chapter.1

1.迷惑メールに導かれて。

 物語には基本、始まりがある。


 例えば学園ものなら、新しい学校に入った段階というのは「物語のはじまり」としては鉄板だ。


 それ以外であれば転校生が来てもいいし、自分が転校生になってもいい。学内で大したイベントがないのであれば無理やりイベントを作ってもいいはずである。


 突然人数も足りないのに野球をしようと言い出してみたり、今までさんざん追いかけ続けていたテーマを放棄して、突如UFOのケツを追っかけだしたっていい。


 なんだったら突然夜道を襲われたところを美少女の形をした異形のものに助けられる展開だって問題ない。いつだって物語の始まりというのは唐突で、そしてドラスティックなのだ。


 もちろん、これら全てフィクションだからこそ起こりうる話で、現実の人生において、そんなトンデモな変革はそうそう起こるものではない。


 ただ、それでも人生に「転機」は存在する。


 もし早川はやかわ日向ひなたにも存在するとするならば、数か月前に受け取った電子メールは間違いなく「転機」と表現していいものだったと言えるだろう。


「なんだこれ……?」


 それに気が付いたのはある種“偶然”だった。


なにせ件のメールは通常の受信トレイではなく迷惑メールに分類されており、たまたま他のメールが間違って迷惑メール扱いされていることに気が付いて、取り出そうと思ったときにふと、目に入ったのがきっかけだった。


 差出人の名前はとある有名な出版社の名前。


 タイトルは「求人のお知らせ」


 正直なところ、ただの迷惑メールだと思っていた。


 ただ、日向はどうしてもそのメールが気になってしまった。何故か?答えは簡単だ。タイトルには続きがあったのだ。日向がメールをクリックしてみるとその全文が表示される。



 求人のお知らせ/住み込みのメイドを募集しています



 意味が分からなかった。


 あまりに意味が分からな過ぎて思わず開いてしまった。


 元々が迷惑メールフォルダに分類されていたメールだ。正直なところ何らかの危険性は否定できない。


 例えば何らかの添付ファイルがあれば、それがコンピューターウイルスの類である可能性は極めて高いだろうし、もしそうでなかったとしても、本文にあるURLの類はクリックしない方が良いだろう。そこから一体どこに飛ばされるか分かったものではない。


 ちなみに本文はかなりかっちりとした文体で長ったらしく色々なことが書かれていたが、その要旨を一言で纏めるとこうだ。


 

 可愛い女の子のメイドを募集してるから、面接を受けたかったら応募フォームから応募してね(はぁと)



 怪しさしかなかった。


 ちなみに要旨とは言ったが、本文の最後にもハートマークはついていた。


 さて。


 本来ならばこのメールはこのままゴミ箱に直行である。


 当たり前だ。どこからどう眺めても「迷惑メール」という分類が正しい代物で、そもそも内容を見たこと自体が間違いまであるレベルなのだ。


 文章自体はしっかりしているので、流石に外国人によって書かれたり、自動生成で作られたりしたスパムメールの類とは思い難いものの、だからといって怪しさが消えてくれるわけではない。現状目の前に広がっている文章がまとっている雰囲気はぶっちゃけ「うさん臭さ」がほぼ9割である。


 だから答えは決まっている。


 そう、普通ならば。


 しかし、


「メイド……」


 こと早川日向という人間は普通じゃなかった。


 いや、普通であっていいはずはないのである。


 少なくとも普通の男性が一人暮らししている部屋の片隅に、メイド服がいつでも着られる状態でスタンバイしているということはまあ、そうあることではないだろう。


 結論から言おう。彼こと早川日向は日常的に女装をしている。


 いや、むしろ彼にとってはそれが「当たり前の日常」なのだ。


 そして、「ある理由」からメイド服に強い思い入れがあるのだ。


 そうなれば答えは一つである。目の前にあるURLが以下に怪しさ全開のものであろうともクリックしないなどという選択肢は存在していないのだ。幸か不幸か、何かしら新しいバイトをしなければいけないと思っていた矢先だったというのもある。


 つまるところは金欠なのであり、その状況を考えれば渡りに船と言っても過言ではないのだ。むろん、メールの文言が一字一句正しければ、の話ではあるが。


「名前と、性別と……メールアドレス……だけ?」


 URLをクリックした先に広がっていたのは随分と簡素なページだった。飾り気は全くなく、必要最低限の文言と、入力フォームが整っているだけ。そして、そこで要求されているのは以下の四つの要素だった。

 


 ・名前(ハンドルネームなどでも可)

 ・性別

 ・メールアドレス(きちんと連絡が取れるもの)

 ・応募理由



 正直なところ、いくらメイドに憧れがあるとはいえ、多くの個人情報を要求されるのであればためらったかもしれない。


 しかし、ここで要求されるのはたったの三つである。


 しかも、名前に関してはハンドルネームやあだ名の類でも構わないとされているし、メールアドレスにしても、既に一度メールを受け取っている以上プライバシーなどあってないようなものだ。ここで捨てアドレス同然のものを使うという選択肢も存在するが、正直どちらでもあまり変わらない気はする。つまるところ問題となるのは、


「性別ねえ……」


 正直、意味が分からなかった。


 当たり前だ。そもそもこの応募フォームは「メイド」の求人である。コスプレ喫茶のメイド役ではない。メールの内容から鑑みるに、割と本格的な「使用人」を求めていると思われる。


ただ、使用人だけを求めているのであれば「メイド」というフレーズを使う必要はない。したがって、この求人において重要なのは使用人としての存在ではなく「メイド」という形式なのだろう。


 と、なれば、その入力フォームに「男性」という選択肢があるのはおかしいのではないか。


 これが、心のあり様を聞く質問であればまだ納得は出来た。心は男性だが、体が女性、あるいはその逆ということもあり得ない話ではないし、そこに配慮したものだとして処理することは可能である。


 しかし、もしそうならば「どちらでもない」というものがあってもいいはずである。その選択肢があれば、多様性に配慮したからという理由で納得はする。ところが、目の前に存在するのは、


「男性と、女性だけ、と」


 正直、そこまで深い意味はないのかもしれない。取り合えず性別を列記しただけということも考えられる。何なら「他のことに使った入力フォームをそのまま流用したら性別もそのままになってた」という可能性も考えられる。


 ただ、もしこれが意図的に作られた選択肢だとしたらどうだろう。


 正直なところ日向には「自分は女性です」と言い張って騙しきれる自信がある。普段の生活で女装をしはじめてからはそこそこ経つはずだが、性別がバレたことは一度もない。


一度だけ妹に見てもらった時も「気持ち悪いくらい違和感がない」という何とも微妙な表現で、けれど太鼓判を押してもらった。もっとも見慣れているはずの家族からその評価なのだ。今まで一度たりとも男性として接したことのない相手を騙しきることは恐らく、難しくはない。


 したがって、問題はそこではない。


 今重要なのは「騙す必要があるのかどうか」である。


 もちろん、考えられるシチュエーションの中で一番可能性が高いのは「男性だとわかった時点で断られる」というものだ。いくら女装慣れをしているとはいえ、メイドを募集して、実際に現れたのはメイド大好き女装野郎だったとなれば門前払いをされる可能性すらあると思う。


 しかし一方で、日向の中にどこかに「性別関係なしに可愛いメイドを探している」という可能性を捨てきれない自分がいた。


自分で考えていてもあり得ないとは思う。ただ、メールの文言を何度読み返しても、そこには「可愛いメイド」を求めているという表現だけで、「可愛い“女の子”のメイド」を求めている、という表現は一切無い。当たり前すぎて書いていないだけだと言われればそれまでだ。けれども日向は、


「…………よし」


 その「本来はありえないはず」の可能性にどうしてもかけてみたくなった。名前は以前自分が使っていたハンドルネームの中から適当に選んで入力し、性別は男性を選択。メールアドレスは既にバレている以上特別な配慮は必要ないと考えて、メインで使っているもの。そして、


「志望理由ねえ……」


 正直、あげればきりがなかった。


 以前のバイトをやめてから暫くの時間が経っており、貯金もだんだんと底を尽きてきている。


 このバイトがいかなる待遇かは分からないが、メイドという募集の特殊性を考えれば少なくともその辺のバイトよりも悪いということは無いだろうし、もしそうだったとしても、お断りをすればいいだけの話である。


 「メイド」というものにこだわりがあったというのももちろんだが、特別な技量を求めていないというのも追い風だ。


 金持ちの豪邸を掃除するともなれば、特殊な技術も必要になるかもしれないが、そういったものは一切求められておらず、備考欄に「最低限の家事が出来るとなおいい」と書いてあるくらいだ。「なおいい」という表現付きで、しかも備考として付け加えられるのが「家事が出来ること」ということは、家事が出来なくても問題はない、ということになる。


 それで一体メイドとして何をするのかはわからないが、まあいいだろう。とどのつまり日向にとって、この求人はドンピシャにもほどがあるのだ。


 もちろん、「可愛い」という枕詞をクリアしていることが前提になるが、それに関してもそこそこの自信がある。したがって、それこそ志望動機を一言で答えるのであれば「天職だと思った」なのだが、それでは相手方も何のことかわからないだろうから、簡潔に、でも熱を込めた思いを書き綴り、


「送信、と」


 暫くの読み込みを挟んだのち、これまた簡易的な……というよりは粗末なページに飛ばされ、たった一言だけ「ご応募ありがとうございました」という文言が表示された。どうやら無事に応募することが出来たようだ。


 日向は椅子の背もたれにぐっともたれかかって伸びをした後、応募フォームや、その他もろもろのウインドウを閉じた上で、パソコンをシャットダウンした。その時、応募フォームのURLに、日向にとって見慣れた文字列が並んでいたことに、彼は最後まで気が付かなかった。

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