第1話 最強のわがまま集団
「じゃ。行ってくるね!」
ランチを済ませた彼女はジャージに着替え、急ぎ校舎の裏にある花壇に直行した。
「おっと?……これは早く水をあげないと!」
夏の日差しですっかり乾いた庭を見た彼女はいつものように水を撒こうと思い蛇口をひねった。すると突然、ホースが暴れ出した。
「キャ―――?!」
噴き出すシャワーはまるで生き物のようにくるくる回って彼女をびしょ濡れにした。
「ひやーー!なにこれー?」
「うわー!何だ?!」
そして男の人の声がしたが、水しぶきの迫力に彼女は蛇口に近づけなかった。
「すみません!止めたくても、前が」
すると、急に噴水が止んだ。
「ああ、助かった……」
「これは一体?……あーあ……参ったな……」
彼女眼の前には全身びしょ濡れになった制服姿の男子生徒がいた。
「やば?……あの、これどうぞ」
彼女は持っていたミニタオルを彼に手渡した。
「申し訳ないが、これでは足りないな」
「やっぱり……」
前髪から水を滴らせた彼をそういってタオルで顔だけ拭いていた。
「ごめんなさい。いつものように蛇口をひねっただけなんですが」
「そのホースは
「そのようですね……」
言い訳のしようの無い彼女は、どうしうようか彼の前に佇んでいた。
……キーンコーンカーンコーン……
「……昼休みは終わりだ。あの、俺はこれから大会の抽選のために出掛ける所だったんだが。これはどうしたら……」
「それは、その……。ジャージじゃダメですよね?」
「ああ。今日は試合ではないのでな」
「それはそうですよね……」
薄い髪色の長い前髪の隙間から見えた瞳に、彼がサッカー部の主将だとわかった彼女は、さっと彼の腕を取った。
「わかりました!こちらへどうぞ」
「お、おい?」
彼女は彼の腕を掴んだまま、花壇の奥にある用務員の小屋にやってきた。
「おじさーん。入りますよ、居ない?ま、いっか……先輩どうぞ」
そして彼女は勝手にドアを開けて入り、休憩用の座敷の鴨居にかけてあったハンガーを手に取った。
「先輩。この夏服、着て下さい」
「勝手に使っていいのか」
「私のですから」
「君の?」
驚く彼に、水をかけた張本人はケロリとした顔で言い放った。
「先輩は時間が無いんですよね?だからこれに早く着替えて下さい。脱いだ制服はここに置いたままでいいので。私は外にいますから」
そう告げた彼女は小屋の外で待っていると、着替えを終えて彼が小屋から出てきた。彼は靴のつま先をトントンとし、濡れた髪をかき上げた。
「じゃ、これ借りて行くぞ」
「……待って下さい!ズボンのポケットの中、入れ替えました?」
「あ」
「それと、靴紐、ほどけています」
「……よし。これでいいな?」
「まだです!シャツに胸章を付けないと……動くと刺さるから、じっとして下さい」
彼女は彼のシャツの胸元にバッチを付け、手慣れた様子で襟を整えていた。
「もう……いいか?」
身長が175センチの自分と目線が合った彼は、困惑気味な顔をしていたので彼女はドキンとした。
「え、あの?ごめんなさい!つい癖で……あの、行ってらっしゃい」
そして駆け足で門へ向かった彼の広い背を眺めた彼女の胸はまだドキドキしていた。
「……ハックション!うう。誰か噂している」
翌日の昼休み。
お弁当を食べ終えた美咲は机に臥せっていた。
「いや。昨日濡れたせいでしょ」
昨日の五時間目をさぼり、濡れたまま花壇を手入れした同級生に呆れていた親友の瞳は、突然、彼女の肩を叩いた。
「ねえ、ちょっと?あの人が呼んでいるのは美咲じゃない?」
「へ?」
顔を上げると、教室のドアに立つ高身長の男子がこっちに手を振っていた。
「3年のサッカー部の夏川先輩じゃない!知り合いなの?」
「……昨日。ちょっとね」
クールな面差しで人気の夏川主将にクラス女子の注目が集まる中、そんな人気者の彼に、頭から水を掛けて濡らし迷惑を掛けていた彼女は重ーい足取りで彼の元に向かった。
「夏川先輩。昨日はすみませんでした。抽選はできましたか?」
そんな気が重かった美咲に、夏川は不思議そうな顔で美咲に向かった。
「ああ。それはもう良いんだ。ところで君は、真田翼先輩の妹か」
「?よくわかりましたね」
「……やっぱりそうか!この制服に名前が書いてあったし。そうか。やっぱり!」
そういう夏川はぱっと眼を見開いた。この時、ふと妙に教室の同級生の熱い視線を集めていると感じた美咲は、夏川を渡り廊下へ連れ出した。
「夏川先輩。私、今朝、先輩の制服を返そうとクラスに行ったんですけど、先輩は朝連でいなかったので、クラスの人に預けました」
隣を歩く夏川は、ふっと微笑んだ。
「ああ。受け取った。それに洗ってくれてありがとな。で、その事なんだが」
恥ずかしそうに髪をかき上げた夏川は、立ち止り彼女を見つめた。
「真田。頼む……まだこれ、俺に貸してくれ!」
そういって彼は着ているシャツの胸の部分をわしづかみした。
「何でですか?」
「だってな。これを見てくれ!」
興奮した彼はスマホを腰のポケットから取り出し、肩越しに画像を見せてくれた。試合のトーナメント表だった。
「見てくれ、これを!……まだ信じられない!強豪が全て向こう側で激突するから、俺達に優勝が見えて来たんだ」
「その事と兄の制服が何か関係あるんですか?」
思わず首をかしげた美咲の肩を夏川は嬉しそうに叩いた。
「ああ!翼先輩の制服のご利益じゃないかっ思ってさ。俺としては大会が終わるまでこれを着ていたいんだ。わがまま言ってすまないが、どうだろう?」
……あんな兄貴の制服でそこまで嬉しいとは。
「いいですよ。後で返して下されば」
「本当に?やったー!これで勝てる!」
まるでシュートを決めた様に嬉しそうに拳を作った夏川に、美咲は優しい目で見ていた。
「あ?ところで。君の連絡先を聞いていいか?何か合った時のために」
「連絡先……?ハ、ハックション!すびばせん……」
鼻がむずむずした美咲は彼に背を向けてポケットからティッシュを出して鼻をかんだ。
「風邪か?」
「ううう。大丈夫れす。今日はまっすぐ帰りますがら」
「あの。連絡先を」
「美咲!次の授業、音楽室だよー」
自分を呼ぶ親友に、美咲は大きく返事をしてから夏川に向かった。
「今いぐよ。ぐす。あの、先輩。試合がんばっでくだざい……」
少し熱を帯びてきた彼女はぼおっとしながら、音楽室へ向かった。
そして授業終了後、本格的に具合が悪くなってきた美咲は、友人達には部活や彼氏とデートで忙しいと言われてしまい、仕方なくバス停まで続くサルスベリの並木道の木陰を一人で歩いていた。
「おーい!真田!待ってくれ」
「何ですか?」
振り返ると背後から駆けて来たシトラスの香りは夏川だった。
「……やっと追い付いた。実は今日は部活が休みなんだ。それより君は、昨日濡れたせいで風邪引いたんじゃないか?」
「そうかもしれません。朝は平気だったんですけど。体育のプールから調子が悪くて」
「そうか、じゃあ俺が家まで送ろう」
「……辞退します」
「何?」
隣を歩く彼は、眉間に皺を寄せていた。
「夏川先輩にそんな事させたら私、学校中の先輩のファンに殺されますもの。それに一人でも帰れますので、そんなに心配しないでください」
美咲は彼に軽くお辞儀をしてから歩き出した。でも帰る方向が一緒のようで、彼は彼女の後ろを黙って歩いていた。そして赤信号で止まった時、南風に乗ってシトラスの香りがふわとした。
「真田。済まないがやはりカバンを持たせてもらうぞ」
「は?」
そういって夏川は強引に美咲のカバンを奪った。信号が青になった時、背後からはバスが迫っていた。
「ほら。あれに乗るんだろう?行くぞ」
彼にそっと背を押された美咲は、一緒にバスに乗り結局家まで送ってもらった。
「で。君の家は?」
「あそこのコンビニの裏。バイクが置いてある家です」
熱で朦朧としていた美咲は夏川に肩を支えてもらって歩いていた。夏川は細身なのに胸板ががっちりしていて、とても力強かった。
「歩くのはゆっくりでいいからな?お、これは翼先輩のバイクか?」
「そうです。今、いるんじゃないかな……」
彼女は玄関のチャイムを鳴らした。これに応じてドアを開けてくれたのはパピコを加えていた上半身裸の兄貴だった。
「どおした美咲?」
「……お兄ちゃん。学校の先輩が送ってくれたの。私、熱っぽくて調子が悪いから」
「翼先輩、お久しぶりです」
「おお!夏川か?可愛い後輩よ!」
サッカー男子二人の感激の対面を他所に、彼女は家に上がった。
「お兄ちゃん。先輩に冷たい物お願い……」
「おう!上がれ夏川。アイス喰っていけ」
「失礼します」
美咲は夏川を兄に任せて、二階の自室に行った。部屋着に着替えた彼女は、ごろんとベッドに横になった。
……あ、冷房を入れたいけれど、だるくて、つらい……。
頭がくらくらしていた美咲は、暑い部屋のベッドで動けずにそのまま寝てしまった。
「……おい?大丈夫か」
……ん?……お兄ちゃん……
いつの間にか部屋にいたその人物は、美咲のおでこを大きな手をそっと置いていた。
「この部屋暑すぎだ。どこだ、リモコンは?」
ピ!という音と共に、涼しい風が出てきた。美咲は生き返る気分になった。
「氷枕作って来たぞ。頭をあげろ、ほら」
優しい手は彼女の頭を持ちあげ、少し堅い枕にそっと下ろしてくれた。
……ふう。冷たくて気持ちいい……。
「汗で濡れているから服を着替えろよ。今、冷房が利いてくるから」
「めんどい……あとにする」
「ダメだ。身体が冷えているから。このハンガーのTシャツでいいから、後で……」
「うるさいな……もう」
「おい!こら?」
「これ着ればいいの?」
頭がクラクラしていた彼女はバッテン脱ぎをして着替えを済ませ、またベッドに横になり目を瞑った。
「……今、薬が来るからな」
そういって彼はベッドに腰をかけて彼女の長い髪を撫でてくれた。
「うん……少しだけ、このままそばにいて……」
その優しい手に甘えながら、美咲はいつの間にか眠ってしまった。
翌日。
すっかり元気になった彼女は、いつものように登校して昼休みには花壇の水やりをしていた。
「お?元気になったみたいだな」
「夏川先輩?昨日はお世話になりました!」
爽やかに手を上げてやって来た夏川に、今度は彼に水を掛けないように、彼女はホースの水量を弱めた。
「そんな事は良いんだ。俺も先輩に会えたし」
夏川は兄の二歳歳下。それに兄の翼は大学サッカーの得点王だから、彼にとっては憧れの人なんだろうと美咲は思っていた。
「ところで。君は昨日の事、覚えて無いのか」
「昨日……送ってくれた事ですか?」
「いや。何でもない」
そういうとなぜか夏川は顔を赤らめたので美咲は首をかしげていた。
「……ところで、真田。どうして君は一人でこの花壇を手入れしているんだ?」
「私は農園部なんですよ。でも他の部員は部活とか彼氏とかバイトで忙しいって言って全然来ないんです。でも誰かが水をあげないと、お花が可哀想だから」
「農園部?そういう部が存在するのか?」
「ええ。目の前に」
「……他にも君に色々聞きたい事があるんだ。あのな、今スマホあるか?ナンバーを交換して欲しいんだ」
「は、はい。どうぞ」
すると、キーンコーンカーンコーンと昼休みの終わりのチャイムが鳴った。
「そんな時間か。ほら、戻るぞ?真田!」
「え?あ、はい!」
長身の二人は自然と玄関まで一緒に足早に歩いていた。
「農園部か。君はそんなに背があるから、てっきり体育会系だと思ったよ」
「見かけ倒しですみません。私、スポーツは見るのが専門です。でも夏川先輩も背が高いですね……兄貴よりも高そうですよ」
「いいや!そんな事ないさ。俺なんてまだまだだよ。じゃあ、連絡待ってるから!」
そういって夏川は美咲の頭をポンと叩くと、階段を駆け上がって行った。
五時間目の物理の授業。彼女は夏川への連絡について考えていた。
……先輩が仲良くしたいのは私じゃなくて兄貴だから。これは兄貴から連絡欲しいって意味だよね。たぶん。
そんな事を考えていた帰り道。一人で校庭を歩いていた彼女の歩く先に白黒の球がコロコロと転がっていた。
「おーい!」
遠くからサッカーの部の人が彼女に手を振っていた。
「……こっちまで蹴ってくれって事?えい……たあ!」
するとボールと一緒に美咲の靴もピョーンと飛んで行った。
そんな彼女は片足でピョンピョンと飛んで歩くのは5歩で止めて、靴を取りに歩いた。すると脇にボールを挟め、片方の手にローファーを下げたサッカー部員がこちらに駆けて来た。
「……せっかく蹴ってくれたのに。すみま、なんだ美咲か」
幼馴染みで高校一年の内田尚人は、白い歯を見せた。
「悪かったわね?練習の邪魔をして」
「そんな事より、お前、靴下真っ黒だぞ」
どんなに日に当たっても色白の彼は、彼女の足元に靴をそっと置いた。
「脱ぐからいいもん。おっと?」
「バカ!ほら、肩につかまれよ」
「……真田か?そこで何しているんだ?」
逆光で分からなかったけど、夏川がここに向かっているのが見えた。
「別に何も?あの!失礼しました……」
美咲は逃げるように、この場を去った。
その夜。夏川から『体調はどうだ?』というメッセージに、何て返そうかベッドの上で迷っていた彼女は、部屋のノック音を聞いた。
「は?はい!」
「何だ、大きな声出して。おい、夏川からメールが来たけど。お前、ちゃんと連絡しろよ。あいつにも看病してもらったんだから」
そういうと兄貴はドアをバタンと閉めた。
……看病って?あの時熱でうなされて、良く覚えていないんだけど、お世話になっていたのか、私。それなら連絡しないとね。
早速お礼のメッセージを送ると、返事がきた。
「は?『内田と何してた?』って?ええと『靴を拾ってもらっただけです』、と」
すぐ返事が来た。
「今度は……『どうして小屋に制服があったの』って?ええと、『用務員さんが同窓会で着るから貸しただけです』、と」
すぐ返事が来た。
そこには『電話していい?』とあった。
夏川と電話でおしゃべりした翌日の放課後。彼女は約束通りサッカー部の部室に寄った。
「あ。来た。これなんだ」
練習用のユニフォームを着た夏川は、衣装ケースを開けた。
「翼先輩の翌年に今の物に変えたのだが、それ以降チームが低迷しているからさ。今回は昔にあやかってこれを復活させようと思うんだ」
そこには五年前、兄が在籍していた時に大会で優勝した横断幕『駆けろ!!』が畳んで置いてあった。
「汚れていますね……」
「これの洗濯を三年の女子マネジャーに頼んだんだけど、他にやる事があって無理と言われた。大変かもしれないけど、君はあの翼先輩の妹だし。必ずご利益があると思うだよな……」
そういって夏川は、腰に手を置き小首をかしげた。彼の考えている事はご利益ばかりだが、勝つためには何でもするという彼の姿勢に好印象を持っていた。
「いいですよ。私、兄貴にも協力するように言われたので、やってみます。よいしょっと、重?」
「あ。それはこの後、俺が家まで持っていくよ」
「そうですか?何時頃ですか?」
「……そうだな。ここを出るのは七時になるけど。遅いと迷惑か?」
「いいえ。ではお待ちしています」
でもピンポーンとなったのは、七時だった。
「練習が早く終わったんだ。これ、横断幕だけど、どこに置く?」
「この玄関で良いですよ。うわ。手が汚れちゃいましたね?どうぞ上がって洗って行って下さい」
美咲は夏川を洗面所に連れて行った。すると部屋から兄がぬっと顔を出した。
「先輩、おじゃましています」
「お。夏川。そうだ?お前飯食っていけ!」
「は?」
「いいから。美咲、早く用意しろ」
手を洗った夏川はおどおどしながらテーブルに着いた。
「……これは。何が起きたんだ」
「すみません。兄貴が急に食べないって言い出して」
「おう。夏川、喰え!遠慮するな」
「いただきます。うま?!って。でも、これ、全部ですか……?」
テーブル一面の圧巻の餃子を見て、夏川の箸が止まった。
「兄貴が食べたいっていうからたくさん作ったのに。帰りに食べ放題のラーメンを食べて来たっていうんです」
「食べ放題のラーメン?」
「ハハハ。これくらい食べられないと
「お兄ちゃんと夏川先輩を一緒にしないで!もう、無理しないで下さいね」
「いや。俺食べます」
……うわあ。これは絶対無理しているよ?
美咲は慌てて、スマホを取り出していた。そんな中、お気楽兄貴は後輩に話しかけていた。
「ところで。今年のチームはなかなか強いって聞いているけど、どうなんだ」
風呂上がりの翼はコーラを片手に夏川に訊ねた。
「はい。新チームになってまだ一度も負けて無いです」
「そうか。怪我人もいないそうだし去年から試合にでている奴が多いから期待できそうだな」
「はい。3年も最後の年で練習にも気合いが入っています。あ、ご飯お代わりいいかな」
夏川の食べるペースの早さに驚きつつも美咲はご飯を渡した。
「はい、どうぞ」
するとピンポーンとチャイムが鳴った。
「……良かった、間に合った」
すると玄関から声が聞こえてきた。
「美咲……この匂い。まさか、また餃子?」
サッカー部3年、身長2メートルの小野ロミオは肩を落とした。
「お、先客か、美咲?」
同じく3年で身長が190センチの前川陽司は、家に上がった。美咲はそんな二人の広い背をぐっと押した。
「ほら、やっぱり餃子だ!あ?どうして透がここにいるの?」
ロミオは翼の向いの席に座っていた夏川を指した。
「……お前らこそ。今日の練習はどうした?」
「すまんな、透?課題が終わらなくて居残りさせられてよ。なんか練習に行く気がしなくなっちまって。それよりも、透がここに居る方がおかしいだろう」
そういって陽司はいつもの席にドカと座った。
「俺は真田先輩の妹さんに横断幕を届けに来ただけだが」
「で、ここで手料理を食べているの?さすがキャプテンは違うな……」
そういってロミオも席に着いた。
「ね、ロミオ。ロミオのは水餃子にしたよ。スープは鳥ガラでとった中華スープでネギをたっぷり入れたから」
「もっとゴマを入れて」
「はいはい。パラパラっと。これでどう?……そして、陽司さんは辛いのが好きだから、特製のラー油でどうぞ!」
「この前のキムチも出してくれ。よし……食うぞ!」
いただきます!と二人が勢いよく食べ始めた。この様子を夏川は驚き顔で見ていた。
「……そうか。夏川は知らなかったんだな。こいつらは俺が幼稚園時代からのサッカー仲間なんだ」
「透は高等部から入学したから無理も無いよ。俺達と翼は、2歳違いだし15年の付き合いになるのかな。ね。美咲ご飯まだある?」
「はい。ロミオ、これでいい?」
やけに親しいロミオと陽司の様子に夏川の箸は止まったままだった。
「もしかして。お前らここによく食べにくるのか」
「ああ。今日のように翼のわがままで美咲の料理が残って召集が掛かった時はな。なあ美咲?このキムチにキュウリつけて喰いたいんだけど」
「待ってね陽司さん。ああ。豆腐じゃだめ?」
「……全然違うけど、いいかそれで」
助っ人が増えたおかげで、餃子がみるみる減ってきた。夏川に無理させたくなかった美咲はこれにホッとしていた。
……ピンポーン。
「誰だろう。見てくるね」
悪コンビ以外呼んでいなかった美咲は玄関のドアを開けた。
「僕は陽司さんに呼ばれたんだけど、何この靴の数?」
「……まあ、上がってよ」
不機嫌な幼馴染みはいつものスリッパを履き、リビングへ進んだ。
「お?尚人か。なんだ今頃のこのこ来て」
「……陽司さん。アンタが俺を呼んだんだろう?しかし透さんがいるのは驚きだな」
「尚人もメンバーなのか?」
そんな不貞腐れている尚人に翼は、椅子に座れと急かした。
「良いから黙って尚人も食え!せっかく美咲が作ったんだから。ってあれ?餃子が」
……無い。
みんなの視線は箸を持っていた夏川に刺さった。
「……おい美咲。夏川は何個喰った?」
兄の真顔に美咲は目を瞬きしてから応えた。
「60個かな。みんなが来る前から食べていたから……」
「すまない!普通に美味かったから、つい」
なんか申し訳なさそうにしている夏川に美咲の方こそ申し訳なくなってしまった。
「いいんです!大丈夫!尚人の分は、蟹チャーハン作るから、待っててね!」
「蟹?僕も食べたい!陽司も食べるだろう?透は?」
「ああ。あるなら食べる」
「さて、と……俺も参戦するか。可愛い妹の為に!」
「あーあ……翼のその図太い神経……。俺に分けてくんねえかな……」
肘をついて呟く陽司に、上着を渡した尚人もキッチンにやってきて美咲の手伝いをした。
そしてリビングから聞こえる楽しげな声をBGMにして、彼女はあっという間に蟹チャーハンを完成させた。
「お待たせしました!」
美咲はテーブルに兄貴、夏川、ロミオ、陽司の順にチャーハンを置き、そして山盛りを尚人に出した。サッカー小僧達はいただきますと同時にスプーンを握った。
「それにしても夏川。お前は主将としては少し線が細いと思っていたが、俺の食欲に付いてくるとはな。俺はお前を認めてやろう」
「ありがとうございます」
「何バカ言ってんの翼?透の事、キャンセル料理を食べてくれる便利な奴だと思っただけでしょ」
「……ロミオ。俺もそう思った。翼が人を褒めるなんてありえないからな」
「ね、美咲!これだけしかないの?しかも僕だけ蟹が少ない!」
「はいはい。待ってね尚人……。すみません。夏川先輩。みんなわがままばかり言って……」
美咲はカニかまぼこを尚人のチャーハンの上にほぐして掛けながら彼に謝っていた。彼はそれを見てクスとほほ笑んだ。
「いや。そんなことは無い。翼先輩?俺で良ければいつでも呼んでください」
「夏川……。いや、透でいいよな!今日からお前もチーム翼のメンバーだ。今後も美咲を助けてやってくれ。あ、もうこんな時間か?高校生諸君、喰ったら帰っていいぞー帰れ帰れ!」
こうして夕食は済み、客人達は靴を履いた。
「夏川先輩。今夜は呼び止めてすみませんでした。お家の人は心配してないですか?」
「メールしておいたから問題ない。じゃ、これで」
広い背のサッカー小僧達に手を振った美咲は、そっと夏の夜空を仰いだ。そこには星が輝いて夏の大三角形を作っていた。
つづく
<2020・12・10>
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