第51話 霜乃さんの秘密と協力①
芳樹は一葉さんに指示された通り、住居人たちの夕食を作り、管理人の仕事に徹した。
夕食が出来上がり、寮のテーブルに並べられると、共同のリビングにぞろぞろと帰宅した住居人たちが入ってくる。
「あぁ……お腹空いたー」
「お疲れ様、梢恵」
部屋着に着替えた梢恵が入ってきた時には、既に霜乃さん以外の住居人が顔を揃えていた。
「さっ、食べましょうか」
一葉さんがそう言って、手を合わせる。
すると、違和感に気づいた梢恵が、キョロキョロと辺りを見渡した。
「あれ、霜乃さんは?」
「ちょっと体調を崩してしまってね。部屋で寝込んでいるの」
一葉さんが少し苦い表情で端的に答える。
「霜乃さんが体調崩すなんて珍しいですね。大丈夫なんですか?」
霜乃さんを心配するように尋ねる瑞穂。
「えぇ、まあちょっと昼間に色々あってね」
含みのある感じで一葉さんが言うと、三人の視線は一斉に芳樹へ集中した。
日中寮にいるのは霜乃さん以外に管理人だけだと分かっているからそこ、芳樹に向けられる三人の視線。
反応はそれぞれ違い、瑞穂は鋭く攻撃的な目つき、かっしーは驚きに満ちた眼差し、梢恵は憐みの視線を向けてきていた。
芳樹は手を口元に置いて、一つ咳ばらいをして答える。
「まあ、それも含めて、一葉さんから話があるから」
そう言うと、今度は三人の視線が一葉さんへと集中する。
一葉さんは芳樹と同じように咳ばらいを吐くと、無理矢理に口角を吊り上げて頬笑む。
「話は夕食を食べてからにしましょう。せっかく芳樹君が作ってくれた料理が冷めてしまうわ」
この場にいる全員が、事の次第を気にしている。
けれど、一葉さんの表情から、のっぴきならない事情だと感じたらしい。
「一葉さんが言うなら……」
「そうしましょうか」
瑞穂とかっしーがお互いに顔を合わせて一葉さんの意見に同意する。
「それじゃあ、いただきましょうか」
「はい、いただきます」
こうして夕食を食べ始める住居人たち。
その厳かな空気感に、梢恵が落ち着かない様子でキョロキョロと周りを見渡す。
困り果てた梢恵は、助けを求めるように芳樹へ視線を送ってきた。
けれど、この重苦しい雰囲気の場を変えるような話題を芳樹は持ち合わせてはいない。
それどころか、事の当事者でもあるため、場を明るくする気にはなれなかった。
申し訳ないが、梢恵には諦めろとアイコンタクトを送るしかない。
結局その後も、言葉を発するものはおらず、胸が締め付けられるような重苦しい夕食を味わうのであった。
夕食を全員が食べ終え、食器類を全てシンクに置いた後、共同リビングには霜乃さん以外のメンバーが椅子に腰かけていた。
芳樹の隣に一葉さんが座り、向かい側には左から順に瑞穂、かっしー、梢恵の順に座っている。
話を切り出すように、一葉さんは一つ吐息をついてから、ゆっくりと口を開いた。
「さてと……そろそろ本題に入りましょうか」
芳樹を含めた四人の視線が一葉さんに注目する。
「今から話すことは、あなたたちにも影響を及ぼす可能性があるから、よく聞いて頂戴」
「分かりました」
芳樹が答えると、三人もコクリと頷いて緊張した面持ちで一葉さんを見据える。
一葉さんは、すっと落ち着いた口調で言葉を紡ぐ。
「結論から言わせてもらうと、さっき霜乃の夫が寮に直接押しかけてきたの」
「えっ……」
「やっぱり……」
「お、夫!?」
三人の反応は三者三葉だった。
瑞穂は絶句、かっしーはどこか納得したような様子、梢恵は驚きに満ちた声を上げている。
「霜乃は鉾田という男と事実上の婚姻関係にあるの。この寮に来るまで、霜乃は彼と一緒に暮らしていたのだけれど、霜乃は彼から日常的にDV被害を受けていたのよ。そんなある日、霜乃は勇気を出して鉾田の元を逃げ出して私に助けを求めてきた。当時の彼女の酷い傷の有様を、私は今でも鮮明に覚えているわ」
一葉さんから告げられた衝撃の事実に、三人は絶句して言葉も上げられない様子だ。
「霜乃さんに、そんな過去があったんですね……」
芳樹が代表して答えると、一葉さんは話を続けた。
「えぇ、実は水面下ではずっと動いていたの。こちら側も向こう側もそれぞれ弁護士を用意して交渉を続けていたわ。けれど、なかなか鉾田さん側が離婚調停に納得しなくてね、『もうしないから、霜乃と二人きりで合わせてくれ』の一点張り。もちろん、そんな信じられるわけがないじゃない。だからずっと交渉は停滞の一途をたどっていたのだけれど……」
「けれど……?」
芳樹が呼応して続きを尋ねると、一葉さんの表情は切迫した様子へと変化した。
「どうやら鉾田さん、覆面捜査員に依頼して、霜乃の居場所を特定したみたいなのよ」
なるほど……ようやく芳樹は、なぜ突然鉾田が寮へ現れたのかを理解する。
「だから、アポイントなしで強引に押しかけてきたんですね」
芳樹が尋ねると、一葉さんはコクリと頷いた。
「共同式の女子寮なら、管理人も女性だろうし、強行突破できるだろうって魂胆だったんでしょう」
「でもいざ来てみたら、管理人が俺だったと」
「そう言うこと。ホント、芳樹君がいてくれて助かったわ。男の人が居なければ、今頃霜乃がどんな目に遭っていたことか……」
もし管理人女性だったり、不在だったりしたら……。
鉾田を知っている身だからこそ、想像するだけでおぞましいほどにぞっとする。
「えぇ……実は今日、鉾田さんと打ち合わせの予定があったのよ。それで、午後に『けたらは』さんのオフィスへ向かったら、他の社員さんから『鉾田は急用で帰宅した』と聞いて疑問を感じたのよ。普通会議の予定が合わなくなった相手には、連絡の一つくらいするでしょ?」
「確かにそうですね。それで一葉さんは、もしかしたら女子寮に鉾田がきてるのではという可能性に気づいたんですね」
「えぇ、芳樹君が鉾田と顔見知りだったことも幸いして、ある程度時間稼ぎしてくれることは想定していたからね」
それで一葉さんは、わざわざ車を飛ばして寮へと直行してきたのだ。
一葉さんが少しでも違和感に気づくのが遅れていれば、芳樹と鉾田の殴り合いが勃発していたことだろう。
本当に、瀬戸際のタイミングが重なった結果だったのだ。
「ごめんなさい。話を戻すわね」
そう言って、一葉さんは芳樹とのやり取りを聞いていた三人へと向き直る。
「今の話の通り、鉾田という男は霜乃を取り返すためならどんな手段を使ってきてもおかしくない人間よ。だから、他の住居人の安全も保障できないの」
「それって……拉致とか、暴行とか、そう言った類の可能性が起こるってことですか?」
瑞穂ちゃんが恐る恐る尋ねると、一葉さんは小さくだが首を縦に振った。
「そう言うことよ。特に瑞穂ちゃんは、世間での知名度も高いから、標的になりかねないわ」
DVのことや女遊びに呆けている事、手段を厭わないやり方を鑑みても、寮の住居人を人質代わりに力づくで拉致して交渉材料として使う可能性もゼロとは言い切れない。
すると今度は、隣に座っていたかっしーが手を上げる。
「でもそれなら、逆におとりを使っておびき寄せればいいんじゃないっすか? 警察に被害届提出できるし、かえって霜乃さんに有利に働くのでは?」
「確かにそれも一つの方法だけど、そんな危ない橋をかっしーたち住居人に渡らせるわけにはいかないよ。管理人として見過ごせない」
日頃から女遊びの噂が絶えない鉾田のことだ。
もし住居人の誰かが性的な被害にでもあえば、その心の傷の深さは計り知れないのだ。
「だから念のため、仕事で外出する以外、不要不急の外出は控えて欲しいの。何か理由があって外出しなければならないときは、問題が解決するまでは私が車でみんなを駅まで運ぶわ。芳樹君はしばらく寮に常駐してもらっても構わないかしら?」
「はい、わかりました」
「みんなには霜乃のこと、今まで黙っていて本当にごめんなさい。そして、こんな迷惑を掛ける形になって本当に申し訳ないと思ってるわ。それでも霜乃のために、どうか協力して頂戴」
一葉さんは三人に向かって深々と頭を下げる。
それは、住居人兼寮の責任者としてだけではなく、最愛なる親友のためでもあった。
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