第22話 ロストナンバーズ・草詰アリス ②

「ご主人様起きてください」

 ぼくは体を揺すぶられて目を覚ました。目をあけると目の前に女の子の顔があった。かわいい女の子だった。

「君は?」

 ぼくを起こした女の子は、顔も格好も先生から支給された携帯電話の待ち受け画像のあの女の子によく似ていた。

「お久しぶりですご主人様」

「たぶんはじめましてだと思うけど」

 ぼくがそう言うと、

「そうでした。この世界のご主人様に会うのははじめてでしたね」

 女の子は奇妙なことを言った。けれど、彼女の言う通り、どこかで会ったことがあるような気がした。

「はじめまして。草詰アリス(くさつめありす)と申します」

 女の子はにっこりと笑うと、スカートの裾をつまんでぼくにペコリと挨拶をした。

「草詰アリス?」

 それは平井が言っていたドラッグの名前と同じだった。偶然の一致だろうか。偶然にしては珍しすぎる名前な気がした。

「ここはどこだ?」

 空も大地も海も、水平線の向こうまで、どこまでも真っ白な世界にぼくはいた。

 道路も電柱も田んぼも畑も、何もない世界だった。

 遠くにぼくの通う学校だけがぽつんと建っていて、空には月が三つあった。

「アビブの月、ジブの月、エタニムの月です」

 月を見上げるぼくにアリスが言った。

「ここは死後の世界か?」

 ぼくは死んだのだろうか?

 天国も地獄もない、前世も来世もない、死んだらそれでおしまいだって思ってたけど、どうやら考えを改めなきゃいけないみたいだ。

「死後の世界ではありませんよ。ご主人様はまだ死んでらっしゃらないじゃないですか」

 そうだった。

 ぼくは篠原がハッキングした電子ドラッグの力を得るために、いじめロールプレイのアプリを起動した。

「ここは、いじめロールプレイのアプリの中です。正確には”D”と呼ばれる世界です」

 篠原が言っていた。ぼくは何時間か意識を失い、ぼくの意識はそのアプリの中に入ると。

「ぼくはこのアプリの電子ドラッグで強くなるためにここに来たんだ。いじめの首謀者も見つけ出さなきゃいけない」

「はい、篠原様から伺っております」

 篠原から? 不思議がるぼくにアリスは言う。

「すべての生命は地球という巨大なハードディスクの中のアプリケーションにすぎません。人の脳の容量は1.8ギガバイト程度、肉体全体もデータにすればわずか2テラバイト程度のものです。あらゆる生命はDNAというプログラムによる、データの集合体です。ここはそのデータを管理する世界。篠原様はお亡くなりになりましたが、地球というデータベースには篠原様のプログラムがデータとして保存されています」

 だから彼女は篠原のことを知っているということだろうか。

「ユダヤ暦で何年の何月何日の何時何分か指定してくだされば、その時間の篠原様をここに再現することも可能ですが、いかがなさいますか?」

「ユダヤ暦?」

 はじめて聞く暦だった。

「西暦でいう紀元前3761年10月7日を神が世界を創世した日、宇宙創世紀元とする暦です。しかしながら、西暦2013年10月13日の日曜日に世界はご主人様によって再創世されたので、今年が宇宙創世紀元でもあるのですけれど」

 彼女が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。

 篠原に会いたくはあったけれど、まだ会わせる顔がなかった。彼にもう一度会うことができるなら、それはすべてを終わらせたら、篠原のおかげでぼくがゲームを終わらせることができたなら、にしたかった。

「アリスは篠原様がご主人様の携帯電話に遺されたテキストファイルを読み、ご主人様がここにいらっしゃることを知って、ここで待っていました。学校に行きましょう。ご主人様が得たいお力と知りたい事象はそこにあります」

 ぼくは差しのべられたアリスの手を握った。温かい手だった。

「あのさ」

 学校に向かって歩きながら、ぼくは言う。

「そのご主人様っての、やめてくんない? なんだかむずかゆくってさ」

 ぼくはたぶん、メイドカフェとか苦手なんだろうな、と思った。一度でいいから、萌え萌えじゃんけんじゃんけんぴょんてのをしてみたかったけど。ゲームが終わって、鮎香と付き合うことになったらしてもらおう。うん、そうしよう。嫌われるかもしんないけど。

「ご主人様変わられましたね」

「そうかな」

 変わったも何も彼女と会うのは今日がはじめてだったから、彼女が一体いつのぼくと比較しているのかわからなかったけれど。

「はい、アリスが知るご主人様とはまるで別人です。アリスは構ってもらえなくてさびしいですが、ご主人様がちゃんと学校に行き、すてきなご友人にも恵まれたことをうれしく思います」

 ぼくが不登校でひきこもりなのは毎晩繰り返し見る夢の中の話だった。どうして彼女はそれを知っているんだろう。

「アリスのこと、本当におぼえてらっしゃらないんですか?」

 ぼくはうなづく。

「これっぽっちも?」

 またうなづいた。

「微塵も?」

 また。

「ひどーい。激おこぷんぷん丸です」

 アリスはぼくの頭をぽかぽかと叩いた。激おこぷんぷん丸て。

 そして言った。

「アリスは西暦2013年10月13日の日曜日に、ご主人様が世界を再創世されるまでの1週間、ご主人様のメイドをさせて頂いていました」

 先月の10月の中頃、ぼくは何をしていただろうか。普通に学校に行って、祐葵や鮎香と屋上で鮎香の作ってくれたお弁当を食べて、家に帰ったらギターを弾いて、少しだけ勉強をして、そんな毎日を過ごしていただけのような気がする。世界の再創世なんて考えたこともなかった。

「正確には、アリスはご主人様がお持ちになられていた携帯電話、DRRシリーズ・ナンバー48のコンシェルジュの役割を務めていました」

「DRRシリーズ? ナンバー48? コンシェルジュ?」

 まったく話が見えなかった。

「スマートフォンをアンドロイド携帯とも呼びますが、DRRシリーズは実際に使用者にしか見えないホログラムのアンドロイドを搭載した次世代の携帯電話でした」

 ぼくは携帯電話を持ったことなんてないぞ、と言うと、

「世界の再創世前の話ですから」

 とアリスは言った。西暦2013年10月13日の日曜日までの1週間、ご主人様は確かに携帯電話を、アリスをお持ちだったのです。

 まったくわからない。あいかわらず話が見えなかった。

「西暦2013年10月13日の日曜日に世界は再創世され、それまでの地球、いえ宇宙の歴史は一旦幕を閉じました。そして西暦2013年10月13日の日曜日から新しい地球と宇宙の歴史が始まりました」

 ちょっと前に流行ったアニメやゲームで、物語の中の世界が実は二周目の世界だったり、何度もループしてたりっていうのがあったけど、そういうことだろうか。

「全然違います」

 アリスは怒ったように言った。何こいつ、ぼくの心が読めるの? 怖いんだけど。

「怖くありません!」

「やっぱり読めるんじゃねーか!」

「アニメや漫画に例えるなら、スターシステムが一番近いかもしれません」

「スターシステム? なにそれ」

「手塚治虫がよく使った手法で、Aという漫画の主人公が、Bという別の漫画にも登場するというものです」

「あー、怪盗キッドがコナンに出てくるみたいなこと?」

「そういうことです。その主人公はAの漫画の設定を引き継いでBに登場することもあれば、名前や顔が同じだけでAとBではまったく違う設定で登場することもあります。手塚治虫は自分の漫画のキャラクターをキャラクターとしてではなくひとりの役者のようにとらえていたので、この手法をよく好んだと言われています」

「それが今の話とどんな関係があるわけ?」

「ばか」

 あ、こいつ、今ばかって言ったぞ。ばかって言う方がばかだ、ばーか。

「二回もばかって言わないでください」

 ぼくは言ってない。思っただけだ。

「つまり、西暦2013年10月13日の日曜日までの世界がAという漫画で、それ以降から現在まではBという漫画なんです。ご主人様はそのどちらの漫画でも顔も名前も同じで主人公なのですが、設定が若干違うというわけです。アリスがお仕えしていたのは不登校でひきこもりのナイーブで繊細なご主人様A、今のご主人様はいつも元気いっぱいで学校にも通ってるしお友達もたくさんいるけどおバカさんのBです」


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