第6話 出席番号男子15番・大和省吾 ②

「先生、動脈か静脈か、何か大事な血管が切れてるかもしれません。このままじゃ出血多量で伊藤さんは……」

 鮎香が言った。しかし先生は聞く耳を持たなかった。

「少し話が脱線してしまいましたが、──というように、人はあだ名ひとつで自分が人間じゃないとまで追い詰められ、死に至ることがあるというわけです。さあ、誰か、内藤美嘉さんにふさわしい、いいあだ名はありませんか?」

 もう伊藤には興味がない。まるでそう言うかのように、先生は話を続けた。

「救急車を呼べ!」

 鮎香が叫んだ。その必死な形相は、いつもぼくや祐葵に見せる笑顔と違い、ぼくが今までに一度も見たことがない顔だった。

 先生は鮎香を見下ろして言った。

「ここで死ぬなら、それは彼女の寿命がここまでだったということですよ」

 その瞬間、鮎香に続いて祐葵がブチ切れた。

 伊藤と同じように、先生に殴りかかろうとして、目の前に突きつけられたバタフライナイフを前に祐葵は動きを止めた。

「いい動きです。そしていい判断ですね。榊くん、君が伊藤さんの二の舞にならなくてよかったです」

 祐葵は力なく崩れ落ちた。その体が震えていた。恐怖だ。彼は絶対に勝てないと知ってしまったのだ。

 野中はまたも胸元から自分の得物が消えたことに不思議そうにしていた。

「誰も思いつきませんか。先程も言いましたが指令は誰かが実行しなければいけません。パスするためには、誰かを生け贄に捧げなければいけません。どうしますか? あだ名ひとつつけるのをためらって、友達をひとり犠牲にしますか?」

 次に動いたのは大和省吾だった。

「あんたどうしちまったんだ? 先月までとはまるで別人だ」

 大和は身長がクラスで一番高い。丸刈りの頭は野球部に所属しているからだ。伊藤のように一年生でレギュラーというわけではないが、運動神経に優れ、サッカー部の祐葵と共に体育祭では大活躍した。祐葵は細マッチョな体だが、キャッチャー志望の大和はまるでボディビルダーのような体をしている。

「これはこれは大和くん。何かいいあだ名が思いつきましたか?」

 先生の言葉に、大和は床につばを吐き捨てて答えた。

「考えてもいねーよ、んなもん。こんなゲームで人が殺せるかよ」

「さっきの伊藤香織さんへのペナルティを見なかったのですか? 学習能力がたりない人間は、社会にでてもつらい思いをするだけですよ。特にあなたみたいに頭の中まで筋肉でできてると苦労するでしょうね」

「勝手に言ってろ。いいからすぐに救急車を呼べ。今ならまだ間に合う」

「それはできない相談ですねぇ」

「あんたはすぐに警察に捕まる」

「それはどうでしょう?」

 大和は床にどっしりとあぐらをかいて座った。

「本当に誰かが死ななきゃいけないなら、俺が死んでやる」

 そう言った。

「これは意外です。大和くん、脳みそまで筋肉のわりには自殺志願者だったんですね」

「家がつぶれかけた売れない自転車屋をやってるもんでね。今年の夏の大会で、先輩を押しのけてレギュラー勝ち取って甲子園に行けなかったら、親に負担をこれ以上かけなくないから、金がかかる野球はやめようと思ってたんだ。結局甲子園に行くどころかレギュラーさえもとれなくて、今でも野球を続けてるんだが。うちの親は俺のわがままのせいで何十万、何百万という借金を抱えている。これ以上はもう無理だ。ガキの頃から俺は野球しかやってこなかった。そのくせリトルリーグでも中学校でもろくに活躍できず、どこの高校からもお呼びがかからなかった。俺の人生は野球といっしょにあったんだ。野球をやめるくらいなら死んだ方がましだ」

 知らなかった。同時にぼくは大和の言葉に敗北感のようなものを感じていた。

 ぼくは中学からギターを始めた。そのギターは親に頼み込んで、安いものなら1万円以内でも買えるものがあるのに、その頃流行っていた高校の軽音部を舞台にしたアニメの主人公が持っているものと同じ、何万円もするものを買ってもらったものだった。

 三年ほどの練習でそれなりに弾けるようになったけれど、まだまだ押さえるのが苦手なコードはある。詩を書くのも苦手だった。楽譜を読むことくらいはできるようになって作曲も何曲かしていたけれど、ライブどころかバンドを組んだことすらなかった。

 ぼくは将来ロックバンドでメジャーデビューするなんて夢を祐葵や鮎香に語っていたけれど、実際には部屋でふたりに聴かせるためだけのデモテープ作りに励んでいただけだった。

 音楽は確かに好きだ。中学生のときにたまたま見た深夜アニメの主題歌で出会った大槻ケンヂの歌に、世界観に、ぼくは魅了された。彼が出版した作詞集の巻末に東大の教授が解説を書くほどの、歌詞というよりは文学、哲学といってもいいほどの世界観に。ぼくは第二の大槻ケンヂになるのが夢だった。けれどそれはあくまで夢で、現実にぼくがロックバンドとしてメジャーデビューできたり、第二の大槻ケンヂになるなんてそんなことがあるわけがないとも思っていた。

 ぼくは自分が好きなもののために、人生を賭けるほどの覚悟がなかった。

「殺してみろよ、ほら」

 大和が先生を挑発した。

「だそうですよ内藤美嘉さん。大和くんは自分から生け贄になることを志願してくれました。彼を殺してさしあげてください。そうすれば、二九人いるいじめの首謀者の候補ひとりが減り、二八人になる。あなたには二八回いじめの首謀者だと思う者を殺す権利がある。ひとり減れば、あなたが生き残る可能性が高くなります」

「そんなこと、できるわけないじゃない」

 内藤美嘉は言った。

「だって人殺しなのよ!? わたしがしてた凛へのいじめとはレベルが違いすぎるじゃない」

「あなたが山汐さんに強要した売春はれっきとした犯罪ですよ。殺人も同じ犯罪です。人殺しも売春の強要も、刑罰が多少変わる程度で、大して変わらないものだと思いますけどねぇ」

 それに、あなたの御祖父さまのコネを使えば、たとえあなたが彼を殺したとしてもまた無罪放免になるんじゃないですか? 先生は言った。先生はまた、いつの間にか野中からバタフライナイフを盗み出していて、それを内藤に手渡した。

「さ、人生に行き詰まり、死を考えている彼を殺してあげてください」

 内藤に手渡されたバタフライナイフには伊藤香織の血がべったりとついていた。

 ひっ、と悲鳴を上げて、彼女はバタフライナイフを払い除けた。

「あらら、これじゃ、お気に召しませんでしたか? それもそうですよね。ナイフで人を刺すときはまるで豆腐を刺しているかのような、とても人の肉を刺すという感覚ではないらしいですが、しかしあなたの手には人を刺したという感覚が残ってしまう。人を殺すにはナイフのようなものではなく、拳銃や毒ガスのようなものが一番いいとされています。人を殺したという感覚が曖昧になりますから。しかし先程あなたに手渡した拳銃は今は使えません。さっきも言いましたがあの銃は時限式の安全装置がかけられていて、六時間に一度、五分間だけ、一発だけしか撃てないようになっていますから」

「じゃあどうやって殺せっていうの!」

 内藤美嘉が抗議をした。

「なんでもかまいませんよ。この教室にあるものなら何を使っていただいても構いません。もちろん、あなたのその手で、彼の首をしめてもかまいません」

「そんなことできるわけないじゃない」

 内藤美嘉はもう一度そう言った。

 先生は大きくため息をついた。

「どうやら誰かが本当に死ななきゃわからないみたいですね」

 そう言った。

「仕方ありません。最初ですし、今回は特別に私がやりますか」

 先生がそう言った瞬間、彼の手にはチェーンソーが握られていた。ぼくはもう驚かなかった。先生は何らかの方法で、時間を止めるか瞬間移動をすることが出来るのだ。どこからかチェーンソーを持ってくることなど造作もないことなのだろう。その原理はまだわからないけれど。

「みなさん、大和省吾くんを、指令をパスする代わりに、生け贄にささげるということでいいですね?」

 先生はぼくたちに最後の確認をとった。

「まさか、本当にやるわけないよな」

「やるわけないだろ。ここは学校だぞ」

「でも先生、もうすでに伊藤さんを刺してるのよ」

 クラスメイトが口々にそう言う最中、生け贄の儀式は実行された。

 下から振り上げられたチェーンソーが大和省吾を左右に真っ二つに切り裂いていた。


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