(3)

 接見終了の時刻が迫る。

 まだ伝えたいことはあるはず、だが、迫る別れの時が焦燥を生んで、言葉を頭で構築できなくなる。口元が震えて、目が充血してきた。

「……伸治、今日はお前と話せて楽しかった」

 顔を上げると、父が穏やかに微笑んだ。もうこれ以上、話さなくてもいいと目で伝えてくれた。父が立ち上がる、


「さて、そろそろ戻らないとな」

「とう……さん……!」

 必死で一挙手一投足を目に焼き付ける。もう一生見ることのできないかもしれない父の姿を。向こう側のドアが開かれた。刑務官が入ってくる。

「じゃあ、元気でやれよ」

 なんとも陽気な声でそう語り終えるとと父が退室していく。その後ろ姿をなにも言えずにただ見つめ続けた。

 ドアが閉じられる音を聞くと同時に、すべての力を喪失したように、パイプ椅子に腰を落として、うなだれた。



 頼りない足取りで建物を出て見えてきたのは、のどかな緑地帯であった。市内から離れた場所にある拘置所前の道路、そこには、それぞれの事情で面会に来た人たちが重さを感じる顔とともに歩いているのが見えた。

 誰かが近づいてくる。

「伸治……」

 聞き馴染んだ声、西羽芽衣子が迎えにきてくれたようだ。今日ここに赴くことは伝えてあり、行き帰りは一人で平気とも言っておいたが、心配してくれたのだろう。

「芽衣子姉さん……」

「終わったの……?」

「うん……」

「それじゃあ、帰ろうか」


 手をそっと差し出す芽衣子。小学六年にもなって、姉、のような人と手をつないで帰るなどかっこわるいと普段なら思っただろうが、自然と手を差し出した。芽衣子の声の前には、自分の片意地など意味を持たないような気がする。


 事件の後、伸治は行くあてもなく、一時保護施設に据え置き状態になった。父方の祖父母は既に故人で、母方の親戚は引き取りを拒否した。そんな時に、現れたのが、父の会社の取引先の海望商事の代表取締役社長、谷田川道だった。現場主義者で顔が広く、父ともあるプロジェクトで知り合ったらしい。


「あの浩治さんが……?」

 事件の概要を聞いても、納得できなかったようで、直接、父に面会を求めて、事件の顛末を詳細に知ることとなった。


「すべて俺の自業自得です。あいつの不満も、伸治が辛いのも、見て見ぬふりして、仕事に逃げて……」

 父はそう述べた。

「谷田川さん、勝手なお願いなのはわかってますが、あいつを……どこか普通の子供らしく生きられれる場所に連れてってやってくれませんか……?」

 道は、承諾して、伸治を聖霊館へと導いたのである。



 帰りの電車内で、改めて窓から拘置施設を見渡した。遠からず、父はあそこから北 の監獄へと移される。寒くて、厳しいところだろう。


 そんなところで、三十年も……。


 想像するだけで気が狂いそうになる。


 僕のせいだ……僕が、ちゃんと証言しなかったから……。


 ここ数年で、子どもなりに必死で刑法というものを勉強した。少なくともあの男を殺めたことについては、自分を守るための正当防衛として違法性が阻却される可能性だってあったのだ。父の意に反してでも、証言すべきだったと後悔の念に打たれた。


 だけど父さんは……。


 控訴すら拒絶した。従容と罪と罰を受け入れた。刑が確定してしまえばもうどうにもならない。母の命を奪ってしまったことを許せない父は、どこかで間接的な自死を望んでいたのかもしれない。


 新しい事実が証明されれば、再審、という形で刑罰を軽くできる可能性があると父の弁護士から教えられた。それができるのは、自分しかいないだろう。いつか必ず果たさなくてはならない、手を強く握り、決意を新たにした。

「伸治」

 芽衣子の声が耳を打った。

「な、なに……?」

「依織の誕生日プレゼントは決まった?」

「うん、明日、瞬と美奈と一緒に買いに行くつもり」

「そう、楽しみにしてるね」

「うん……」

 西に傾き始めた陽光が、芽衣子の髪を照らした。それをなんとなしにみつめる。


「どうしたの?」

「あ……別に……」

「そう……」

 気の迷いだった。彼女に抱き着いて甘えてみたいなど。これからの自分の人生は過酷な戦いになる。父を獄から解放するために、勉強に懸命に取り組まなければならない。誰も頼れない自分自身との戦い、誰にも甘えることなど許されない。



「あ……」

 芽衣子が手を伸ばして瞬を引き寄せた。

「ね、姉さん……?」

「伸治、あまり気負い過ぎちゃだめだよ……」

 温かく優しい声音、母のような。本当の母親は、自分を見殺しにしたというのに。

「うん……」

 目元をぬぐうと、姿勢を崩して、芽衣子の膝に頭を乗せた。せめて今日だけは、このままでいたかった。


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