第41話 心配する住人達

 コンコン


 ドアのノックの音で、芳樹は目を覚ました。

 同時に、がちゃりと管理人室のドアが開く。


「やっほー。よっぴー起きてる?」


 ドア口から顔を覗かせたのはかっしーだった。


「かっしー?」

「霜乃さんに言われて様子見に来たっす。風邪引いたって聞きましたけど、大丈夫すか?」

「うーん……まずまずかな」


 芳樹は起き上がり、部屋の周りを見渡す。

 窓の外は既に暗くなっている。

 どうやらかなりの時間眠りについていたようだ。

 しかし頭はまだ重く、体調は万全ではない。


「霜乃さんに、『夕食はどうしますか?』って伝言貰ってますけど」

「うーん……出来ればまたおかゆでお願いしますって言ってもらえるかな」

「了解っす! それじゃあ、お大事にしてくださいね」

「ありがとう、かっしーも体調には気を付けるんだよ」

「病人に言われなくても分かってますよー」


 そう言ってウインクをしながら、かっしーは部屋を出て行った。

 

 芳樹が再びベッドに横になり、夕食が運ばれてくるまでの間、眠りにつこうと目を閉じた途端、玄関の扉が無造作にバタンと開けられる音が聞こえてくる。

 そして、ドタバタと慌ただしい足音はそのまま管理人室の前で止まり、コンコンとノックされた。


「……はい」


 芳樹が返事を返すと、ドアが無造作にガチャリと開かれる。


「芳樹、起きてる?」

「お前の足音でな」


 芳樹の嫌味も効果なし。

 幼馴染の梢恵は、ずかずかと部屋の中に入ってくる。


「霜乃さんから聞いたよ、風邪ひいたんだって?」

「あぁ……」

「大丈夫? なにか手伝えることある?」

「何もしなくていい。梢恵に看病されると余計に面倒なことになるから」

「酷っ!? 私だってタオルで体拭くくらいなら手伝えるよ!」


 言い換えれば、梢恵に手伝えることはそれくらいしかないのである。


「俺は平気だから、風邪移ると梢恵にも迷惑かけちまうし」


 芳樹は手で部屋から出ていくように促すと、梢恵は頬をぷくっと膨らませて、不満げな表情を浮かべる。


「もう、そうやってすぐ人を頼らないでどうにかしようとするんだから!」

「梢恵のためを思って言ってるんだよ」


 納得はしていないようだったが、梢恵も理解は示してくれたようで、ドアの方へと向かっていく。


「何かあったらちゃんとすぐに連絡するのよ! 私だって芳樹のこと心配してるんだから!」

「ありがと。その時はそうさせてもらうよ」

「ならよしっ! お大事に」


 梢恵はにかっと笑みを浮かべて、管理人室を後にした。

 普段からグータラでダラしないグーダラ幼馴染だけれど、こうして気遣いができるところは、梢恵のいい所でもある。

 そんな気遣いの出来る幼馴染のことを考えながら、芳樹は瞼を閉じて、眠りへとつくのであった。




 夕食を食べ終え、再び芳樹がすやすやと眠りについていると、管理人室のドアがまたもやコンコンとノックされる。


「……はい?」


 虚ろな状態のまま声を上げると、ドア越しから「入るわよ」という声と共に、ドアががチャリと開いかれる。


「芳樹君、調子はどうかしら?」


 部屋に入ってきたのは、一葉さんだった。


「一葉さん。はい、だいぶ昼間よりダルさは無くなりました」

「そう、なら良かったわ」


 安心したように胸を撫で下ろす一葉さん。

 こうして住居人の皆が、芳樹のことを心配してくれていることがひしひしと伝わってくる。


「ごめんなさい一葉さん。体調を崩してしまって」

「気にしないで、むしろ私の方こそごめんなさい。もっと芳樹君の体調を気遣ってあげるべきだったわ」

「いえ、今回は瑞穂ちゃんに付きっ切りで看病していたのが原因ですので、自業自得です。一葉さんは気に止まないでください」

「責任感が強いことはいい事だけれど、困ったことがあれば私達を頼りなさい!」


 そう言って、芳樹の額を軽く指ではじく。


「すいません……善処します」

「それでいいわ」


 芳樹が素直に反省すると、一葉さんはふっと表情を緩めた。


「まあまずは風邪をしっかりと直してから、あとで霜乃にお礼でもしてあげなさい」

「はい、分かりました」


 要件だけ言い終えると、一葉さんはすっと立ち上がり、部屋から静かに出ていく。


「それじゃ、お大事に芳樹君」

「はい、一葉さんもおやすみなさい」

「おやすみ」


 最後ににっこりと微笑んで、一葉さんは部屋から出ていった。




 深夜、ぐっすりと芳樹が眠りについていると、ふと身体に温もりを感じた。


「んんっ……?」


 目を開けると、眼前に広がっていたのは、芳樹の肩に頭を置いて寝転がる美少女の姿。


「み、瑞穂ちゃん!?」

「あっ、起きた?」


 視線をくるりと芳樹の方へと向け、見上げてくるのは、瑞穂ちゃんだった。

 見上げた顔が吐息がかかりそうなほど近くて、一瞬ドキリとしてしまう。


「こっ、こんな時間にどうしたの!?」

「見てわかんない? 添い寝してあげてるの」


 一体どうしてこうなったのか、芳樹が混乱していると、瑞穂ちゃんがきゅっと芳樹の胸元の袖を掴んできた。


「だって、私のせいで芳樹は風邪引いちゃったわけだし……私が何かしてあげないと、恩を仇で返すだけじゃない」

「別に、そんなこと思わなくていいのに。俺は管理人として、当然のことをしただけなんだし」

「いいの、私の気持ちの問題だから!」


 そう言って、瑞穂ちゃんは芳樹の右腕にぎゅっと抱きついてくる。

 瑞穂ちゃんの柔らかい身体の感触がもろに当たり、芳樹は思わず身を引いてしまう。


「逃げないの」


 けれどすぐにまた腕を掴まれ、瑞穂ちゃんがぎゅっと腕に巻き付くように密着してくる。

 芳樹は抵抗するのを諦め、率直な疑問を口にした。


「どうしてその結果が添い寝なの?」

「風邪引いてる時って、一人だと心細いでしょ? 芳樹にも寂しい思いをして欲しくないと思って……」


 確かに、風邪で寝込んでいる時、無性に人恋しくなることはあるけど……。


「でもそれじゃあ、また瑞穂ちゃんに風邪をうつしちゃう」

「私からうつった風邪なんだから、免疫が出来てる。問題ない」

「いや……だからって……」

「仕方ないじゃん。これしか方法思いつかなかったんだから。霜乃さんみたいに料理が出来るわけじゃないし……」


 瑞穂ちゃんは、一生懸命に悩んだ結果、添い寝が芳樹にしてあげられる最適解であると考えたようだ。


「それとも何か文句でもあるわけ? 今若者世代の男性が最も添い寝して欲しいランキング一位の水戸瑞穂が直々に添い寝してあげてるのよ?」

「いえ……特に文句などありません。むしろ添い寝して貰えて光栄です」

「……なんか、言葉に感情が伴ってない」


 瑞穂ちゃんは訝しむような目で芳樹を睨み付けてくる。

 本当に感謝しているということを示すため、芳樹は一つ息をついてから、体を横にして、瑞穂ちゃんと正面に向き合う。

 そしてそのまま、瑞穂ちゃんの華奢な身体をぎゅっと優しく包み込む。


「なっ……いきなり何するの!? そっちからくっ付くのはなしだってば!」

「だって、俺の気持ちが伝わってないようだったから、ちゃんと誠意を見せようと思って」

「バカじゃないの!? だからって抱きしめることないでしょ!?」


 芳樹の腕の中に挟まれた瑞穂がバタバタと暴れ出す。

 それでも芳樹は、瑞穂ちゃんを逃がさぬように力いっぱい抱きとめ、落ち着かせるように優しく頭を撫でながら、耳元で囁く。


「ありがとね。俺のことを想って必死に考えてくれて」


 優しい声音で感情のこもった声で囁くと、瑞穂ちゃんはピクっと身体を震わせた。


「べ、別に……これくらいファン一号のサービスとして当然だし」


 ふんっとそっぽを向きながら、唇を尖らせる瑞穂ちゃん。

 それも理由としてどうなのだろうかとは思ったけど、今は突っ込まないでおこう。


「それじゃあ今日はお言葉に甘えて、瑞穂ちゃんを抱き枕代わりにさせてもらうことにするね」

「ふんっ……勝手にすれば?」


 もう瑞穂ちゃんに抵抗の意志はないらしい。

 芳樹の腕の中にすっぽりと収まって大人しくしている。


「ありがと。瑞穂ちゃんは優しくて、ホント頼りになる女の子だ」

「ほ、褒めても何も出ないんだからね?」

「分かってるよ」


 彼女が一生懸命尽くそうとしてくれているのだ。

 なら、せっかくの厚意に、今くらいは寂しさを埋めるためという口実で、思う存分甘えさせてもらうことにするとしようじゃないか。


「おやすみ、瑞穂ちゃん……」


 こうして二人は、くっ付き合いながら眠りへとついた。

 しばらくすると、芳樹の方からスヤスヤと寝息が聞こえてくる。


「えへへっ……おやすみ芳樹ー」


 この時、芳樹に包まれている瑞穂ちゃんの顔は、嬉しさのあまり緩みに緩み切っていることなど、芳樹は知る由もない。

 瑞穂は安心しきった様子で瞳を閉じ、芳樹の優しい温もりに包まれながら深い眠りへとついていった。


 こうして瑞穂ちゃんの策略は、意図せず大成功を収めたのである。

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