなかった。
「序列二位のレナ殿は、公務が忙しくてまだこちらには来られんそうじゃぞ。
「そう、なんだ……」
「一日でも早くマティアス殿と落ち着いて話がしたいと、楽しみにしておったのじゃ」
「………………」
マティアスが何ともコメント出来ないでいると、ラーンとニーテも続けて補足する。
「えぇと、序列六位と八位は、諸事情で今はザ・ワンに居ないんです。帰ってきたら、きっとこちらにも顔を見せると思いますよ」
「序列一位は、
「ええ……」
アイシア聖母学院の序列一位は、マティアスも浅からぬ縁のある少女の為、今ここに居ない事情を知っていた。アイシア聖母学院で最高峰の実力者、即ち
そこに行って戻ってこられるだけの実力を、彼女が持ち合わせているとはマティアスも理解しているが……。
(……本当に何事も無く、無事に戻ってくるといいけど……)
そのことを、マティアスは素直に祈る。
「……それで、他の……そう、序列四位の方は?」
マティアスのその質問に、ラーンもニーテもホリーもソルアートも目を逸らした。……どうやら、アイシア聖母学院内序列第四位の人物に関しては、触れてはいけない話題であるらしい……。
(それなら、残る第九位は……?)
その人物について、マティアスが問おうとした刹那である――
「――おはようございます。長らく登校出来なくてすみませんでした。弟と妹たちがずっと熱を出していて……」
教室の扉がほとんど音も無く開き、静々とそこを潜った少女が一人。
反応して振り向いたマティアスと、彼女の視線が重なって……少女は息を呑み、発言を停止させる。
……身長は、マティアスよりほんの少しだけ高い。腕も脚も長く、黄金比を描く肢体を白きアイシア聖母学院の制服に完璧に包み込んでいる。鴉の濡れ羽色の髪を三つ編みお下げにし、黒曜石のような切れ長の瞳をささっと伏せた顔立ちは、この場の他の少女たちと比べて純朴な雰囲気を湛えていた。
彼女の方から漂った胸の透くような爽やかな芳香を嗅いだ瞬間――マティアスは何故だか、こんな風に感じたのである……。
(あ……クアドラに、似てる……)
……顔の造形はもちろん、髪や瞳の色も、体格だって違っているのに、その時のマティアスはどうしてか、その少女とクアドラが重なって見えたのであった……。
――この時、その少女との出逢いが、間違いなく始まりであった。
アイシア聖母学院内序列第九位――
彼女との出逢いが、クアドラへの失恋以来止まっていたマティアスの恋の時計の針を、ほんの少しだけ動かす――
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