成神の剣

ヘイ

ここから

「冷えんべ」


 外は吹雪。

 今日は一段と吹雪いている。

 ごうごうと風と共に雪が吹き荒れる。この東北の地でも北に位置する田舎の地域では雪がよく降り積もる。

 岩手であれば奥羽山脈にあたり、乾いた風が吹くであろう。

 ただ雪の積もるこの地域に生まれた彼からして、岩手の環境は少しばかり肌が痛む。吹き荒ぶ乾燥した冷たい風が頬を刺して、痛かったことを覚えていた。


「じい……」


 家の中に祖父がいて、いつもの場所に彼は座っていた。冬となって日も長くない。外は午後の四時だと言うのにもう暗い。

 炬燵の中に足を入れて、エアーコンディショナーのないこの家は電気ストーブをガンガンとつけて部屋の中を温める。


「ほら、蜜柑みがん食うが? ちょっと、しゅっけぇすっぺぇげどな」


 小さな気の籠の中に幾つもの蜜柑が見える。それは炬燵の上に乗せられている。

 少年、川村かわむら義史よしふみは炬燵の中で足を伸ばす。冷たさに麻痺した足がその暖かさを知るのはもう少し経ってからだろう。


そど、もうさみいがらな。ジャンバーどが、手袋ねぇど出らんねで」

「んだな」


 義史はようやく手が温まった為か、蜜柑に手を伸ばす。皮は僅かにひんやりとしている。爪を立てて皮を適当に剥いていく。

 アルベドはそのままに、一つ千切って口の中に放り込む。少し口が窄んだ。


「うえ、すっぺ!」

「甘え方がいいけ?」

「んや、甘過ぎんのも俺は無理だがら」


 徐に義史は炬燵から足を抜いて立ち上がった。


「どしだ?」

「ココア飲む」

「ココアはあったげぇがらな」


 んだんだ。

 そう呟いて祖父は義史の前にチョコレートを出した。


「チョコレート、義史に買っできたんだ。食え

「……あんがと」


 そのチョコレートを義史は手で手繰り寄せて、炬燵の上に乗せて台所のある部屋に向かった。

 ココアを作っているとインターホンが鳴らされる。

 どうにも客が来たみたいで、祖父が玄関に出る。


「どうも、お晩です!」


 老人特有の大きな声が玄関から響く。いつもの事だからと義史は気にする様子も見せない。


「おお! マサ!」

「ははっ、回覧板持っできだぞ!」


 そんな会話が聞こえているうちにココアは出来上がり間近となっていた。


「おあぢっ」


 マグカップには並々に入れた牛乳。電子レンジに入れていたそれを取り出して、匙とココアパウダーを用意する。

 スプーンを袋に潜らせ、こんもりと粉を取り温まった牛乳に一杯、二杯、三杯。沢山いれる。


「牛乳多すぎだが?」


 掻き混ぜれば溢してしまいそうだ。そう思い、少しだけ牛乳を飲もうと義史がカップに口をつける。


「けほっけほっ……!」


 粉が口から入り咽せてしまう。

 それでも牛乳の量が減った為、今度こそとカップの中身をかき混ぜる。みるみるうちに白色と茶色が混ざって薄茶色になる。


「ふぅーっ」


 少し冷ましてから、ゴクリ。


「はぁっ……」


 甘い。

 温かさがじんわりと体に染み渡る。義史は冷めてしまう前にと、グビグビと全て飲み干した。


「じい」


 炬燵の部屋に戻ると、祖父がまた座っている。


「上さ行ぐか?」

「うん。チョコ貰ってぐ」


 炬燵の上に置いていたチョコレートを持って階段を上っていく。ギシギシと音を立てて。この家は築五十年近くと、新しい家ではなかった。

 だからか、床はよく軋むのだ。

 上へ行くと、一番広い部屋。ではなく、自身の寝室に向かう。ストーブが点くのを待つよりも、毛布を重ねてくるまっていた方が温まるのが早いからだ。


「うわぁ、寒ぃ、寒ぃ」


 父と母が帰ってくるまでの間、こうしていよう。毛布にくるまって彼はそう思った。布団の魔力によって食欲以外では脱出不可能になってしまったのだ。

 因みに、田舎の此処では朝起きると布団から出られないと言うのは、他の何よりも大きかったりする。


「はあ、疲れた」


 この疲れは、学校からの帰りを歩いてきたからだろう。雪道の中を五キロメートルほど。

 大凡、一時間かけて下校してきたからだ。都会の学校では未だ、自転車での登下校ができると聞くが、義文にはそれが正しいのか分からない。

 靴下はびちょびちょになる。

 これでは部活のあった方が幾分もマシであった。


「ま、早く帰れたし……」


 それはそれで良いのだ。

 学校の教師がいたのであれば勉強に時間を使いなさいと、説教を垂れていただろうが、自宅には教師などいない。


「最近、寝れてないし。ちょっと寝るか……」


 寝れてない理由は簡単に本を読みすぎるからである。

 気になった小説を読み耽り、気がつけば深夜を回る。だから、眠れていない。その程度、などと言う人があっても、部活がほぼ毎日あるような学生が睡眠時間、四時間はかなりのものだ。


「はー」


 瞳を閉じる。体を丸める。熱を逃さないような姿勢を探す。その姿勢は胎児のように。


「眠ぅ……」


 欠伸をして、彼は瞳を閉じた。

 次の瞬間にパリンと、音が響いた。


「んぁ……」


 音が気になるが布団は剥げない。

 風音が強くなった気がするが、気にしない。障子は閉めてあるし大丈夫な筈だ。

 そう言い聞かせる。

 次の瞬間にガラガラガラ、と開かれるような音が聞こえた。

 流石に怖くなって義史は体を起こした。


「な、なんだ?」


 窓の方に目を運ぶ。音がしたのはそちらだったからだ。


「はあ?」


 そこには一人の雪のような白い肌、黒色の着物に身を包む、黒髪の少女がちょこんと座り、頭を床につけていた。つまるところ、土下座の姿勢を取っていた。

 義史は現実逃避するように静かに布団を被る。


「…………」


 何だアレ。

 疑問が湧いて出る。

 低頭のまま、視線を義史に向けた少女が口を開く。まるで歌謡のようにも思える美しく響く声は人の心を惹きつけて止まない。

 小野小町が生きていたら、聞くことがあったのならまさしくこうであったのかもしれない。


「私は雪音と申しまする。強き神の気を感じ取り、参上仕った次第であります」

「…………」


 言語は理解できる。

 田舎言葉では無い。訛りの強い、この地域特有の濁音が付いた発音では無いこと。どちらかと言うと方言と言うよりも、昔言葉のようである。

 古風な語りの少女。


「それは貴方様の身より発せられております」

「…………」


 この時に義史が感じたのは、強い好奇心ではなく、理解不能に掻き混ぜられる恐怖。混乱に陥っていく脳では、現状を掴むことができない。


「私と契約を……」


 契約。


「契、約?」


 何のことだかわからない。

 とりあえずは上体を起こして、少女を目に入れる。義史の目と、雪音と名乗った美しい少女の水色の目が重なった。


「私、雪音は武士もののふ成神なるかみを守護し、導く大義が存在します」

「待っでぐださい」

「はい」

「武士、っでのは何ですか?」

「武士は、言うなれば近衛のようなものでございます」

「近衛?」

「はい」

「誰の」

「貴方のでございます。失礼ながら、名前をお聞かせ願えますか?」

「…………」


 簡単に名前を教えて良いものか。義史はまだ、この少女を信じていない。如何な美麗であったとしても、それだけで信じてはいけない。


「我ら、武士は成神の守護を目的としてのみ戦力行使が許されております」

「あんだの目的は?」

「……成神の守護でございます」

「俺が成神だどして、あんだが守る理由がわがらん。金が得られるのでしょうか?」


 何の見返りもなく、そんなわけがない。


「いえ」

「なら、何ですか?」

「……そう、ですね。やはり説明は必要でしょう。成神は神になる素質のあるもの。あなた方には神になる為に二つの方法があります」


 二つ。

 それも方法と言った。


「本日、十二月二十日より、翌年の今日までに日本を跋扈する魑魅魍魎ちみもうりょうをより多く討伐すること。或いは──」


 その先の言葉は冷たく、血の気のような物を混じらせ告げられた。


「──他の成神を殺し、最後の一人として生き残ること」

「や、待で待で! それなら何で俺何ですか!」

「貴方に成神の素質があったが故と、申し上げる他ありません」

「そ、その前にだ。どうやっで魑魅魍魎を討伐するんですか!」

「その為の武士です」


 若い少女が。

 いや、そもそもの話。前提として。


「魑魅魍魎なんでいる訳ねぇ!」


 だとしたら、この世界は混沌に陥っているだろう。


「百年の時を経て、封印結界がひび割れているのです。押さえつけられていた魑魅魍魎共がこの世に溢れんとしております。その為に、期間は一年」

「封印結界?」

「はい。先代の神が作り上げた魑魅魍魎を押さえつける結界でございます」


 その説明を裏付けるように巨大な揺れが起こる。今日は猛烈な吹雪に続き、巨大な地震。窓は割れている。その割れた窓から巨大な目が義史を捉えた。


「な、は……?」


 信じられない巨体だ。

 大きさは大凡、七、八メートル程だろう。到底、人間の大きさでは説明できない。


「──っ! 契約を!」


 全ての言葉に合点がいく。


「早くしなければ、被害が甚大になります!」

「な、何なんですか!」


 アレは何だ。

 あの鉛色の巨体は。

 割れた窓からおおよその全容が見える。天を衝くように額から伸びた、禍々しい黒色の角。相撲取りのような巨漢。

 雪道を一歩、踏み締めるたびに地響きが起きる。

 裸体。

 陰部を隠しもせず、曝け出しながら暴れる邪悪は気味が悪い、気色の悪い。

 鼻をつく悪臭に義史は顔を顰める。


「うぉぇっ……」


 吐き気を催す臭い。

 酸味のあるような、甘みのあるような、苦味のあるような。形容のし難い、咽せ返るような臭い。混ざり合って、混沌としている。

 巨腕が大きく横に振われる。

 義史の住む家。

 その二階が薙ぎ払われる。軽々と。

 そんな中、雪音が義史を抱え、脱出する。


「早く契約を!」


 雪音が契約を迫る。

 悪臭に混じって、鉄の匂い。否、それは血の匂いと言うべきか。

 悪鬼の足元に年老いた白髪の老人が踏み潰されている。背骨が折れている。もう助かる見込みはないだろう。


「じい!」


 義史の祖父だ。

 雪かきのために外に出ていたがために踏み潰された。


「止まってください! 貴方まで死んでしまいます!」

「でも、じいが!」

「もう、助かりません……!」


 血溜まりが白を染める。

 鬼はそれを気にした素振りもない。偶然、踏んでしまっただけなのだろう。


「あ、ああ……!」

「これ以上の悲劇を生まないために、お願いします。契約の為に名前を!」

「──川村、義史。……契約、する。だから、じいを殺した、あの糞をどうか殺しでくれ!」

「了解しました」


 凛とした声が返ってきた。

 雪音の声だ。


「成神の命に従いまして、悪鬼を殺します」

 吹雪の中、黒色の着物を纏う美少女は一切の苦悶を見せることなく、そう断言する。

「来い、『秤鉄はかりがね』!」


 彼女が名を呼ぶ。

 上段構えを取る雪音の手には美しき波紋を浮かべる、彼女の身長とほぼ同じ百五十センチメートルにも及ぶ大太刀が握られる。

 美しくも、残酷に。

 それは恐怖と興奮を覚えさせる。

 命を奪われるのではないか。

 だが、美しい。


「──ふっ!」


 大太刀は迫り来る鬼の怪腕を切り裂いて、血飛沫を上げる。


「グルルァァアアアア!!!!」


 鬼にも痛覚があるのか、地団駄を踏む。その瞬間、義史の視界は揺れるが雪音には関係がない。

 高く、彼女は雪に埋もれた地面を踏み、跳躍していたのだ。

 鬼の目の前。

 縦に割かれた右腕ではなく、無傷の左腕を鬼は振るう。


「やぁっ────!」


 その左腕は肘より後ろ、中程で横に割かれた。

 肉の断面が覗く。

 グロテスクなそこから、数秒遅れに血が噴き出すのであろう。だが、その前に、終わる。

 雪音が振るった大太刀、秤鉄が鬼の顔を問答無用に切り裂き、そして、雪音はその顔面を右足で蹴り飛ばす。

 どれほどの膂力だったのだろうか。鬼はそのまま、後ろに倒れていき、血の噴水を上げる。

 数秒程、立ち上がろうとのたうち回ったがそれも叶わず、鬼は絶命した。

 やがて、血が無くなった鬼は塵となって吹雪に書き消える。


「終わりました。義史様」


 血に染まった彼女が義史にそう告げる。

 別嬪。

 そう呼べる程の麗しき少女が巨大な鬼を殺す。それはまるで、アニメーションや本の世界に入り込んだかのような感覚である。

 だが、これは紛れもない現実。

 祖父が死んだのも現実。

 義史の目から自然と涙が流れた。


「ありがとう、ございます……」


 残酷でいて、狂気に満ちた世界がこれより先に広がっていく事を義史はまだ、理解できていなかった。

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