(5)

 フードをかぶった男が、これから演奏が行われる壇上をねめつける。

 先ほど、開始のアナウンスが出た。嶺公院のクラブは二番目に始まるはずである。

あの間抜けそうな合奏クラブの顧問から入手した見取り図を取り出す。矢本のやつは控えスペースにいるとみていい。まさか月坂詩乃を守っている気でいるやつ自身が襲撃されるなど予想すらしていないだろう。

「へっ……」


 フードの下でほくそ笑む門間。ゴソゴソとナップザックに手を突っ込んで、獲物の感触を確かめる。重く、冷たい硬質のレンチ。

 これであの不俱戴天の仇、矢本隆臣に闇討ちをかけるつもりでやってきた。


 予備として用意した刃物で一刺しにとも思ったが、根が小心なのと前に警察に取り調べを受けた時の恐怖で思いとどまった。そこで手段を変えて、レンチで殴打となれば問題ないと、独りよがりを極めたような確信を抱いている。この暗がりである、犯人が誰かなどわかるはずもない。

 まずは頭を砕いて昏倒させ、手足を潰して二度とバスケができない体にしてやると奸悪な妄想に酔いしれる。


 司会が最初のパフォーマンスの紹介を始めた。

「チッ……」

 楽し気に聴き入る群衆に面映ゆい思いを抱く。

 どいつもこいつもムカつく顔しやがって……。

 このお祭りでただ一人、隠し切れない怨色を顔に映す自分がみじめに感じる。

 これもそれも……!

 やつらのせいだと思った。矢本、赤橋、本郷、泉地とかいうチビ女に、藍染とかいうお高くとまったいけすかない長髪の女。

 全員ぶっ殺してやる……!


 噴怨を込めて視線を這わせると、

「なに⁉」

 怨敵の姿をこの目で捉えた。矢本隆臣が裏通りに向けて歩いている。

 凶悪な衝動が口元を歪めた。自ら人の少ない場所に出向いてくれるとは好都合である。

 後をつけてやろうと、足を静かに進めた。




 種々の催し物を楽しみ、一息つこうと休憩所に腰を降ろした綜士たち。

「どれどれー」

 結奈が大袋をテーブルに広げて、お菓子を出した。

「はああ、目移りしちゃう」

 目をキラキラさせる結奈。

「結奈、小分けにしろ。みんなにもわけるぞ」

「うん」

 啓吾の指示で、結奈がビニールにお菓子を詰めていく。


「俺たちのもどうぞ」

「みんなは取っておきなさい」

 お菓子を出そうとした瞬たちを啓吾が苦笑してそう述べた。

「ありがとう、二人とも」

 芽衣子が礼を述べる。

 しっかりしてるな……。

 啓吾の立ち振る舞いや物言いは自分よりずっと大人びて見えた。


「結奈ちゃん、独り占めにしないなんて偉いわ……」

 と乃々果。横合いからいきなり顔を出すのはやめてほしい。

「毎年のことっすからねー。ソーにゃんもいる?」

「俺はいいよ別に」

「もらっとけって甘党さん」

 リサがドリンクをテーブルに置いた。

「結奈の想いを受け取ってソーニャ……!」

 結奈の演技がかった仕草に芽衣子たちが頬を緩める。

「はいはい……。……うん?」

 美奈がなにかもぞもぞしている。トイレだろう。芽衣子に目配せすると一瞬で察してくれた。


「私たちお化粧直しに行ってくるね」

 美奈と依織を連れていく。

「俺もトイレ」

「僕も行くね」

 瞬と伸治も席を立った。

 乃々果と響に目を移した。改めて訊いておきたいことがある。


「えっと、乃々果さんたちは……」

「なんですか、ソーニャ……?」

「そーにゃじゃないから……。二人はリサの友達なんだよね」

「ええ、リサさんとは二年の頃から仲良くさせていただいてます」

 響が手を揉むようにする。


「リサちゃん、私たちって友達なの……?」

 リサの方を見て懇願するような声を出す乃々果。からかっているのか地で言っているのか、よくわからない。

「いいんじゃないの、そういうことで」

 再びストローでドリンクを飲んで見せるリサ。照れくさいのかもしれない。

「ののたんはオカルト研究会なんだけど、今はののたん一人しかいないから部として認められないってことで、うちのクラブに一応在籍してるんです」

「へ、へえ……」

「魔術部よ……。オカルトとは違うわ……」

 もっと怖い。


「私は元々弓道をやっていたんですけど、さっき言った通り今は聖歌隊……要するに合唱クラブです」

「ふーん、なんでまたそっちに?」

「あ……」

 響の口元が揺れた。表情も固くなって見える。

「おい……」

 リサに袖をつかまれた。

「あ、ああ、ごめん、別に詮索する気は……」

「いえ、いいんです。みんな知ってることですから桜庭さんにもお話しします」

 響が居住まいを正した。


「去年の日宮祭の事件はご存じだと思いますが……」

 電撃が脳に走った。さらに冷たい氷が肝の底に落ちてくる。

「私、両親の仕事の関係であの場に居合わせていたんです」

 唇に青いものがにじんでくる。境遇まで自分と相似しているようだ。

「その爆発を受けて……結構な火傷を負ってしまいましてね。腕を悪くしたんです」

 リサが焦燥と不安をないまぜにした表情で綜士の様子を窺っているが、気づけない。啓吾も冷や汗をかき始めた。


「それで、弓を引くのが難しくなって……フフ、引退です」

 なんでもないことのように語るその笑みが、切ない。

「そんな時に、校内をぶらぶらしてたら、中央聖堂で聖歌合唱をやってるのを耳にして、なんとなく見ていたらちょっと歌ってみないかと誘われて、そのまま続けて今に至るってところです」

「あ、ああ……」

 打ち込んでいたものを、まったく自身が責任を負わない事情で蹉跌することになったのは辛かっただろう。


「でも楽しかったですよ。特に芽衣子さんは、親切にしてもらいまして、その縁でリサさんとも仲良くなれましたしね」

「……ご両親は?」

「ああ、父は席を外していたのでなんともありませんでした。母はちょっと怪我を負いましたが今は元気です」

「そう……か……。それは、よかった……」

 俯く。目元がにわかに水気を帯びてきた。

「桜庭さん……?」

 響が怪訝な表情になると同時に、リサが起立した。


「響、ちょっと飲みもの買いに行くから一緒にきてくれ」

「え……? はい……」

 リサの手元にドリンクがあれば不可解にも思うだろうが素直に応じた。

「私も行く」

 結奈も席を立つ。去り際に、こちらを垣間見たように感じた。

 テーブル席は、綜士、啓吾、乃々果の三人になった。

「ごめん……天都さん、おかしなところみせて」

「なにを謝ることがある」

 労わるように微笑む啓吾。


「桜庭さん……いえ綜士さん、ひょっとして綜士さんもあの事件に……?」

「鋭いね君は……その通りだよ。俺の家族もあれで死んでしまった」

「そうでしたか……」

 乃々果が両手の指を合わせて祈るような姿勢を取った。

「憚りながら、ご冥福を……」

「ありがとう……」

 乃々果の胸の元になにかがきらめく。十字の首飾り、信仰を持っているのかもしれない。




 裏手に回ったも、獲物は姿を暗ましていた。

「クソ、どこへ行きやがった……?」

 血眼をあちらこちらへ走らせる。ダンボールや台車が邪魔でやつを見失った。襲撃の好機を逃しそうで、焦燥が方向感覚をおかしくする。

 小道を走って抜けた先は、河川敷沿いの車道だった。舌打ちして、戻ろうとしたその時。

「……⁉」

 意外なものを見つけた。

 あのガキ……!

 自分を停学に追い込み、警察沙汰にまでされたあの怨敵の姿を視認した。なぜこんなところに、という思いよりも、あの屈辱の記憶が脳裏によみがえった。

 辺りを見回す。トイレの近くで一人、突っ立っている。周りには人影もない。

「……」

 耳元で悪魔がささやいた。

 口元を歪ませて、音をたてずに忍び寄る。ナップザックに静かに手を伸ばした。



 河川敷沿いの裏手から、川に目を向ける。夜の海は恐ろしいから絶対に入るなとは父からよく聞かされた言葉だった。新兵の頃の夜間訓練で、死にかけたことがあるらしい。

結奈はトイレに入ったまま出てこない。あの娘はおちゃらけているようで、感傷的で涙もろいところがある。綜士の両親や弟のことを思って泣きむせんでいるのだろう。響も心配してついていってしまった。

「はぁ……」

 口から出た息が白いとなって泡のように消えていく。

 パパ、どうしてるかな……。

 戦争はハロウィンだから一旦やめましょうとはなるわけもない。最後にこのお祭りを一緒に見て回ったのはもう五年も前になる。

 響はああ言っていたが、私は知っている。響のお母さんは今も重い後遺症に苦しんでいることを。響も弓道の道を絶たれて絶望していたはず。にもかかわらず、事件や犯人を憎む言葉を一度として聞いたことはない。


「強いんだな……」

 そう思えた。綜士はどう思っているのだろう。家族を失った彼の心痛は響以上であってもおかしくない。

 本当の心を知りたい。もっと綜士に近づきたい。またしてもそう思った。

「綜士……」

 微かな声が漏らして、視線を下げる。

「……?」

 黒い影が急速に拡がっていく。

 振り向いたその瞬間、

「え……?」

 通りの騒々しさとは無縁だった静寂の河川敷に、鈍い音が轟いた。


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