第12話 2013年10月10日、木曜日 ②
教室に入るぼくを昨日は盛大にもてなしてくれたクラスメイトたちは今日はそうしてくれなかった。
一夜でぼくが不登校からクラスの人気者になったように、一夜でぼくはクラスの人気者から目立たない一男子生徒に転落したようだ。
加藤麻衣の仕業だ。
「おはよう、秋月くん」
救いなのは教室にあやがいてくれたことだ。
Sの姿もある。Sはぼくに見向きもしなかったけれど。Sはクラス中の視線を一身に集めていた。ぼくは転落し、クラスメイトの人気は彼が独り占めする設定に世界が再構築されていた。
ぼくがRINNEでふたりと友だちになっている以上、加藤麻衣にはふたりをどうすることもできなかったということだろうか。どうにかできたとしても、する必要がなかったのかもしれない。
「ご主人様、アリスがもう一度世界を再構築いたしましょうか?」
「いや、いいよ」
ぼくは普通の高校生になりたかっただけで、クラスの人気者になりたかったわけじゃない。昨日はアリスやSやあや、それからクラスメイトたちに流されて、少し浮かれてしまっていたけれど、きっとこれがぼくが望んでいたものなのだ。だからそれでいい。
加藤麻衣はぼくを不登校のひきこもりに戻すことだってできたはずだ。そうしなかったのは彼女の慈悲のようなものだろうか。いや、きっと何か意味があるのだろう。それは適格者同士にしかわからないような何かで、ぼくは加藤麻衣と一度じっくり話をする必要があると思った。
加藤学はアリスのような携帯電話が全部で48台あると言っていた。ぼくと加藤学、加藤麻衣、3台は所持者がわかっている。残りは45台だ。
彼は「もし君の近くに所持者がいたらどうなるか」とぼくに尋ねてきた。「世界の再構築合戦が起きる」とぼくは答えた。そして加藤麻衣が所持者であることも教えてくれた。現に一夜で世界は再構築しなおされている。彼の言葉は、僕の周りには、加藤麻衣の他にも所持者がいるということを意味していると考えた方がよさそうだ。
Sが集めてくれた情報にあった携帯電話を持っていないという加藤麻衣を除く6人の中に、もしかしたら所持者がいるかもしれない。6人全員が持っている可能性もある。何しろ45台もあるのだ。
適格者という表現しているからには、所持者は所持者としてふさわしい素質か才能があると判断されているはずだ。ぼくが適格者に選ばれた理由がわからない今、6人のうち誰かが適格者であるかどうかはまだわからない。
まさかとは思うけれど、適格者たる条件が「携帯電話を持っていないこと」だったりすれば、6人全員が持っているだろう。
「不登校」や「ひきこもり」が条件であるとも思えなかった。あれはぼくのバッドステータスだ。RPGで言うなら毒とか麻痺、混乱にあたる。その条件なら加藤麻衣は所持者になりえない。
適格者の条件は、賢者に転職するために必要な悟りの書のようなものに違いなかった。
しかし、ぼくはそんなものは持ち合わせていない。
「ぼくがどうしてアリスのご主人様になったか、アリスは何か聞いてる?」
ぼくはアリスに訊ねた。
「誰がアリスのような携帯電話を持っているか、アリスはわからない?」
矢継ぎ早に質問を続けた。
アリスは首を横に振るだけだ。
手詰まりだった。もう少しヒントがあれば、他の所持者を突き止められるのに。
ため息をつくぼくのそばにあやがやってきた。
「秋月くん、これ」
そう言ってあやはぼくにA4用紙の束を差し出した。
「何これ?」
ぼくが訊ねると、あやは言った。
「この学校の全校生徒と先生たちの携帯電話番号とRINNE ID。秋月くん知りたがっていたでしょ?」
驚いた。
「先生たちの分までって、一体どうやって調べたんだ?」
まさかあやが学校関係者全員分を調べてくれるとは思わなかったから。
その次のあやの言葉にぼくはさらに驚かされることになる。
「だってわたし、これでもこの学校の理事長の娘だから」
ぼくはあやから昨日、彼女の家はこの町の南の栄南小学校区で牛を育てていると聞いたばかりだった。おまけに八十三高校は公立高校だ。理事長なんているはずがなかった。
しかし、あやから渡されたA4用紙の束には、「私立望郷高校全生徒全教職員電話番号・RINNE IDリスト」とあった。
もはや笑うしかない。公立が私立になっているだけじゃなく、高校名まで変わってしまっていた。
これも加藤麻衣の仕業だろうか。敵に塩を送るという言葉があるけれど、そういうことなのだろうか。
それにしてもぼくはあやには同情する他なかった。
彼女がRINNE IDを公開する掲示板に書き込みさえしなければ、アリスが彼女をぼくの友だちに追加することはなかった。それによって彼女は、どこに住んでいてどんな人生を歩んできたかぼくには今となっては知るよしもないけれど、ぼくの中学校時代からの同級生にされてしまった。そして今度はこの高校の理事長の娘だという。ぼくや加藤麻衣のせいで彼女は気づかぬうちにもう3周も違う人生を歩んでいるのだ。同情する一方で、ありがたかった。
パソコンを表計算ソフトを使って作られたそれにぼくは目を落とす。
1年1組から、3年8組までの24クラスと教師たち、800人近い人間の個人情報がそこにはあった。
「携帯電話を持っていない人は何人いた?」
ぼくが訊ねると、あやはぼくに最後のページの一番最後の行を見るように言った。
46人。
ビンゴだ。
加藤麻衣を除けばぴったり45人だった。
ヒントどころではなく、ぼくの知りたい答えが思わぬところからやってきてくれた。
適格者である条件は、携帯電話を持っていないこと。ただそれだけで、悟りの書なんてものは必要なかったのだ。
「ありがとな、あや」
ぼくは深々と頭を下げ、気づくと彼女の手を握っていた。
あやは顔を真っ赤にしてその手を振りほどくと、
「そんな大したことじゃないから」
と言って、逃げるように自分の席へ戻っていった。
「なぁ、アリス」
ぼくはあやのその後ろ姿を見つめながら言った。
「あいつ、RINNEの友だち募集の掲示板に何て書き込んでたんだ?」
アリスはあやの、まるで七夕の短冊に書く願いのような書き込みを教えてくれた。
──素敵な彼が見つかりますように。
あやのおかげで、誰がアリスのような携帯電話の所持者であるか知ることができた。
当面はこのクラスの人間に気をつけていればいいと思う。
このクラスでは加藤麻衣の他に7人いる。
神田透、氷山昇、真鶴雅人、宮沢理佳、山汐凛、大和省吾の生徒6人と、そして担任教師の棗弘幸だった。
昨日の朝、棗が出席をとったとき、ぼくの名前を飛ばしたのは、ぼくが思っていたような世界の再構築前の癖だったわけではなく、世界の再構築の影響下に彼がなかったからだろう。
おそらく彼は、ぼくが所持者だということをすでにもう知っているはずだ。他の生徒6人も。
Sを使って携帯電話番号とRINNE IDを調べさせたのは少し軽率だったかもしれない。いや、一昨日まで不登校で留年まで確定していたぼくが登校してきた時点で既に気づかれていただろう。
それにしても、姉ちゃんの彼氏の加藤学というあの男は、自分の妹が通う高校を、世界を滅ぼしかねない力を持つ次世代携帯電話の実験場にするとは一体どういうつもりだろう。妹に何が起きるかわからないというのに。心配じゃないんだろうか。それとも加藤麻衣の発案だろうか。
とにかく一番恐ろしいのは「友だち削除」だ。
互いにお互いのIDを知らないうちはそれが行われることはない。けれど、それが破られたとき何が起こるかわからない。
もし自分の意志で自分を非表示にできるなら、ぼくは光学迷彩をまとった透明人間になり、相手が気づかぬうちにIDを盗み見ることができるだろうけれど、RINNEに自分を非表示にする機能はない。RINNEは本来はただの無料通話アプリなのだ。相手をブロックや非表示、友だち削除する機能は必要だけれど、自分を非表示にする機能なんてものはあっても意味がない。
「ご主人様はRINNEにこだわりすぎです」
「どういう意味だ?」
「アリスが携帯電話の機能を拡張できるのはRINNEに限らないということです。透明人間になることは難しいですが、携帯電話のカメラのシャッター音を無音にするアプリを使えば、ご主人様は物音はもちろん、声すら発しなくすることができます」
「それをなんに使うわけ?」
「誰かの家に泥棒とか」
さてと、どうしたものだろう。ぼくはアリスの言葉を無視して考える。
今思いつくのは、ぼくはこれ以上の世界の再構築を本当に必要に迫られない限りしないように努めることだけだった。
ぼくの存在が加藤麻衣をはじめとする8人に邪魔に思われなければ、ぼくが狙われることはない。
逆に今のところ、ぼくが8人を狙う理由もない。
だったら普通の高校生活をぼくは満喫するだけだ。
ぼくはそんな風に考えていた。
それが甘かったと思い知らされるのは小一時間後のことだった。
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