第12話 訳アリ霜乃さん
管理人室へと向かうと、部屋には段ボールの箱が積み上げられていた。
この管理人室が、芳樹の管理人室兼自室となる。
「これ、芳樹さんの荷物であっているわよね」
「はい、わざわざ部屋まで運んでくださってありがとうございます」
「いいえ、運んだのは引っ越し業者の方だから、私は特に何もしていないわ」
「だとしてもお礼を言わせてください。対応してくださったのは霜乃さんでしょうから」
「……ふふっ、本当に芳樹さんって、律儀な方なのね」
「そ、そんなことないですよ。ただ、当然のことをしてるだけです」
芳樹にとっては当然であっても、それを実行できる人は世の中になかなかいないのも事実。
だからこそ、霜乃は芳樹のその姿勢に好感を持ち、さらに興味を示しているのである。
霜乃さんから褒められているとも知らず、芳樹はひとまず、段ボールの整理は後回しにして、まずはこの寮での業務内容を教えてもらうのが優先だと考えた。
「それでは早速ですけど、色々と寮について教えて頂けますか?」
「あら、来たばっかりなのだから、お茶でも飲んで一息してからでもいいのに」
「いえ、俺は仕事として住み込みで管理人をするわけですから! そんなお客さんのように扱わなくて平気ですよ! 色々とこき使ってください」
仕事として、金銭を貰って管理人をするのだ。遊びに来たわけじゃない。
ブラック企業で培われた社畜精神が、ここでも発揮する芳樹。
「分かったわ。それじゃあ早速、仕事内容を話していくわね」
こうして、霜乃さんから管理人がするべき一日の大まかな仕事内容を教わり、芳樹はそれを持参したノートへ書きこむ。
基本的には帰宅した住居人の出迎え、宅配などの受け取り、帳簿の記入、廊下や共同スペースの掃除、食事の準備や買い物、戸締りの確認など、比較的簡単な業務ばかりだった。
すると、今度は寮の内部を案内してくれるというので、霜乃さんについて行く。
まず初めに向かったのは、管理人室前から出た正面の階段。
そこを霜乃さんが上っていくので、芳樹も後をついていき二階へと登っていく。
階段を登り終えると、左と正面に廊下が続いており、多くのドアが左右にある。
「二階は住居人たちの部屋があるわ。管理人室にそれぞれの部屋の鍵があるから、もし何かあった時はそれを使って頂戴」
「わかりました」
「まあ、みんな不用心な子が多くて、鍵も閉めないで開けっ放しの子ばかりだけど」
「そ、そうなんですか?」
「プライベートがあってないようなものだからね。覗いてみる?」
「いえっ、勝手に女性の部屋を覗くのは申し訳ないので結構です」
女性のプライベートを勝手に覗くなど、芳樹にとってはあってはならないこと。
そんな芳樹の態度がつまらなかったのか、頬を膨らませる霜乃さん。
すると、ぱっと何やら思いついたように、にやりとした笑みを浮かべて、芳樹の耳元へ近づく。
「別に、私の部屋ならいつでも来ていいわよ? な・ん・な・ら、着替え中に覗きに来ても構わないわ」
「……そ、そんなことするわけないじゃないですか。それに、ちゃんと用事がある場合はノックして確認してから開けますよ」
「ふーん……」
慌てることなく冷静に答える芳樹。
またもや上手く躱されてしまったので、霜乃は拗ねたような顔をする
しかし、霜乃が気づいていないだけで、芳樹が頭の中で霜乃が着替えている姿を妄想してしまったのは、言うまでもないことである。
再び一階に下りた二人が次に向かったのは、玄関の正面にある扉。
中へ案内されると、そこは共同のリビングになっていた。
真ん中には大きなテーブルが置かれており、右側には黒塗りのソファと、ローテーブルを挟んだ壁際に大きなテレビが設置されている。
奥にはキッチンがあり、そこに冷蔵庫や必要最低限の備品も用意されていた。
「ここは共同のリビングよ。主にここでの仕事は調理。食事は朝と夜の二回。食事が要らない人は、ここに×印が付いてるから、×印が付いてない人数分を作ってもらえればいいわ」
冷蔵庫に貼ってある表のようなものがあり、そこに名前と×印が書かれている。
「わかりました」
「ちなみに、芳樹さんは料理の腕前はどの程度なの?」
「最近はずっと働き詰めで自炊してませんでしたけど、実家が定食屋で高校の頃までは自分のご飯は自分で作っていたので、ある程度得意な方ではあると思います」
「まあ、それは頼もしいわ。ホント、一葉はいい管理人さんを見つけたのね!」
「いやいや、作れるだけで、腕前はまだまだですよ。霜乃さんの方が料理は得意そうですし……」
「そんなことないわ。私だって、本格的に料理を作り始めたのは大学を卒業してからだもの。まだまだよ」
お互いに謙遜し合いつつ、霜乃さんが冷蔵庫を開ける。
「中に入っている調味料や具材は使ってもらって構わないわ。あと、アイスとドリンクは定期的に補充すること。それから、個人的な物にはマジックペンで名前を書いておくこと」
「かしこまりました」
霜乃さんに言われたことを、しっかりノートにメモしていく芳樹。
「そんなに熱心にメモしなくても、わからなくなったらいつでも私に質問してもらって構わないわよ?」
「いえ、一度教わったことを二度聞くのは失礼ですから」
教えてもらったことをもう一度質問しない。社会人としての鉄則。
ブラック企業で働いてきた芳樹にはその社畜精神が鍛えられているのだ。
「芳樹君が早く仕事を覚えてくれるのは嬉しいことだけれど、少しはお姉さんに頼ってもいいのよ? じゃないと、私の仕事が無くなっちゃうわ」
「それでいいんですよ。俺は仕事としてここの管理人をやるわけですから、住居人の霜乃さんはゆっくりとくつろいでもらえれば」
これも、芳樹としての心意気。
住んでいる人に苦労をかけさせるわけにはいかない。
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど……私にも芳樹さんを手伝わせてほしいの。私、週一回のアルバイトしかしてなくて、暇を持て余しているから」
「それなら、洗濯と各部屋の掃除はお任せしてもいいですか? 異性に下着を洗われるのを嫌がる人もいるでしょうし、部屋もプライベートがありますから、以前から掃除されている霜乃さんにしてもらった方がいいかと」
「分かったわ、是非やらせてもらうわ! それにしてもほんと心想いのいい方なのね、芳樹さんって」
「いえいえ、そんなことないですよ。ただ、俺がここで仕事するからには、住人の皆さんには心地よく暮らして欲しいだけですから」
女子寮の管理人として芳樹が在籍しているだけでも、精神的ストレスを抱える住人だっているはず。
異性として芳樹が出来ることは、以前と変わらぬ、またはそれ以上の快適な生活を住居人に送ってもらうための配慮しか出来ないのだから。
「ホント、芳樹さんは心配りまで出来て素敵だわ。こんな頼りになる男の子が管理人だなんて、私惚れてしまいそうだわ」
「ははっ、御冗談はよしてください。俺はそんな大層な男じゃありませんよ」
霜乃さんが本心で言っているとは、芳樹は思っていないのである。
何故なら、芳樹は全部お世辞で言ってくれていると思っているから。
その原因は、霜乃の右手の薬指に付けられている指輪。
芳樹は指輪に詳しいわけではない。普通ならば、ファッションリングとして付けているのだと誰もが思う。けれど、明らかに霜乃さんが付けている指輪は、ファッションリングとは思えぬシンプルなデザイン性とダイヤの光沢感がある。
本人に確認したわけではないけれど、おそらく霜乃さんが付けているのは婚約指輪。つまり、霜乃さんは既婚者である可能性が高いのだ。
普通は左の薬指に付けるはずの婚約指輪を、右の薬指に付けているのかは分からない。
けれどそのおかげで、霜乃さんの過度な言動やスキンシップを鵜吞みにせず、芳樹は受け流すことが出来ていた。
またこの女子寮は、高級住宅街に立っているだけあって、家賃も結構な値段がする。
週一回のアルバイトだけで賄えるような値段ではないのは、容易に想像がつく。
霜乃さんのバックグラウンドに、何かしらの訳アリがあることは間違いないのだ。
どういった事情で女子寮に住んでいるのかは気になるけれど、プライベートのことに首を突っ込まないのも、芳樹が配慮しての事。
例え気になったとしても、芳樹は管理人として、住居人にストレスなく快適に暮らして欲しいと思っているので、霜乃さんから何かしら言ってこない限り、こちらから聞く必要はないのだ。
もしかしたら、本当にファッションリングとしてや、護身用で付けているだけであって、お金持ちのお嬢様だから女子寮で暮らしている可能性だってあるのだから。
そんなことを芳樹が考えているとはつゆ知らず、霜乃はその右手の甲を顎におき、指輪を光らせながら考える仕草をする。
「大体一通りはこんなものかしらね。何か他に質問はあるかしら?」
「そうですね……業務内容に関しては大体把握しました。あとはここの細かなルールとかあれば教えて頂きたいですかね」
「そうねぇ、戸締りの話になるけれど、基本的には住居人全員が帰ってきたら戸締りすればいいのだけれど、時々イレギュラーな事態も発生するから、その時は芳樹さんの判断で戸締りしちゃっていいわ」
「分かりました。ちなみになんですけど、イレギュラーな事態って例えばどんなことでしょう?」
「そうね。よくあるのは外泊してくる時かしら。まあ、ほとんどの子は事前に予定を教えてくれるからいいのだけれど、緊急のときもあるから」
「なるほど、承知しました」
急な場合に備えて、後で全員の連絡先を教えてもらうことにしよう。
「それじゃあ、さっそく仕事に取り掛かりましょう!」
意気込む芳樹をよそに、霜乃は申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「ごめんなさい。今日はもう大体の仕事を終わらせてしまっているの」
「えっ、そうなんですか!? 霜乃さんにさせてしまい申し訳ありません」
「いいのよ! いつもやっていたことだから、なんだか癖でやりたくなっちゃったのよ。だから今日は、芳樹さんは自分の部屋の整理をしていて貰って平気よ」
「何から何まで恐れ入ります」
「気にしないで。確かに芳樹さんは管理人さんだけれど、ここの住居人でもあるのだから、お互い助け合う所は助け合いましょ」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、今日は管理人室の荷物整理をさせてもらうことにします」
「えぇ、そうして頂戴。私も手が空いているから、手伝えることがあったら言ってね」
「分かりました」
こうして一通りの仕事内容を霜乃さんに教えてもらった芳樹は、さっそく管理人室の整理へと取り掛かるのであった。
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