22日目『ナチュラルボーンキラー』お題:ミステリー要素

『ナチュラルボーンキラー』



 窓の外もすっかり暗くなったころ、ベテラン刑事の秋山は古いファイルを机の上に広げた。二十年前のとある事件の記録である。警察官になり現場で叩き上げられること三十年近く。息子は一人立ちして妻と二人きりの家はどうも居心地が悪く、仕事のない日は署に居残りをして、記録を読み漁るのが最近の日課になっていた。

 いま見ているのは、二十年前に起こった女性猟師の殺人事件。山小屋でひとりの女性猟師が背後からうなじを撃たれて即死。容疑者はこれまた女性猟師だったが、動機と証拠不十分で不起訴となった。女性猟師という当時でも珍しい人物像、首を背後から撃たれるというショッキングな内容、そして、まるでミステリー小説のようなとある要素が、この事件をセンセーショナルなものにしていた。一時は毎日のように報道もされていたが今ではすっかり忘れられている。

 メディアがこの事件に名付けて曰く。

『女性猟師 消えた銃弾事件』

 そう。

 この事件は、被害者が撃たれているというのに、銃弾が見つからなかったのだ。

「あ、先輩。今日は何を見てるんですか」

「野木か。そういえば今日は夜勤だったな。ほれ、見てみろ」

 秋山は部下で新人の野木に、ファイルを渡した。

 自身が担当した事件だった。犯人を見つけられなかった悔しさは今でも鮮明で、ファイルの内容などそらで言える。

「女性猟師殺害事件……」

 秋山はこれも新人教育の一環だと、事件の内容をなるべく詳細に伝え始めた。


 二十年前の冬、N県の山奥にある山小屋で殺人事件があった。

 被害者の名前は熊井美千代二十七歳。非常に珍しい女性猟師だった。

 熊井美千代はある朝、頸部を背後から撃たれて死んでいるのが見つかった。首の後ろ半分がえぐれていて、頸椎も粉々になっていた。骨のかけらが、口の中にまで散乱していたそうだ。神経をやられてまず即死だっただろう。

 傷口の状態から見て凶器は銃。猟師の山小屋だ。使えそうな猟銃はいくらでもある。

 だが問題は、銃創が貫通していないこと。銃弾は頸椎で止まっているはずなんだ。

 にもかかわらず、銃弾は見つからなかった。これが、この殺人事件をセンセーショナルにした一因だな。

 ほかにも、一般的な猟銃の銃弾で撃たれたとは思えなかった。というのも、散弾銃であればより広範囲に外傷がみられるはずだし、狩によく使われるスラッグショットならどこかに弾が残るはずだからな。

 そういうわけで、警察は凶器を猟銃だと断定しながらも、表立って立件することができなかったんだ。銃弾の特定が進まなかったからな。

 だが容疑者はいた。

 容疑者の名前は鹿野奈央二十七歳。こっちも女性猟師で、熊井美千代の同級生で、いわゆる同性愛パートナーだった。ついでにいうといいところのお嬢さんでな、熊井美千代といっしょに土地ころがしや資産運用で稼ぎつつ、山ひとつ買い取って、山小屋を建てて、道楽のために狩りをしていた。山小屋には工房もあって、動物の骨で小物細工もしていた。これがそこそこ評判よかったんだとよ。

 話を戻そう。

 事件当時、被害者の熊井美千代と容疑者の鹿野奈央は山小屋にふたりきりだった。第一発見者も鹿野奈央だった。周囲には雪が降り積もっていて、足跡も発見されなかった。外部犯の可能性はなし。さらに山小屋の猟銃はすべて保管スペースに保管されており、自殺の可能性もなし。だから、犯人はまず間違いなく鹿野奈央だった。

 凶器の断定ができなかった捜査班は、鹿野奈央に自白させようとあれこれ迫った。だが鹿野奈央は、熊井美千代への愛をとうとうと語るだけで、殺意の片りんなんてまったく見せなかった。

 俺は作戦を変えて、鹿野奈央が熊井美千代を殺すとするなら、動機は何がありえるだろうか、ということを考え始めた。女性が愛する女性を殺したとなれば、必ずどこかにその亀裂は存在するはずだ。

 だがな、同性愛者の気持ちは俺にはわからんからな。男の人殺しの気持ちだってわからないんだから、なおさらだ。

 結局、動機の面からも捜査は進まなかった。

 あがきとして、何とか外堀から埋めようと、徹底的に被害者と加害者の関係性やそれぞれのパーソナリティ、事件の状況を洗いなおした。

 薬莢は購入した数と廃棄する数でつじつまが合ってたし、骨細工の工房にも凶器は見つからなかった。

 熊井美千代は喧嘩っ早い性格でかなり荒れていて、ナチュラルボーンキラーを自称していたそうだ。その熱気を猟に向けていたんだな。でもこれじゃあ熊井のほうが犯人にふさわしいじゃないか。それに、熊井の銃の扱いはきっちりしていて、違反にはかすったことがない。肝心なところでは真面目だったんだな。

 鹿野奈央も銃の扱いはきっちしりしたな。

 それに、実際に取り調べにあたった俺が言うのもなんだが、鹿野奈央は恋に恋する女性、といった感じで、どうも恋人である熊井美千代を殺すような人間には思えなかった。実は鹿野奈央の身体検査の際、彼女の全身に痣が見受けられたんだが、熊井美千代とのSMプレイでついたものだと譲らなかったんだよ。愛の証だってな。暴行に耐えかねて殺人に及んだんじゃないか、とも考えたんだが、あれだ、いわゆるDV男に依存する恋人女性のメンタリティとほとんど変わらなくてな。美千代は自分がいないと何もできない、自分だけが美千代の暴力を受ける資格がある、だからこれは愛以外の何物でもない、暴力をふるう美千代は美しくて大好きだった、でも熊や鹿を撃つ時の美千代はもっと美しかった、そんなことばっかり言うもんだから、結局取り調べをしている俺たちのほうが根負けしたんだよ。これじゃあ動機もへったくれもないってな。

 そういうわけでこの事件は、周囲の状況から容疑者も凶器もほとんど特定できているはずなのに、あと一歩で踏み込めない、という形に終わったんだ。

 迷宮入りだよ。


「なるほど……確かに意味わかんないっすね……」

 新人の野木は頭をかきながら、ファイルを最初から見直した。

「まぁ最近は女性同士の恋愛とかそういうのを扱ったフィクションも増えてますし、愛しているのに殺した動機は何か、ってやつの参考になるんじゃないっすか?」

「どうだろうな。フィクションは結局フィクションだからな。なんの動機もなしに突発的に他人を殺してしまうこともあり得るのが現実の人間だ」

「それはそうっすけど。それをはっきりさせるためには凶器が出てこないと何にもなんないっすね」

「そこなんだよな。凶器は、銃弾はどこに行ったのか……」

 秋山はいまでもたまにこの謎を考える。だが、事件が起こって二十年たった今でも、まったくいい考えは思い浮かばない。参考にしようと推理小説の類に手を伸ばしたこともあったが、ちょうどいいトリックには巡り合えなかった。

「警察官の端くれの自分がこんなこと言うのもアレなんすけど――」

 と、野木は言いにくそうに口を開いた。

「正直、この鹿野って人が犯人だと証明されなくてよかったんじゃないっすか?」

「どういうことだ?」

 秋山の言葉が鋭くなった。本当に、警察官が言うことじゃない。犯人は間違いなく鹿野奈央なのだ。犯人逮捕を望まないだなどと。

「えっと、だってあれっすよ。もし猟師が猟師を殺したってなってたら、猟師の立場はますます悪くなってたと思うんすよ。そうなったら熊も今頃暴れ放題だったはずですし。俺たちも、拳銃取り上げられてたかもしれないんすよ?」

「それは一理あるが……だがお前はリアリストすぎる」

 確かに、真実を明るみにすることが必ずしも世の中にいい影響だけを与えるとは限らない。

 鹿野奈央が殺人犯だと証明され実刑を食らっていれば、ここぞとばかりに事件とは直接関係のないはずの猟師という存在が、メディアから総叩きにあっていただろう。猟銃なんかがあるから殺人事件が起こったのだ、と。

 だがそんなことを言っていたら、警察の犯人逮捕という仕事は一向に進まなくなってしまう。

 一種のジレンマだ。

「リアリストにならざるを得ないほど、俺達には余裕がないんすよ」

「そうは言ってもな」

 秋山は躊躇った。何をどう考えて野木に伝えればいいのかわからなかった。

「警察の本分は犯罪の検挙だ。まわりまわって犯人逮捕が社会に悪影響を与えるからと言って、犯人を見逃していいということにはならない」

「それもそうなんすけどね」

「リアリストは別にいいが、警察の本分と逆の方向を見てしまっては困るな」

「やっぱそうっすよね。でも、自分の同期にも割と似たようなリアリストって結構いるんすよ」

「そうなのか?」

「例えば、何かあったときにピストルっていう武力を持っていたほうが役に立つから、って感じで警察官になったやつとか、警察の格好してれば日常で困ることはないだろ、ってやつとか。あ、二人とも仕事は真面目にやってますよ?」

「当たり前だ。まったく」

「それに、普通のリアリストもいるんすよ。警察官なら倒産ってことはないから、まじめにやっていれば生きていくのには困らないだろう、って」

「まぁ、ちゃんと仕事をするなら俺からは文句も言えないが……」

 自分が警察になった動機は、もっとこう、世の平和だとか社会正義だとか、そういうのに燃えていたような気がする。歳をとってすれてしまった自分にはもうそこまでの情熱は残っていないが、若者にはもうちょっと青臭い夢を持っていてほしいというのが、秋山の素直な感想だった。

「リアリストばっかりだな。それだけリアリストがいたら、普通のリアリストの中に変なリアリストも混ざってくるか……」

「木を隠すなら森ってやつですね」

「木を隠すなら森、か……。んんん?」

 その時、秋山にひらめくものがあった。十数年ぶりに、若い声が出てきた。

「ど、どうしたんすか?」

「野木、ありがとう。何かつかめたかもしれない。ファイルを返してもらってもいいか。もう一度洗いなおしたい」


 週末、秋山は休日を利用してN県の某所にやってきた。

 さびれたセンター街は、二十年前とすっかり変わってしまっていた。

 その一角にある、これまたレトロな喫茶店に、秋山は入っていく。

 二十年前の事件の容疑者である。鹿野奈央に会うために。

「お久しぶりです。鹿野さん」

 実に二十年ぶりの再会だ。当時の写真は何度も見ているが、二十年後の鹿野奈央は初めて見た。すっかり気のいいマダムになっている。だが、柔らかそうな目元の雰囲気は、二十年前と変わっていない。それに、今でも独身のままだったはずだ。

「あら……?」

 その鹿野は一瞬考えるそぶりをして、

「ああ、秋山さん。ごめんなさい、連絡をいただいたのに。秋山さんはすっかり変わりましたね。仕事のせいでしょうか。お巡りさんは大変でしょうしね」

「ははは、いろいろ揉まれましたよ。鹿野さんはお変わりなく。一目でわかりましたよ」

「あら、お上手。お座りになって」

「失礼します」

「そんな。十も下の小娘なのに」

 鹿野奈央の話し方は変わっていなかった。彼女はこうやって話すのだ。人懐っこく、気がよく、かわいげがある。だから今でも、彼女が熊井美千代を殺しただなんて思えない。

「それで秋山さん。本日はどのようなご用件で?」

 秋山は正面切って打って出た。

「二十年前のことを話しに。わかったんです。あなたが何をどうやったのか」

「あら。それはそれは」

 鹿野の表情は変わらない。穏やかなまま。丸い瞳で秋山を見ている。何を考えているのだろうか。取り調べの時はこの態度に難儀したのだった。

「ですが、もうこの事件から警察は手を引いています。今日お話しに伺ったのは、個人的な興味とけじめです。言いたいことを言ったら帰ります。どうか、最後までお付き合いください」

「ええ、かまいません。どうせこの年になって大して知り合いもいませんし、家にいても投資話とにらめっこするか、ペットと遊んでいるかくらいしかやることがありませんもの」

「感謝します。それでは――」

 秋山は水を飲んでから店員を呼び、ホットコーヒーを注文した。

 鹿野は紅茶をほとんど飲み干していた。

 ホットコーヒーの到着を待って、秋山は語る。二十年越しのリベンジだ。店員に邪魔されるのが嫌だった。

「二十年前、あなたの恋人である熊井美千代は、頸部を背後から撃たれて死亡しました。首は半分近くがえぐれ、頸椎も粉々になり、検死では即死となっています。まず間違いないでしょう」

 秋山は周囲に目を配る。近くの席に客はいない。正直、聞かれて気持ちのいい話ではなかった。

「問題は、銃弾が見つからなかったことです。銃弾が熊井美千代の首を貫通するにせよ、頸椎に受け止められるにせよ、銃弾は必ずどこかに残っているはずです。ですがその銃弾はない。まず小屋の中に弾痕はないし、かといって首の幹部から銃弾を取り出した形跡もありませんでした」

「そうですね。そのせいで、警察の皆さんは凶器が断定できなかったんですよね。釈放された後のニュースで知りました」

「はい。ですがわたしは、なぜ凶器が断定できなかったのか、銃弾が見つからなかったのか、そのトリックが分かったんです」

「それは?」

 秋山は一度コーヒーを口に含んだ。署内の自販機よりもずいぶんと香りがよかった。

「銃弾は、骨で作られていたのです」

 推理はこうだ。

 熊井美千代と鹿野奈央は、獲物の骨を加工して小物を作っていた。銃弾のようなものも作れるだろう。あとは、骨で作った銃弾と火薬を、使いまわしの薬莢にセットするだけ。

「骨の銃弾はおそらく、肉体を貫くには十分な強度を持っていたでしょう。ですがしょせん骨です。人間の頸椎に当たれば、頸椎もろとも砕けてしまう。すると、熊井美千代の頸部には、粉々になった本人の脛骨と、粉々になった骨の銃弾が残ります。検視官にはその両者の区別がつかなかった。銃弾に使う骨なんて粉々になったところでそれほどの量とは思えませんし、初めから人間以外の骨が混じっているのだと疑っておかないと、チェックする発想すら出てきません。だから、銃弾がどこにも存在しない、という結論に至ってしまったのです」

「推理小説、お好きなんですか?」

「いくらか読みましたが、しょせんは楽しむためのものだと思っています」

「なるほど」

 話のあいだ、鹿野奈央は眉をピクリとも動かさなかった。彼女自身、狩りを生業にしていた時期があったのだから、血なまぐさい話くらい平気なのだ。それでも、この胆力には改めて恐れ入った。

「まぁ、今からあなたがどんな返答をしたところで、逮捕をしようとは思いません。警察が見抜けなかったのがすべて悪かったのですから。それにわたしも今日は休暇ですからね。……もちろん、あなたが警察署に行って自首するなら話は別ですが」

「あらあら、ご冗談を」

 認めているのか認めていないのか、まったくわからない。のらりくらりと躱されているようにも、正面から否定されているようにも思える。

 まだまだ取り調べの技術が足りていないな、と秋山は自嘲しながらまたカップを傾けた。

「懐かしいですね。熊井美千代はそれはもうきれいでした」

 ぽつり、と鹿野奈央がこぼす。

「銃を構えている姿、熊や鹿を撃つ姿、そして、わたしを殴り首を絞める姿、すべてきれいでした」

「鹿野さん……?」

「それだけです。熊井美千代のすべてがきれいだったんです。わたしは今でも、あの熊井美千代を愛しています」

 穏やかに、あくまでも穏やかに語っているはずなのに、その裏には計り知れない黒い狂気をはらんでいるように思えた。

 秋山は耐えきれなくなった。

「鹿野さん。教えてください。もし、もしですよ。あなたが熊井美千代を殺したくなったとしたら、動機は何ですか」

 鹿野奈央は、すらりと立ち上がって、にこりと微笑んだ。

 五十手前とは思えない、スレンダーで健康的な体つき。出産は経ていない。そして、資産運用による配当金暮らし。

 息子が一人立ちし、冷えた家庭しか持ち合わせのない、しがない雇われ警部の自分では、どう転んでも勝てない。そう、秋山は寂しく悟った。

「わたしたちのプライベートです。申し訳ありませんが、お答えできかねます。それでは、ごきげんよう」

 鹿野奈央は機嫌よさそうに喫茶店から出て行った。

 残った伝票には、秋山が頼んだコーヒー分の料金だけが記されていた。

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