第12章 厨川 2


 国府・清原勢本陣。


 武則に所用があり、義家は彼の陣を訪ねてみるが、何処を探しても姿が見えない。

 武則だけではない。清原方の武将が、残らず姿が見えない。

 そういえば、一昨日あたりから清原方の幕営が嫌に静まり返っていることを不審に思ってはいた。偶々残っていた清原兵を呼び止めて尋ねてみる。

「皆厨川に向かっております」

「厨川? 何も聞いておらんぞ」

 何か和睦に絡む催しでもあるのだろうか。それにしても将兵の大部分が出払うというのも妙な話である。戦が終わったから出羽に帰したのかもしれぬが。

「そりゃあ、最後の総攻撃になるでしょうからな。ここぞとばかりに皆張り切って出陣していきましたよ」

「……どういうことじゃ?」

「何でも策略を用いて敵を油断させて、一気に片を付けると御館様が仰っておられました。何も聞いておられませなんだか?」

 義家の顔から、みるみる血の気が引いていった。




 ばたばたと足音を立てながらこちらに近づいてくる者がいる。

 ああ、とうとう首を討たれるか。と元親は覚悟を決めた。

 清原が約定を破り、厨川に攻め込んできたという話は昨夜双子達から聞いていた。

 負傷兵として柵に残されている俘虜は自分一人のみ。謂わば最後の人質である。見せしめに矢倉から無様に吊るされないことだけを祈ろう。

 やがて姿を現したのは頭に包帯を巻いた重任であった。手に元親の大太刀を携えている。

「貴公も生きておられたか!」

 内心嬉しさを隠しきれずに声を上げる元親に、重任もニヤリと笑う。

「我が愛刀が身代わりになってくれなければ顔面がアケビのようになっておったわ。――そんなことより、すぐこの砦を出よ。怪我が癒えておらずとももう面倒見きれぬ」

 ポイと放り投げる自身の太刀を受け止め、重任を見上げると、既に彼の顔から笑顔は消え、非常に難しい表情を浮かべ元親に告げた。

「奴ら火攻めを始めた。この砦もそう簡単に火は着かぬが三度目の正直じゃ。今に本気で燃やしに掛かるに決まっておる。逃げられるうちに逃げ出すぞ。無理してでもついてまいれ!」




 敵が火攻めに本腰を入れ始めたと見定めた貞任と一加が本陣へ戻ると、鎧甲冑に身を包んだ貞任の妻、東和と、元服を間もなく迎える年頃の千世童子が出迎えた。

「……まずいな。矢の雨が火の雨に変わりよった。この柵も例に漏れず防火対策に抜かりはないが、兵の士気への影響は大きいぞ。無数の火の玉が飛んでくるようなものじゃからのう」

 ここまで余裕のない貞任の様子を見るのは磐井川撤退戦以来であろうか。

「柵外の守備隊は敢闘していたが、火矢の嵐に気が削がれた隙を突かれた。それでなくても敵が多すぎる。遠野勢、物部勢共に全滅、物部維正殿は討死され、重任には残った将兵をまとめて柵内の応援に廻ってもらった。胆沢、亘理もせいぜい五六百、今経清が指揮を執っておる。幾ら火矢を食らったところで、足元で焚き付けでもされない限りこの柵が燃えることはないだろうが、その前に外の手足を捥がれるな」

 深い深い溜息をついて頭を抱えた。決して将兵の前では見せない、家族の前だから見せる姿であろう。最早終わりの時は近い。

「何とか柵の女子供だけでも逃がせぬものでしょうか?」

 東和が悩まし気に尋ねる。

「今は敵の餌食になりに行くようなものじゃ。奴ら手ぐすね引いて待っておるぞ。特に不穏なのは秀武の姿が見えぬことじゃ。今見えぬという事は、それこそ今攻め寄せている連中の露払いが済んだ後に踏み込んでくる気なのだろう。女子供にさえ喜んで刃を向ける奴らじゃ。今に血みどろの地獄となろうぞ」

 そこへ、息を荒げながら髭一が駆け込んで来た。たった今まで敵に立ち向かっていたのであろう。柵外の熾烈な死闘を物語るような返り血の全身模様であった。

「敵が新たな動きを見せましたぞ!」




 ――将軍、士卒に命じて曰く、「各村落に入りて、屋舎を壊ち運び、之を城の隍に塡めよ。又人毎に萱草を刈り、之を河岸に積め」と。是に於て壊ち運び刈り積むこと、須臾にして山の如し。


 柵外の守備が手薄になったと判断した清原勢は、近隣の集落の住居を片端から徴発・解体し、また燃えやすそうな草束を搔き集め、砦からの降りかかる矢に多数の犠牲を払いながら城壁の周囲に積み上げ始めていた。

「どうせこの砦も鉄板が仕込んであるのだろう。なかなか火が着かんはずだわ」

 フン、と鼻を鳴らす武則であったが、やがてにんまりとほくそ笑む。

「流石に対策は考えておるわ。いくら砦そのものに火が着かぬとも、砦の周りを薪で囲って火を点ければいずれ遠からず燃え移る。炎に追い立てられ慌てふためく砦内の連中は、一か所口の開いているところから揃って逃げ出そうとするであろう。それが我らの開けている大口と知らずにのう!」




「あいつら本当に焚き付けを始めるつもりじゃ!」

 顔色を変えた貞任が立ち上がって叫ぶ。

「最早猶予はない。我らが柵外で引き付けておくうちに、砦内に残る者達を全て脱出させよ!」

 身を翻す貞任や髭一の身体から、猛烈な血の匂いが立ち上った。

 再び嘔吐を堪え切れずに一加が屈みこんで激しくえずく。

「どうしたのじゃ、具合でも悪いのか?」

 驚いて貞任が妹の侍従に尋ねる。

「判りませぬ、先程から姫様の様子がどうもおかしいようで」

 髭一も心配そうに女主の顔を覗き込む。

 はっと気づいた東和が近寄ると、一加の前に屈みこんでその顔を鋭く睨み据えた。

「――義家殿か?」

 一加の両目から、ぽろぽろと涙が零れた。


 パァアンっと、東和が一加の頬を平手で打った。


「この非常時に敵の武将と通じ、あまつさえその子供を腹に宿すとは何事か! 恥を知るがよいっ!」


 凄まじい剣幕で怒鳴りつける東和の怒気に、その場の全員が言葉を失った。

 打たれた頬を庇うでもなく、項垂れたまま嗚咽を漏らす一加を前に、わなわなと肩を震わせる東和が更に怒りを爆発させる。

「めそめそ泣くでない! そなたはもう人の親ぞ、そんな情けないざまで腹の子を産んで守れるか!」

 一加が顔を上げ、目を見開いて東和を見つめる。

 厳しい顔で一加を睨みつけていた東和が、やがて貞任に顔を向ける。

「主様、この愚義妹、妾がこの身命に代えてもここから逃がしまする。あなたはどうか、あなたのお務めを果たしてくださいませ」

 妻の言葉に、貞任は頷き、一加に語りかけた。

「一加よ。済んでしまったことは今更責めぬ……。父上のよく言っていた言葉を覚えておるか。我ら一族がどういう存在であるか、ということを。そなたもまた、縁を託されたのじゃ。安倍と源氏、二つの縁をな。そなたはこれから、その身体に託された縁を陸奥の土として育み、やがてその縁を次に託さねばならぬ。……その役目を、安倍の一人として決して忘れてはならぬぞ!」



 

 頼義の陣に踏み込んだ義家は、中にいた父に掴みかからんばかりの勢いで激しく詰め寄った。

「俺は貴方を見損なったぞ! 源氏の棟梁たる貴方が、戦の約定を違えるとは!」

 これまで誰も目にしたことがないほどの義家の怒りように、陣内にいた幕僚達が呆気にとられ見つめていた。

「これまで長きに亘り陸奥の民を苦しめていた戦が、我ら国府と奥六郡との間にあった蟠りが、漸く和平の元に終わろうというものを、何故乱すのか!」

「おいおい、予が約定を破ったのではないぞ。清原が破ったのじゃろう。少し頭を冷やせ、源太よ」

 頼義は顔色一つ変えずに口を開いた。

「それに、物見の知らせによると、先に矢を射かけたのは安倍の方からというではないか。折角取り交わした約定、我らの預からぬところで反故にされたのじゃ。残念なことよ」

「それも貴方の策略か! 一体何のためにこんなことをするのか!」

「御曹司、冷静になられよ! 兵が動揺いたしまするぞ!」

 幕僚達に押さえつけられ、なおも義家が唸る。

「教えてくれ、なぜ貴方はこうまでして陸奥に拘るのか?」

 やがて静かに頼義が答えた。

「全ては我ら源氏の将来の為。……そして源太よ、お前の将来の為でもあるのじゃ」

「なんだと?」

 ニヤニヤと残酷な笑いを浮かべながら息子の顔を見つめる。

「当初から清原は光頼と武則の二つの派閥に割れておった。予が上手く武則を煽て上げて懐柔し、光頼一派を潰してくれたが、奴らは猶も身内の結束が覚束ないようじゃ。仲村の掠奪では、同じ軍勢の兵が狼藉を止めに入り、互いを糾弾し合う始末。端から戦を眺めて見ても各陣営同士で連携が取れぬほどに、未だに旧派閥の対立が消えておらぬ。これは楔を打てば打つほどに奴らの結束は解けていくぞ」

 くつくつと可笑しそうに頼義は嗤う。

「今頃奴ら先を争って罠だらけの厨川柵で身内同士鎬を削り合い、兵力を削り合いしているだろうて。今に清原が勝利するであろう。各々で金山やら唐土の交易やら所領やら、片端から利権の分配、奪い合い、戦功争いを始めるであろう。戦う前からいがみ合うている連中じゃ。多かれ少なかれ必ず後々に禍根を残すぞ。十年先、二十年先――百年先までな!」

 義家の表情に、慄きの色が広がった。一体、自分の父親は何を目論んでいるのか。

「そして連中は安倍の女らを手に入れるであろう。子を産ませるであろうし、連れ子がいれば清原の身内に加えるであろう。その子らは決して忘れぬぞ、己に流れる血を、裏切られ滅ぼされた恨みを。やがてそれらに再び火が着くのじゃ。火が火を呼び炎となりて、再び大きな戦となるのじゃ。丁度、そなたが予の後を継ぎ、源氏の頭となっている頃だろうて」

 頼義がじっと義家の蒼白の顔を見つめる。

「何故予が陸奥に拘ると聞くか。以前宗任が上手くまとめて言っていたな。左様、東国制覇の足掛かりでもあり、駿馬、鉄、兵糧、そして金。……だがのう、いくらそれらが尽きぬほどあったところで、使い道がなければ意味がないのじゃ」

 にっこりと義家に微笑みかける。

「倅よ、これは父からの親心じゃ。一生困らぬほどの戦の火種を用意してやった。武家は戦い続けてこそ武家じゃ。我らが奥羽を手に入れた後は、この俘囚の大地を戦場として駆け回り、思う存分辣腕を振るい、思うがままに戦功を挙げるがよい。これにて源氏は永劫安泰じゃて!」

 呵々大笑する父親を前に、ぎりりと唇を噛み締め拳を握り締める。

「……俺は、鳥海柵で垣間見せた貴方の落涙の意味を履き違えていたようじゃ!」

 屹と頼義を睨みつけ言い放った。

「父上、今に我が子孫らは必ずこの所業の因果に見舞われることになろうぞ、いずれ源氏一門にも同じことがきっと降りかかるぞ! 我らの子孫達もまた、親兄弟、親族同士で、血で血を拭う骨肉の争いに飲み込まれるのじゃ! ――だが、そんなことは、この俺が許さぬ!」

 幕僚達を振り払い、義家は陣を飛び出していった。


 ややあって、物見の者が陣に戻り、清原勢が火攻めに成功したと報告した。

「よしよし。そろそろ我らも仕事に戻るとするかのう。……皆よ、出陣の用意を致せ!」


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