第四章 闇夜の遭遇

(1)

 まな板を叩く音がキッチンに響く。実家にいたことは料理など滅多にしなかったので、不慣れだった手つきも慣れたものである。

「お兄ちゃん、お米研ぎ終わったよ」

 依織が炊飯用のなべを手に持って見せた。

「ああ、ありがとう、そこに置いといて」

「うん」

 7人分炊くのでかなりの重さになる。依織が慎重に設置する。

「ガスコンロで炊くんだよね?」

「うん、こっちのほうが早いし、おいしく炊ける……かな?」

「うん、すごくおいしかった」

 隣で手伝ってくれていた美奈が顔を上げた。

「そりゃ、よかった」

 最近始めたばかりのことだったので少し不安があった。


 包丁を置く。だいたいの下ごしらえは終わった。思ったより早く済んだようで時計はまだ六時にもなっていない。

 ドアが開く音がした。

「兄ちゃん、ゴミまとめておいたよ。玄関前に集めておいたから」

 瞬がタオルで汗をぬぐう。

「うん、ありがとう」

 と述べたところで、伸治も入ってきた。

「お風呂場の掃除も終わったよー」

「ああ、お疲れ様、後は休んじゃって、みんなは明日、運動会なんだから今日は夕飯食べたら早めに寝よう」

「そうだね」

 依織がコンロに置いた鍋に蓋をした。火はまだかけない。

「ふう……」

 これで一息つけそうである。普段からこんなことを当たり前にこなしている芽衣子に驚愕すると同時に尊敬の念を抱いた。


 なんだかほんとに所帯じみてきたな……。


 手を洗いながらそんな感想を抱いた。

 携帯を確認、芽衣子はもうすぐ帰ってくるとのことだった。夕食の仕込みがほとんど終わったことを連絡しておいた。

「芽衣子お姉ちゃん、なにしてんだろ。最近帰りが遅いみたいだけど」

 綜士の携帯を覗きこむ依織。

「そうだね……」

 特にクラブはやっていないと聞いているので、思い当たる理由がない。普通に考えれば、いい人でもできたのかと思うところだが、そういう気配もない。

「まあ、大丈夫だよ」

「俺たちと違って子供じゃないもんなー、姉ちゃんは」

 瞬がふてくされたように携帯とにらめっこしていた。

「えっと……リサはまだ寝てるかな?」

「うん、スヤスヤって感じで」

 依織が手振りで睡眠を表現する。

「ああ、そっとしといてやろう」

 食時になれば起きてくるかもしれない。


「さて、芽衣子が帰るまでのんびりしてようか」

「そうだね」

 テレビをつけて椅子にこしかえた。

 鞄を開いて、今日の学習した範囲を見返そうとノートを取り出そうとしたところ、

「あれ……」

 見当たらない。


 しまった……。


 地域センターのラウンジ、そこのテーブルに置きっぱなしにしてしまったのだろう。リサのことに気を取られ過ぎて、回収して帰るのを忘れていたようだ。

「まずいな……」

 明日は休日で地域センターも閉鎖日になることを聞かされている。捨てられるようなことにはならないと思えど、復習ができなくなる。

 時計を見る。さほど離れた場所ではない。走って行けば、夕食までには戻れるだろう。


 だが地域センターには……。


 彼女たちが来ている。

「……」

ホールの貸し出し時間は過ぎているので、もう引き上げているだろう。接触するようなことにはならない、と思いたい。

 テレビを見ている小学生組に、話しておくことにした。

「みんな、ちょっといいかな」

「どうしたの?」

 依織たちが振り返る。

「俺、ちょっと出てくるから」

「お買い物?」

「そんなとこ、遅れるかもしれないから、芽衣子が帰ってきたら先にご飯にしちゃってて」

「うん」

 そういうとダイニングを出て、自室へと向かった。

 ジャケットを手に取り、外出の用意を整える。部屋を出て、階段前で立ち止まった。

 静まり返っている廊下の先の女子部屋に目をやる。リサがどうも気になる。一応、話しておこうかと思ったがまだ寝ているかもしれない。


 やめとくか……。


 そのまま、階段を下って玄関まで赴き靴を履いた。




 駅前のビュッフェまでやってきた喜美子たち、部長の労いの言葉が終わると一斉に乾杯となった。

 食事を楽しみつつ、次のイベントについて話すこととなった。

「それでね、ハロウィンフェスティバルでうちのクラブもそこの大通りで演奏するんだけど、矢本くんたちもおいでよ」

 ハロウィンに行われる汐浦の一大イベント、去年は日宮祭のテロ事件のあおりで中止になってしまったが、今年は開催される。合奏クラブはそこでの催しに参加する予定で、他のクラブの人たちも遊びにくる。

「ああ、お邪魔、しようかな」

 どこか歯切れが悪い隆臣、やはり自分の横にいる瑞樹とまだ仲直りしていないようだ。


 どうしたんだろ……。


 チーズケーキを切り取って、口に運ぶ瑞樹に視線を走らせる。怒っているようには見えないが、隆臣と目を合わせようとしない。

「おーし、俺も相棒と一緒に乱入しようかな」

 口元にご飯粒をつけた賢哉が、エアギターみたいなことをやりだした。彼は軽音楽志向なので普段から部活動にはあまり参加しないが、自由参加が部是のここでそのことを気にする人はいない。

「アホ、エレキ使うクラシックなんてあるわけないでしょ」

 口元に紅茶を運ぶ。


「賢哉くん、最近なんだか楽しそうだね」

 詩乃が賢哉にそう述べた。

「おうよ、我が人生にもようやく春が来たっていうか」

「この間もそんなこと言ってたね、なんなのそれ?」

 ちょっと気になっていたので訊いてみることにした。

「ウフフのフ……」

 奇妙な笑みを作る賢哉。

「なんなのよ……」

「まあ、あれだ。恋しちゃったわけよ」

「は……?」

 このボックス席全員の視線が一斉に賢哉に向いた。


「おいおい、そんなにみつめないでくれよー」

「悪ふざけ?」

「違うって、マジで好きになっちゃった……人ができたんだ」

 語尾に真剣実が宿る。どうやら本気で言ってるらしい。

「誰?」

「みんなは知らないって、汐浦のモールで偶然会った人だからな」

「本郷くんがねぇ……、どんな人?」

 早紀がテーブルに肘をつく。彼女らしからぬノーマナーに軽く興味を引かれているのが見て取れた。

「超かわいくて、超かわいい上に超かわいい子だよ」

 賢哉の語彙の無さに辟易する。

「なーんだ、まだ付き合ってもいないんだ」

「ああ……だが、勝負はこれからだから」

「うまくいきそうなの?」と早紀。

「うまくいかせるんだよ」

 楽し気な賢哉、恋に熱中している自分に酔っているように見えた。


「へー、なんだか素敵……誰かを好きになるって」

 詩乃が透明な声を出す。

「えっと、私よくわからないんだけど……」

「なになに月坂さん」

「その人も賢哉くんを好きになってくれたら……どうする、んだっけ?」

「どうするって……付き合うよそりゃ、恋人として」

「恋人……男女の二人でお出かけしたり、仲良く遊んだりするんだよね」

「うん、まあ最近は男と女とも限らないみたいだけど」

「そ、そうよね……!」

 早紀が妙に上ずった声を出した。

「それって……なんだか素敵……」

「……詩乃?」

 どこか遠くへ視線を運ぶ詩乃、ここにいる誰も見ていない気がする。


「詩乃、どうかし……え?」

 隣にいる瑞樹が能面のような顔になっていた。瞳孔が開きっぱなしになっており、眼球が小刻みにふるえている。

「み、瑞樹?」

 瑞樹が立ち上がった。

「ごめん、ちょっと……」

 そのまま席を離れてどこかへ行く。トイレ、だろうか。早紀が不安げな表情で瑞樹の背に視線を運んでいた。

「あれ……」

 詩乃がキョトンとした目になっていた。

「月坂さん、どしたの?」

 賢哉が怪訝な表情で詩乃を見ていた。

「私、今、どうして……あ、瑞樹ちゃんは?」

 目の前で離席したはずなのに気づかなかったのだろうか。


「どっか行ったよ、トイレじゃないの」

 賢哉の頭を思いっきりはたいた。

「あんたね!」

「わ、わりいわりい」

 降参のポーズをとる賢哉。

「……?」

 隆臣がきつくおしぼりを握っているのが見えた。

 その時であった。けたたましいまでのサイレン音が外から鳴り響いてきた。

「なんだろ?」

「いつものことだろ」

 賢哉がストローでコーラを吸う。

「いつものって……これが?」

「ああ、最近の汐浦の繁華街はしょっちゅうこんなもんよ。どこも警戒して早めに店閉めるからな。まあ駅前ではちとめずらしいけど」

「ふーん」

「怖いね」

 早紀が携帯を取り出す。安全情報の確認でもするのだろう。


「すぐそこの駅から元柳まで帰れるから心配いらないよ」

 喜美子も鞄を膝に置いて携帯を探す。

「俺っちはここからちょいと歩くから怖いわー」

「あ……あれ?」

 中に入れて置いたと思っていた携帯電話が見つからない。

「どうしたの喜美子?」

「け、携帯が……」

「ないの?」

「う、うん……!」

「なになに落としたの?」

 賢哉の軽い声が焦燥に苛立ちを添える。

「あー!」

 思い出した。地域センターでの合奏前に鞄に入れ忘れて、受付近くの小型ロッカーにしまったのだった。財布を取り出して、小銭入れを開ける。ロッカーのカギを見れば記憶通りに違いなかった。


「ごめん! 私ちょっと地域センターまで携帯取ってくる!」

 席を立つと、鞄をそのままに飛び出した。

「喜美子! 一人じゃダメ!」

 早紀が呼び止める。たった今、事件か事故が起こった矢先に単独行動に走る喜美子を諌止しているのだろうが、たかが携帯を取りに行くだけと思い、

「すぐ戻るから」

 背中でそう叫ぶと店を出て、通りに出た。


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