(6)

 正門前で待機していると、乗用車が一台やってきた。郁都のものである。門を開けてガレージに誘導させて、停車すると二人が出てきた。

「こんばんはー」

「はい、こんばんは」

「やあ、綜士くん」

 郁都と柚葉が出てきた。


「悪いわね、郁都、ありがとう」

「いや、最近ここの夜は物騒で油断できないからね」

 ラフな会話を交わす二人、年が近く長年聖霊館でともに過ごした仲がうかがえる。

「みんな、待ってますよはやく中へ」

「ええ」

 ダイニングでは既に芽衣子たちが食事の用意を終えていた。簡単な飾りつけまでやっている。


「いらっしゃーい」

 芽衣子が笑顔で迎えてくれた。

「こんばんは、芽衣子」

「柚葉姉さん、久しぶり」

 芽衣子が喜色ばんだ声であいさつした。小学生組も集まってくる

「みんな、久しぶりー。お姉ちゃん寂しかったよー」

 依織と美奈に抱きつく柚葉、

「柚葉姉さん、元気だった……?」

 美奈が頬に紅をさした。

「柚姉苦しい……」

 という依織もうれし気である。慕われていたのだろう。瞬と伸治が苦笑する。


「リサはまだ?」

「うん、そろそろ戻ってくると思うけど」

 再会を喜ぶ、住人たちをよそに所在なく窓に目を向ける。

「ところで綜士くん、どうかなここの生活は?」

「ええ、もうすっかり慣れましたよ」

「郁都兄さん、綜士がうちの家計をすごく助けてくれたの」

 芽衣子が気を利かせた、

「ああ、聞いたよ。綜士くんありがとうって卒館者の僕が言うのも変な話だけど」

「い、いえ、実家のコネを頼っただけですので……」

「ふふ、やるわね桜庭くん、でも、困ったことがあったら遠慮なく言ってよ」

「ええ……」


 ドアが開かれる音がした。

「わーひさびさー」

「ほら、スリッパ」

 ギョッとした。ゲスト、というのは、

「こんばんにゃー!」

 勢いよく入ってきた天都結奈、リサが後に続く。

「ああ、待ってたよ、結奈ちゃん」

 芽衣子がハンガーを持ってきた。

「ありがとう芽衣子さん。みんなー会いたかったよー。およおよ」

 相変わらずの芝居がかったノリに嘆息する。

「結奈ちゃん、こんばんは」

「はーい、いおりん、今日は夜通しお姉ちゃんとお話ししようねぇ」

 依織の顔に頬ずりする結奈、どうやら泊まりこむ気らしい。


 結奈と目があった。みーつけたと、彼女の顔が言っている。


 うげ……。まずいかも……。


 歓談する住人たちの間をすり抜けるように近寄ってくる。こっちに来るなと言うわけにもいかず覚悟を決めた。

「……こんばんは、あま……結奈さん」

「えへへ……」

 なにか探るような微笑。


 なんなんだこの娘は……?


 思考が読めない。結奈は今までの人生で遭遇したことのないタイプの女の子だった。

「こんばんは、綜士くん、えっとですね……」

「なにか……?」

「お兄ちゃんからメッセージ預かってます」

 瞬きが止まった。あの嶺公院の天都啓吾という男、彼と関われば必然的に隆臣にも関わることになる気がする。できれば避けたい相手なのだ。

「これなんですけど」

 小さな紙袋一枚、中はカードだろうか。


「……」

 受け取らない、という選択肢はまずいだろう。リサもこちらを気にしているように感じる。

「ああ……」

 手につかんで、廊下に出た。開封すると、

『今日は結奈を頼む、君を聖域の住人と見込んで』

 とだけ書かれていた。


 どう受け止めるべきなのだろうか思案する。少なくとも、隆臣たちとの因縁や過去について探る気配はないと見ていいだろう。


 ポケットにしまうと外にまた一台車がきた。黒塗りの高級車。郁都が外に出るとピンときた。

「お待ちしてました」

「ああ、悪いね」

 郁都が車のドアを開けた。お付きはおらず、自分で運転してきたようだ。

「やあ、こんばんは綜士くん」

「道さん……こんばんは」

 谷田川道が穏やかな微笑とともに降りてくる。


「手紙受け取ったよ、ありがとう」

「いえ、礼を言わなきゃいけないのは俺の方です……」

「どうかな? ここでの生活は……」

「大変なこともあるけど、とても楽しいです」

 本音で語る。

「ああ、それはよかった」


 ドアが開く音を聞くと、瞬が出てきた。道を目にするや息をのみ、肩を震わせ目を充血させている。道がゆったりと歩み寄り、体を預けた瞬を静かに抱きとめた。

 郁都と目配せして、先に入らせてもらうことにした。きっと瞬も道の導きでこの家にやってきたのだろう。


 その後は簡単な近況報告も兼ねた親睦会となった。

 道は明日には海望商事が北海道で展開している事業のため現地に向かうとのことだった。

「出立前にみんなの顔を見れて安心したよ、なにかあったら気楽に連絡してほしい」

 道はそう述べた。

「もう少し、ゆっくりできたらよろしかったのに」

 柚葉が惜しむように口に出した。昔世話になったというだけでなく、今でも道の会社とはつながりがある。


「ああ、今は飛行機の便が限られててね、冬が来る前に一区切りつけないとまずいからね。でも久々に日之崎に来れてよかった」

 海望グループも大規模なプランテーションによる国の食糧増産計画に参加している。代表取締役として陣頭指揮をとらねばならないようだ。

「今は戦争という厳しい情勢が続いているが、ここのみなならば力を合わせて乗り越えてくれるものと信じている」

 道が全員を見渡してそう言ってくれた。


 道たちを見送ると、後はラウンジで遊ぶだけとなった。女性陣は今日も大部屋でみんなで寝るらしい。

「そんでー、今度、地域センターで出張公演やるの、よかったら見に来てよ」

 宣伝する結奈。

「結奈の芝居って眠くなるんだよな」

 リサがソファに寝っ転がりながらぼやいた。

「今回のはそんな退屈なのじゃないって、ああ、そうそう、お兄ちゃんの学校の」

 ドキリとした。冷や汗も出てくる。

「合奏クラブって人達もなにか演奏会やるんだって」

 結奈がチラシを取り出す。嶺公院高校合奏クラブ、ブラスバンド部とは違うのだろうか。


「……」

 もし、彼女が今の高校でも音楽を続けていたなら……。

「お兄ちゃんの友達の本郷さんって人がくれたの」

「ふーん……」

 リサがこちらの様子を気にしているのが顔を見ないでもわかる。音をたてずに立ち上がって、ラウンジを出た。


 裏庭への戸を開いて、壁に寄りかかる。

 自分の中には、彼女に対する未練と執着が薄くなっていくのを恐怖する心がある。自分が自分ではなくなってしまう、それが成長と言えるものであっても、である。

 ただ仮にあの時、隆臣を力で下して押し通ったところで、彼女の心を取り戻すことができたはずがない。そこだけは認めざるを得なくなっていた。


 難しいな、生きるってのは……。


 足音が近づいてくるのを捉えた。

「……ゲスト様をほっといていいのか?」

「依織たちと遊んでるよ」

 リサが少し離れた位置で同じように壁に背を預けた。

「明日も病院か?」

「ああ……リサは?」

「一応行くけど、もう話を聞くのは難しくなってきた。ガードが厳重になってきて」

 不特定多数の人々が自由に出入りできる以上スパイがいないとも限らない。やむを得ない措置なのだろう。

「お父さん……元気にしてるといいな」

「うん……」

 はるか上空、軍用機と思しき飛行物体が飛んでいく音がした。


「リサ……俺、とても大切な人がいたんだ……」

「……」

「今は会えないでいる……、ひょっとしたらもう一生会えないのかもしれない」

「そうなんだ……」

 顔を合わせないまま語る。

「それでも、その人が幸せになってくれるなら、それが一番だと思ってる……」

「うん……」

 薄い雲の上、星が瞬く。



 週末の土曜日、自然公園を聖霊館一同で散策することとなった。

「来月に南小で運動会があるから、綜士も見に来る?」

「うん」

 芽衣子と並んで歩く。前方ではリサが子どもたちを先導して、走り方をレクチャーしているようなことをやっていた。


「あの岡部って子のことなんだけど……」

「うん……」

 あの後、結局岡部龍吾は、転校することとなった。表向き、父親の仕事上の関係という名目となり、子細は学校側には漏れなかった。厄介の種が消えてくれたのに安堵した学校も特に追及することもなく、美奈のクラスでもほとんど触れられることはなかったという。

 彼には今回の件を反省して、まっとうな方法で人から信頼される人間になる機会が与えられたとも言えるが、やはり心が晴れない思いもする。ただ問題の原因となった人間を排除するだけでよかったのだろうかと考えてしまう。

 さらに昨日、竹井という女児の転校も伝えられた。こちらは一切、詳細がわからないが彼女の両親がやはり同盟という存在に恐怖したのだろう。いつ娘に危害が加えられるかわからない学校に、通学させることはできないのは当然といえば当然だった。


「残念だと思う……。美奈もほんとはわかりあいたかったって思ってる……」

「だろうね……」

 瞬たち、同盟の生徒たちは、勝利といえるのかはわからないが、作戦の成功を祝するようなことは特にしていないとも言っている。綜士の訴えにある程度、耳を傾けてくれたのかもしれない。


 押し黙る二人、芽衣子は遠回しに綜士に瑞樹、そして他にいるだろう綜士の昔の友人との和解を促している、ように感じる。

「芽衣子、来年卒業したらどうする?」

「大学の方に行くと思う」

「付属の?」

「うん」

 彼女が子どもたちを置いたまま聖霊館を去るとも思えない。セントアンナ女子大に進むのだろう。

「今度、みんなの勉強見てあげてくれる?」

「え? 別にいいけど……。俺、中卒だよ」

「フフッ、あんな難しい高校合格したじゃない」

「あ、ああ……」

 陽光が葉の隙間から降りそそぐ秋の公園、よく彼女と地元の山林道を散歩したことを思い出す。今、彼女の隣を歩いている人間は誰なのだろうか。

 妄念を超えた先まで、たどり着くにはまだ時間がかかりそうだ。

 

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