(5)
「馬鹿者……!」
「けいご……さん」
賢哉の肩の力が抜けていく。
「お前の思い違いだ、彼は泉地くんにはなにもしていない。それどころか……」
「あ……ああ……」
虚脱したように、座り込む賢哉。
「しっかりしろ……」
「ふっ……!」
少女が賢哉に駆け寄る。
「このばかぁ……!」
賢哉の両肩をつかんで泣き崩れて、彼女も地面に膝をついた。
「……!」
ようやく思い出した。このポニーテールの少女は、以前、詩乃と会った時に彼女を守るように割って入ったあの少女であると。
「そういうことか……」
おそらく昨日、この少女があの公園にいたのは、自分をつけてきたからだったのだろう。それもあの隆臣との事件が原因と推測できる。
啓吾が綜士の前に立った。
「桜庭くん、今回のことは……」
「内密に……か?」
嶺公院は校則が厳しい。この間の、バスケ部との乱闘でも多くの停学者を出した。
「事実関係を誤解した賢哉が悪いことは認める。だが、ここまでやれば十分だろう……」
必死に訴える啓吾、綜士とてこれ以上、賢哉をなぶるようなサディスティックな趣向は持ち合わせていない。それにこの衝突の真の原因を考えれば、自分にも責任はある。
「君……名前は?」
少女に尋ねた。少女が立ち上がる。賢哉が止めようとするも、
「……泉地、喜美子」
少女ははっきりした口調でそう名乗った。充血した目は当惑を極めている。
「泉地さん……以前、嶺公院高校の近くであったな?」
うなずく泉地喜美子。
「……あの時」
震える指先、拳を固く握る。綜士の全身から発する形容しがたい不穏な気のようなものに啓吾が冷や汗をかく。
「俺……ずっと入院してて……」
「え……?」
「それであの時……ちょっとボケてたみたいだった……」
「……なにを言っているの……?」
「いや……あの学校に知り合いがいるかと思ってたんだけどさ……」
失笑を漏らすような声が出た。瞳は微動だにせず、どこでもない虚空を正視している。
「全部、俺の勘違いだったよ」
目を見開いた。笑っているとも怒っているとも判別できない異様な迫力に凍りつく喜美子。綜士が横を向いた。
脳裏によみがえるあの光景、脅え切った瞳、冷めた目つき、言い訳がましいあの声音、なによりも鋭い刃で自分をえぐった。
断ち切れた絆、通じ合えていたと思っていた幻、ただ痛かった。絶望と無念、指先を染めた赤い涙、なにもかもを失ったあの日の記憶。
「あそこには誰もいなかった‼」
あらん限りの力で錆びたフェンスに蹴りを入れた。
「誰も! 誰もお! 誰もおお‼」
二度、三度とさらに蹴る。あまりにも異常な行動に、呆然と立ち尽くす三人を誰かが疾風の如く追い抜いた。
「綜士‼」
「ッ!」
飛びついてきたなにかに全身を拘束される。
「く……あ……」
鎖で縛られたように硬直する。視界に入ってきたのは舞い上がる金色の髪、
「なにやってるの⁉」
リサが抱き着いたまま顔を上げた。
「は……」
もう感覚が覚えている彼女の匂いが鼻腔に伝わる。触れ合った肌の温もりは服越しでもはっきりと伝わり、全身から力が抜けていく。
「リサ……」
心をむしばむ黒い心霊が、消えていく。後悔、憎悪、執着、すべての負の念が散逸する。
ぼんやり顔を空に向けた。雲の隙間からわずかに日の光が差す。
「……リサ、もう……平気だから」
離してくれない。青い瞳の端から、一滴の水滴がわき出て、光を反射した。
「ごめん……」
体を縛る力がわずかに弱まった。
「みんなは……?」
「……結奈が見てくれてる」
彼女も来てくれたようだ。
「そう……」
啓吾ら三人に首をまわした。全員呆気にとられたような顔になっていた。賢哉に目線を向ける。眉間のシワは消えており、最初会った時のような顔つきに戻っていた。
「後は……彼女から聞け……」
とだけ言った。今度は泉地喜美子に目を向ける。
「泉地さん……二度と君たちの前には現れないから、もう安心してくれ……」
くたびれた表情と声でそう伝える。口を半開きにしたまま頷くことさえできないでいるようだが、もう伝えるべきことは伝えた。次は啓吾である。
「天都さん、ごめん……。昨日、喧嘩はしないって約束した……ばかりだったのに」
「……いいんだ」
啓吾が近づいてくる。
「二人とも、後は俺が処理する。もう行ってくれ」
遠巻きに自分たちを見物し始めた人たちもいる。そうしたほうがいいだろう。
リサを密着させたまま歩き出す。
「あ……」
「こっち」
いつのまに接近していたのだろうか。芽衣子に腕を取られた。角を曲がったすぐ先にはタクシーが一台止まっている。
「いい……?」
芽衣子が尋ねる。残念だがこんな状態で観戦を続けるわけにもいかない。聖霊館に戻るほかあるまい。
「ごめん、こんなことになって……」
「大丈夫、みんなにはうまく伝えておくから、リサお願いね」
リサが首をかすかにふって了承の意を伝えた。そのまま二人でタクシーに乗り込む。
「発車します」
行先を尋ねられないまま運転手が車を発車させた。既に芽衣子が言い伝えておいたのだろう。
サイドミラーの後ろ向こう、芽衣子と啓吾がお互いに頭を下げ合っていた。棒立ちのままになっている喜美子、賢哉は再び座り込んでいた。
後部座席でリサと手をつないだまま座り込み、流れていく景色をぼんやり見渡す。
初めて、この少女と話したあの日のことを思い出した。
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