第20話 オキノさん

 外は夕暮れ。梅雨明け間近の空は薄ら曇りのぼんやりとしたピンク色やった。


 ホースを抱えて走るミクさんを追いかけて、私も一緒に川へと向かった。


 近所にある細い川。いつもはせせらぎが穏やかな可愛らしい川なんやけど、ここ数日の雨降りの影響でか水かさも流れもいつもより増していた。そして土手は季節が季節やもん、草が深々と茂って立ち入るのもなかなか大変そう。


 橋から覗くとその草ぼうぼうの川べりから懸命に雨傘の先端を川に向けよる沖野さんの姿があった。


 それはやっぱり、あの『お相手さん』やった、沖野さんやった。


 必死で伸ばすその傘が、あと少しで届くかどうか、という所に黒く濡れてよれよれになったダンボール箱が見える。大きなゴミかなにかに引っかかって流れずにあるけど、いつ流れてしまうかわからん、という状況。


「あの箱の中に、子猫がおるん?」


 私が訊ねるとミクさんは小さく頷いて「これ……どう使おう」とホースを見せた。


 どう、って……。


「とにかく沖野さんに渡してみるわ」


 ミクさんはそう言うと土手の方へとまわって深い草をかき分けて進んで行く。沖野さんのもとへ。


「ああ、ミクちゃん来たらあかん。危ないで」


 沖野さんが言う。それに「大丈夫よ、それよりこれ、使える?」と答えながらホースを見せるミクさん。


 そんな二人を見て、こんな状況の中ではありますが、私はもう気になって気になって、仕方がなかった。


 沖野さんが『ミクちゃん』と呼んでいること、それからミクさんが十個も年上のはずの沖野さんにタメ口なこと。


 なにより二人の雰囲気が、絶対に『ただの知り合い』程度のそれを超えよる、ということ。


 加えてここ最近の様子がおかしいミクさんが甦る。


 う、うそぉ、ミクさん。

 まさか、まさかのまさか?


 そうこうするうちにホースを上手く使って二人はなんとか子猫の入ったダンボールを川べりまで引き寄せていた。


 沖野さんはミャアミャアと元気に鳴く子猫を抱き上げると、その手で温めるようにして胸に抱いた。


「はあ、よかった。ほんまによかった。ありがとう。ミクちゃんのおかげや」


 にっこり笑ってそう言うと、あ……!


 見続けてええもんか迷って橋の上でひとりうろうろとしてしまった。沖野さんが子猫を抱いてない方の手でミクさんの手を取って草むらを抜け始めたから。


 どうしよう、こっちに来てまう。私帰った方がいい? でも断りなしに帰る、いうんもミクさんに悪い、いうか、でも、えっと……。


 勢いでついてきてしまったことを後悔するうちに、子猫を抱いた沖野さんと手を繋いだままのミクさんが橋まで来てしまった。


「あ……えと、よかった、ですね」


 一体『なに』がよかったいうんか、と内心で苦笑する。


「あ……と、ごめん真知ちゃん。言わなあかんとはずっと思いよったんやけどね、なんか、その、……言い出せんくて」


 ミクさんはひどく照れた様子で俯き加減に頬を赤くしてそう話した。隣の沖野さんもなんとも言えん様子で苦笑い。そりゃそうよ。


「なんちいうか、世間は狭い、な。ほんまに」


 そう言いながら繋ぎっぱなしやった手に今更気づいたらしく慌てて離してこちらも顔を真っ赤にしていた。



 ミクさんも沖野さんも、もちろんお互いが私と知り合いやなんて知らずに出会ったそうで。


 後になって沖野さんが私の前のお相手さんやった、ということを知ったミクさん。私が縁談で散々な目に遭いよるんを全部知りよるから、なかなかどうして自分がその『お相手さん』とそういう仲になったなどとと言い出せんかったんやそう。


 もう、変な気つかわんくていいのに。


「ほんまにありがとう。お騒がせしました」と頭を下げる二人は仲良く寄り添いながら子猫を連れてピンク色の空の下、仲睦まじく帰っていった。


 よかった。よかったけど……いやいや。よかったやん。ほかには何もないよ。


 助かったきな粉色の可愛らしいその子猫は、ミクさんの働く園で世話をすることに決まったらしい。どういうわけか園児たちに「オキノさん」と名付けられて可愛がられよるんやとか。






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